2014年12月19日金曜日

閉所空間のコンセプチュアルダンス

横浜赤煉瓦倉庫で開催されているダンスコレクションは来年20周年を迎える。
記念誌になにかかいてということで文章を書くのが苦手な私が珍しく文章をかいた。
字数制限があり、かなりはしょっていてわかりづらい。正直倍の文字数で書きなおしたい。が、とりあえずのっけてみる。
「閉所空間のコンセプチュアルダンス」
なぜかお題がこうなっていた。
私の今の作品みて、あえてそういっているのだろうか?と思いつつ、、、。



振付とは身体の状態を規定する運動を作ることとすると、環境を制限し「せざるをえない」身体を作ることも振付といえるのではないか。縛られるからこそ表現は生まれる。Edgeも箱女もそのようにして生まれた。
私は狭い所で踊る人と思われているらしい。狭い所で踊れば踊るほど私の踊りには青い空が見えるという。その逆説こそが私の特性ではないかと最近思う。コンセプトはねらって作るものではなく、後から見えてきてしまうものだ。作家の意図を超えるものを作るために、私はそのときの私をそのまま出すだけである。
劇場もまた一つの箱にすぎない。すべての人に等しく与えられたその空間で、とある人生を見せようと作家たちは格闘している。
忘れがちなのが観客もまた箱の中にいるということ。その人生を自分の経験を通じて共感していくが、あくまで自分の価値観でしかない。箱から出ても箱。
「ここもけっきょくは閉ざされた空間の一部であることに変わりはなさそうだ。」(安部公房「箱男」)

箱の中も外もどこにいても変わらないと最近思う。




追記
タイトルに閉所空間のお題がはいらないそうで急遽少し書き直しました。
このままでは狭いところの人と思われてしまうので。


振付が身体の状態を規定する運動を作るのならば、環境を制限し「せざるをえない」身体を作ることも振付といえるのではないか。縛られるからこそ表現は生まれる。Edgeも箱女もそのようにして生まれた。

私は狭い所で踊る人と思われるらしく今回閉所空間のコンセプチュアルダンスについてというテーマを与えられた。狭い所で踊れば踊るほど私の踊りには青い空が見えるという。その逆説こそが私の特性ではないか。コンセプトはねらって作るものではなく、後から見えてきてしまうものだ。作家の意図を超えるものを作るために、私はそのときの私をそのまま出すだけである。

劇場空間とはすべての人に等しく与えられた箱であり、その中で作家達は「表現」しようと格闘している。しかし観客は既に箱の中に巻き込まれていて、しかもそれぞれの価値観で見ていることを忘れがちだ。箱から出ても箱。

「ここもけっきょくは閉ざされた空間の一部であることに変わりはなさそうだ。」(安部公房「箱男」)

劇場も、世界も、また一つの箱にすぎない。


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