2018年5月24日木曜日

地域学入門

学校の先生なので、授業を毎日こなしつつ、踊り作りをしつつの繰り返し。
昨日は地域学入門(1年生必修)で250人くらいいる大教室でお話をしました。

ダンスの専門家ですが、ダンスに入る前の身体の話(身体をほぐすための簡単なマッサージと傾聴を学ぶのに行うワーク。受け取る側の反応で話す側の意識も変わるし、相手のエネルギーを無視することは実は結構しんどいことだという当たり前のことを再確認する。コミュニケーションというものは表現する側が頑張るだけではなくて、受け取る人も重要だということ。)からスタートしてロンドンオリンピックにおけるコミュニティダンスの広まりと、その代表的事例のウエィンマクレガーのような振付家の作品@トラファルガースクエアのようなものと、昨年来てくれたウォルフガングシュタンゲさんの映像とを紹介しながら、ファシリテートという考え方について講義を行いました。

ダンスハ体育ナリでもオリンピックの話をしていますが、実は文化事業という点でもオリンピックは注目すべきで、ロンドンオリンピックは見本のように扱われています。今回は1年生の授業なので、深くは突っ込まず、表現の多様性について感じてもらうことにしました。

教える・教わるという考え方から、自分の感じていること・考えていることを自由に出せるような環境づくりをしていく。教育の学生さんもいるので、いい機会だったと思いました。(現在私は教職の授業を担当していないのです)

先生の意識が変わらないと教育も子供達も変わらない。
自分の受けてきた教育を見直してみるというのも実はすごく重要なポイントではないかと最近思います。学生たちの感想文より創造性という点には触れられていなかったダンス教育の現場が結構多いことが見えてきました。そしておそらくダンス教育だけではなく全てにおいてそれは言えることなのでしょう。だから授業の時にはできるだけ静かに、適当に受け流しておこうと思うようです。でも、反応があるからライブになり、面白い。そうでなかったらネット配信と同じになっちゃうよね。ちょっとずつ言葉が出るようになったところで今回の授業は終了。
大学まで来たからには、自分の言葉で問いを立てていく。そこからが学問の始まりだと改めて感じました。



学生の皆さんへのお礼の言葉。
 
様々な感想をありがとうございます。

私はダンスの専門家なので、ダンスの話をしましたが、創造性(想像の字を当てる方も多かったですが)は生活のすべてに当てはまります。
文章を書くのが得意だったり、音楽や美術のような他の芸術活動だったり、料理で一手間加える工夫をするなんていうのも創造性でしょう。生きていく上で必要なことはすべてつながっていきます。なので、それぞれの生きていく中で創造性を発揮できるような、しやすいような環境を作っていくことが大切で、その手法の一つがファシリテートの考え方です。
高校までの授業だと正解があると思ってしまいますが、正解も時代によって変化してきました。そんな中、私たちは自分たちでその正解を作り(考え)出さなければならないところに来ています。そのときにみんながそう言っているからという方向に乗っかっていくだけでいいのか,コンピューターがいうことがいいのか、そのメディア報道は誘導されていないかと多角的に物事を捉えていかねばなりません。その方法を学ぶのが大学の知です。
多様な考えを引き出すコツは「こういう考えの人もいるんだな」と受け入れてみる、触れてみるそういうところにあるのです。
そういう意見の多様性の根拠は身体にあります。一人一人全く違う身体を持っている。人は自分の身体から離れることはできない。自分の身体とちゃんと向き合えるようになると、人にもちゃんと出会えるようになります。

宮沢賢治は『農民芸術概論綱要』(青空文庫にあります)の中ですべての人が芸術家であるといいます。賢治は芸術を特別な活動と捉えていたようですが、私はさらにいうと、この世に生まれてきてから様々なことを考え、それを人と共有し、時代を作るというそのこと自体もまた芸術であると捉えます。



様々な声があっていいということ、むしろ様々な声が出てくることの豊かさを感じてもらえたら嬉しいです。

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