2010年5月25日火曜日

なぜ働くのか、なぜ踊るのか

たまたまこの4日くらいの間に3日くらい飲む日が続きました。日頃引きこもり生活を送っている身からすると珍しいことです。
お家で一人でお酒を飲む時と違って友人(しかも飲むタイプの人)と一緒だと歯止めが利かず、思いっきり飲み過ぎるはめに。近頃はめっきり弱くなりました。

なぜかその3日、全く別の人と話しているにも関わらず(年齢層も20代から50代)、なぜ、何のために働くのかわからなくなってきたという話しになりました。私の場合はなぜ踊っているのかになりますね。お金のためとも違うし、俗にいう名誉ということとも違う。ではなぜ。
一生涯を通じて何を残したいかということかもと最近は思います。家族のため/子供を養うためかもしれない、自分の惚れ込んだなにかを紹介するためかもしれない。社会に対し、何が残ったらいいんだろうと考えてそれを残すために活動をする。
絵を書く人の評伝みたいなのをよむ機会があって(これは授業用に)学校で教えたり、養ってもらったり、なんだか波瀾万丈ありながら何かに近づいていく過程がみえてきました。
そうか、、そうだよなあと正直思いました。なんか見つけちゃったらその道すすんでいくしかない。自分が作るのか、誰かが作るのかわからないけれど、なんか気になるそれを残すべくがんばってみるしかない。当たり前のことのようですが、最近になって知ったことの1つです。

そんなときにたまたま本屋で目にしたのが三浦雅士「人生という作品」でした。まだ読んでいないけれど。(三浦さんはその昔Edgeに強力なレビューを書いてくださいました。そしてバシュラールを読みなさいといいました。それを思い出し、バシュラール買いました。水と夢は既に呼んだんですけれど、空間の詩学を再び)
人の一生もまた作品です。というかすべての作品はワークインプログレスで、何がよくて何が悪かったのかなんて誰にもわかりません。そしてお仕事もまた人生の一部です。
ダイレクトにつながらないように見えても、きっとそれは自分にかえり、作用します。どのように受け取るかは私たち次第で、どうせ受け取るならポジティブにいきたいとおもいます。

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