2014年12月9日火曜日

限界芸術論

限界芸術論 鶴見俊輔

大学に戻ってよかったなと思うことの1番はダンスを踊っていることは必ずしも悪いことではないと思えたこと。それと同じくらい「限界芸術論」という本に出会うことができたのは嬉しいこと。
私の修論ではイギリスのコミュニティダンスについて書こうと思っていたが、なんとこの人は1960年代にそれを柳田国男、柳宗悦、宮沢賢治を元に書いている。柳田国男と宮沢賢治というだけで私がここ数年引っかかっていたものがつながる。
宮沢賢治については今SPACが取り組んでいるので多くを語らず。しかしポトラッチ(DVD)をつくってここ数年の活動はすべて銀河鉄道から生まれ、銀河鉄道へつながっているということを実感したため、いつか私はつくるに違いないとおもっている。
様々な宮沢作品にふれてくれていて非常に分かりやすい。
以下の文章は賢治の農民芸術概論にある。青空文庫にあるので興味のある人はどうぞ。


職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう
創作止めば彼はふたたび土に起つ
ここには多くの解放された天才がある
個性の異る幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる




すべての人はきらめく星である。
舞踊とはすべての人における本能であり、その人の人生が出てくるものでもある。だからこそ職業舞踊家ではあらわせない個性が生まれる可能性がある。

先日コミュニティダンスについて発表をしたらイベント論の先生に「そのモデルはもしかしたら2次元では表せないものなのかもしれないよ、4次元とか5次元とか」とコメントされた。まさかそれは幻想第4次のことでしょうか。
すべてのことはつながっている。

なお、今没頭中なのはニーチェさんです。
これもまた衝撃のリンク具合。

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