2018年7月19日木曜日

祈りと鎮魂

舞踊のもともとは祈りと鎮魂。
Angelsの時にもダンスハ體育ナリでも話している。(この前スライドを見直していたらあった)
でも、最近死者の書を読んでいて気がついた。
鎮魂はこの辺りにいる霊魂さんを鎮め、おとなしくしていただくことのようだけれど、多くの芸能には魂を振るつまり霊魂さんを喜ばす振り付け(動き)と音が含まれている。鈴を鳴らしたりするのがわかりやすい例。鈴や手に持っている扇は依代。そこを通じてやってくる。
そのやってきた霊魂さんと一緒に自分の気持ちや意識も収めるのが鎮魂。霊魂さんのためにするのではなく、自身のために行うものであるらしい。

油断すると暴走してしまう、意識が飛んでしまうのをちゃんとこの世に繋ぎとめておくための作法。引き寄せられないように、ちゃんとするべきことを守るべきところで行うお仕事をこなしていないといけない。

踊り手や巫女さんは霊媒というかミディアム(メディア)で油断すると飛んで行ってしまう。時間も空間も。そしておそらく折口本人もそういうタイプの人だったらしい。実際授業も毎回内容が異なり、非常に即興的だったことが弟子たちの言葉からわかる。
沖縄や三信遠の民俗芸能リサーチの各旅はかなり過酷なものだったようで、そうして体を酷使することによって古代の人の生活を感じ取ろうとし、また彼自身の心を維持することができたのではないか。

気がついたら魂あこがれいでて二上山な郎女の話もリアルにちょっとわかる気がする。


昨年アイヌ刺繍を学んだけれども、あの刺繍という作業、あるいは織物、俗にいう、手遊び(てすさび)も心を落ち着けるのには良いようす。うまくできている。

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