2018年5月17日木曜日

またひとつあたらしい物語を紡いでいきましょう

やっと歯車が回り始める。

ゆっくり時間はかかっても、その時間は多分無駄ではなく、やはりかかるべくしてかかったもの。人によりその速度は異なり、時には立ち止まることもあるけれど、それでも何かはできていく。

また新しい物語を紡いでいきましょう。


たまたまダン体から帰ってきた日の授業は芸術入門で舞踏について語る日でした。
クラシックバレエ、モダンダンス、コンテンポラリーダンス、舞踏、能歌舞伎狂言、民俗舞踊、即興とコミュニティダンスの考え方(鳥取夏至祭という現象をどのように捉えるか)という流れで一般の学生さんに様々な踊りを紹介していくような授業です。
昨年大野慶人さんに来てもらったこともあるので、大野さんを中心に舞踏の起きた時代背景なども語ります。映像も見ながら。学生は衝撃を受けつつ、ホラー映画みたいと。(いや、ホラー映画がこれを基にして作っているんだと思うよと突っ込みを入れる)土方の夏の嵐の冒頭に京大の西部講堂が出てて、タテカン事件の話を思い出したり。時代の変化をつくづく感じました。今の危うさ。

土方本を読み直していて、宇野邦一さんの本にあたり、死者の書として捉えていて、あ、そうだったと思い出しました。2年くらい前応募するときに何がいいかなと思った時病める舞姫もいいかなあと思ったものの、この作品は男性が踊ったほうがいいよなあと思い、死者の書にしたのを思い出しました。(ちなみに今年は病める舞姫が流行っているようで、何があるんだろう?と思っています)
死者の書はタイトルヘビーなんですけれど、(実際一回黄泉の国に降りていかなきゃいけないんですけれど)実はぽちりと咲いた花のような本です。そういうところがいいんじゃないかなあと思っています。
ダン体は大野一雄さんから始まったシリーズということもあり、ダン体2でもまとめは何者かと踊る話をしています。(観客に見えるかどうかわからないということも含めて)今この世にいるいない、そばにいるいないと関係なく、同じ波動の中に何人かいて、同心円のようにしかも階層も異なりながら一緒にいる。それぞれの一つ一つの動きが意図的であれ意図的でなかったであれ、互いに影響を与えながら、この世の流れを形成していくのだなあと。私自身は舞踏は学んでいないのですが、謎の経緯で影響を受けているものだなあと改めて思ったのでした。


0 件のコメント:

コメントを投稿