2010年5月8日土曜日

続けるということについて

本日も朝から農作業にいそしんでおりました。つなぎとジャージをかわりばんこにきる生活です。
急にあたたかくなって、ありがたいことですが、既に真っ黒にむかっています。

さて、先日玉川大公演をみたときにダンサー友人(そんなに親しいわけでもないのですが)にあいました。本当によくできた公演で、すごいねえとはなしたら、「でもみんな卒業するとやめちゃうのよね」という話しをしていて、(やめれるだけ満足したということでもあるし、他にやるべき何かを見つけたのだからそれは必ずしも悪い話しではないし、むしろとても幸せな気がすると私は思ったりもします)「出会えるかどうかだよね」という話しになりました。
その子は有名なプロデューサーさんとか、引っ張り上げてくれる人とか賞に「出会えるかどうか」と思ったらしく、そこから話しがなかなか噛み合なくなってしまったのですが、私は「あなたの踊りに救われた」といってくれる人に「出会えるかどうか」ではないかという気がしています。。
大学時代にあんまりうまくもなく、振り覚えも悪く、みんな出そろえて踊る踊り大嫌いな私はひとりぽつんとしていました。ぽつんなりになんか作り続けていて、しかしどこかちぐはぐしていて、そんなころ、めぐという友人がそういいました。めぐとの出会いをいえば結構とんでもなくて、普通に考えるとなぜか彼女と私が話しているのかよくわからないのですが、ともかく、私の一番はじめのファンのようなものになってくれました。
見る目があるというか厳しい意見もたくさんあり、しかし、「何かある」と見続けてくれた彼女にまた会えるのではないかとふと思います。
思えば長い長い時間、くじけたり、いじけたり、引きこもったりするたびに、誰かがみていてくれました。「ありがとう」といわれ、だからなんとか続けて来れた。
踊り続けることはそんなに簡単じゃないし、そんなに楽しいことじゃない。でもそれでも続けて来れたのは、あのときの一言があったからです。
踊る機会なんていうものはなんとでも作り出せるかもしれない。ただ、自分のためだけにではなく、誰かのためにも踊れるようにならなければ、おそらくある一定の時間を越えて続けてはいけないだろうと思います。舞台には神様がいます。とある知人は「お客様の中に神様はいます」といいます。こびるのではなく。結果としてついてきてしまった何か。
私もまだ不安定でふらふらしている身だけれど、さらに若い友人にふとそんなことをいいたくなりました。

たまたまですが友人から借りた本(鷲田清一)に、人は無条件に認められたくて恋をするという話しがでていました。他の誰でもないあなたじゃなきゃだめなんだといわれたいがゆえにという。幸か不幸か私が出会ったすべての人は踊りを通じてであっていて、踊ることでなんとか結びついています。踊らなくてもよいといった人はいますが、「サイコの場合はすべてが踊りなので、あえて踊ろうとする必要はない」のだそうです。私が無条件に認められるのは踊りを通してであってその辺りからしてやはりゆがんでしまったのではないかと思ったりもします。



さあ、今日は杉田劇場にいってきます。

2 件のコメント:

  1. さいこさん、こんにちは。ご無沙汰しています。お元気ですか?
    いつもブログ読ませていただいてたくさん学ばせていただいていました。コメント残さずですみませんでした。
    踊り続ける事はそんなに簡単じゃない。本当に今、身にしみて感じています。自分は踊りたいんだっけ?何を表現したいんだっけ?って自問自答している自分がいたりして、踊りたいのは確かなはずでそれの為に頑張って来たはずなのに、あれ、まだがんばりが全然足りていない、でもこれからどういう風にがんばっていけばいいのかしら?って前が見えなくなってきたり。。でも来週またオーディション。。自分のおどりができたらいいです。

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  2. みょんちゃん
    お久しぶり。
    コメントありがとう。このブログは結構いろんな人がみてて、(しかしコメントはない(笑))あとからぼそぼそっと感想とか情報とかが集まってくるのです。なので気が向いたときにチョロってのぞけば十分です。

    オーディション生活は結構しんどいもので、予想がつきます。ただ、今考えてもっとちゃんと探してみるべきだったなあと思ったりします。自分で自分の可能性をきっちゃっているのではないか?これはできないとあきらめているのではないか。(もともと運動神経が鈍いのでできないことがたくさんあるのは事実だけれど)
    ラッセルのところでできないというところから生まれることもあるということを知りました。おそらく自分の創作ではでてこなかった要素です。がんばりがとかそういうのではなく、そのままいて、それで生まれてしまうものというのがあって、それを見つけ出す人とタイミングに出会えるかどうかは運だと思うのです。いろんなものをやってみる、やりながら自分らしい表現を見つけ出していくということであって、勉強の場だと思いましょう。
    今でも受かる受からないに関わらず、出会いの場だし、勉強になるから積極的にいかなきゃだめだよといわれていたのを思い出します。反省です。

    続けるかどうか、
    一回立ち止まって考えてみるのも1つの方法です。
    私も何度か踊っていない時期があり、そのたんびにまた泣きながら踊って(笑)戻ってきます。もっと面白い何かに出会えるのであればそれはそれで幸せなこと。そしてそういうことはいつかまたダンスに戻ってもつながっていくのです。ダンスは総合芸術だから。

    じゃあ、またね!
    私はしばらくヨーロッパには行かないので、また日本に帰ってくるときは連絡ください。一緒に踊りましょう。

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