2014年9月5日金曜日

ビデオと格闘中

パソコンの調子はかなり怪しく、いきなり終了したり、文字が突然大きくなったり、結構苦労している。文字化けなどならないとよいのだが。

普段私は一つの仕事をしている間他のことはできるだけいれないように心がけている。タカセをしているときはタカセ限定(タカセについては自分は踊っていないもののテクニカル作業の手伝い等もあり)とか、静モードとか。ただこの秋いろいろ急に入ってしまった仕事等もありごちゃ混ぜになっている。

特に今回9月ペンギン、10月静ホワイトバージョン、11月ユーグ、12月マキノ(私の師である牧野先生の過去の作品をあわせて発表することになった@川崎。ただし発表会的なもの)と続く。(こうみるとあのユーグですら結構おまけイベントなことに気がつく)

ダンス公演は通常半年がかりで準備をする(会場によっては1年前に予約しなければならない)のにこの異常事態。とにかく少しずつリハを繰り返していくが、どうしてもかぶっての稽古になってしまう。
静の後マキノとかペンギンの後静とか、更に教えの仕事がはいったり。

今はひたすらビデオをみ、それをおこし、発展させる作業が続く。
(静についてはDVD化どうするかという大きな問題が関わっていて過去の木野作品全作品のチェック等もしていたりする)
マキノ作品の昔のものは今から10年以上前のもの(若い!)だし、自分の作品も2003年くらいから見直す。
正直あまり自分の踊りが好きではないし、上手くないと思っているので、本当に悲しくなり鬱になったりする。(ダンサーなのに。)

そして現実逃避。

谷川俊太郎「私にとって必要な逸脱」(少しずつぬきがいています)より
心から詩を信じるということが私にはかつてなかったし、またこれからもないと思う。詩において私の信じることのできるものがあるとしても、それは詩以外の何かであって、決して詩ではない。それは私において不快なことである。

また私には心から詩にほれたということがかつてなく、これからもないと思う。

詩において、私が本当に問題にしているのは必ずしも詩ではないという一見奇妙な確信を、私はずっと持ち続けてきた。私にとって本当に問題なのは、生と言葉との関係なのだ。

私も自分自身を生きのびさせるために、言葉を探す。

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