2010年5月26日水曜日

教えるということについて

明日身体表現法の1組目最後の授業で、今もまだ何をしようか迷っています。
いや、既に予告はしてあるのですが(シラバスの時点で)、最後にダンスとは何かをどうやって示せるんだろうとまだ迷っています。先週から1週間、途中ふらふらしたり(おいしいコーヒーをのみにいこうとしたりとか)もしたけれど、インタビューも含めとにかくそこから離れることはありません。
そもそもなんで私は踊っているのだろう?でどつぼにはまってしまいました。
そんなとき大学の先生からメールが来ました。


指導を始めると勉強不足を感じるのは、常です。
その意味で、指導は自己を強化します。
いくつになっても、勉強は尽きることがありません。
広がりと深まり、両者を追求しながら、螺旋のように登っていくことになります。
卒業してからお世話になることになった(そもそもわたしの研究室は動作学で舞踊系ではないのです)先生ですが、ありがたいものです。しっかりしないとですね。
教えるという立場についてはいますが、正しくはそこから学び続ける状態で、私は今も学生のときとあんまりかわっていないような気がします。(それは見た目が若いとかそういうことだけではなく。でも実際未だによくいわれている)今私が気になっていることをどうにかして伝えられるべく、がんばろうと思います。

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