2012年7月29日日曜日

第3期スパカンスタート

SPAC enfants
(スパックの子供たちの意味。Enfantsはフランス語です)の3期目がスタートしました。
昨年のメンバーからお姉さんたちが卒業し、新しいこたちが入ってきました。なんとほとんどが中学生。あのちいさかったタカセ、ミユ、シズカの三人組も大人っぽくなりました。みんなを引っ張るお兄さんお姉さんになっています。(ということは作品の展開もかわっていくのでしょうか。。。)これから毎日のように山での稽古に入ります。

今日はニシモトタロウさん(映像)とともに撮影作業をしました。なんと芸術劇場で!(なんと豪華な!)ニヤカムさんがいないので、きのが代理でウォームアップを。その模様はスパカンブログにでております。
http://spac.or.jp/blog/?p=9967

今年はワークインプログレスでの発表となっていますが、お近くの方はぜひお越し下さいませ。


おまけ
9月の練習が間に合っておらず、家の中でひたすら照明実験を繰り返す日々。毎日電球と格闘しています。

2012年7月27日金曜日

静岡入りしました

タカセの夢にそなえて静岡(SPAC)入り。
今日から9月1、2日の本番まで暑い夏の日々です。
今年はメンバーが大幅に入れ替わったこともあり、ワークインプログレスでの発表とのこと。なので、ウェブ情報などもあまりでていません。どうなっていくのか楽しみです。
明日は早速映像ニシモトタロウさんによる撮影の日。ニヤカムさんはまだ日本に来ていないので、きのががんばります。

よい夢を。

2012年7月23日月曜日

群馬(追記7月26日)

なぜかいきなり群馬にいくことになりました。とりあえず一泊二日。 静岡山ごもりを前に打ち合わせ、下見、他すべて終わらせるべく、怒涛の準備。今日は炊飯器と鍋とフライパンを送りました。まにあうのかしら。





群馬
岩宿遺跡、沢入サーカス学校・サーカス資料館みてきました。
岩宿遺跡、社会科の教科書でみた、あれです。縄文以前の遺跡ということで、あたりを掘るといくらでも土器やらやじりやらいろんなものがでてしまうらしい。(文化財保護課の人たちはマンションなどの建設をするごとに発掘調査を行わねばならないらしい)
当時の服ということで鹿革でできた大きなコートと帽子をきさせていただきました。
鹿、、、
宮沢賢治の鹿踊りをおもいだすか、もののけ姫のシシガミさまを思い出すか、牧神の午後を思い出すか、ともあれ、なにかおどることになりました。とにかく自由に好きなようにかけめぐってよろしいとのこと。(とりあえずおおきな公園なのです)館長さん、関口さん、今回声をかけてくださった西田さんありがとうございます!

余談ですが、実はこの渡良瀬エリア放射能が高いエリアらしく、現在はサーカス学校も休校しているのだとか。(できればこの秋から再開したいそう。でも放射能の問題はあるので、移動式の学校にできないか、校長は模索している)

一緒にきてくれたこがモンゴルでコントーション(柔軟芸)を勉強していたそうで、いろいろ話して盛り上がる。世の中いろんな表現があるなあと思う。

最近サーカスと大道芸づいているような気がする自分。

今日はKAAT下見いってきます。
準備はまにあわないまま。。。


2012年7月21日土曜日

スペシャルカラーズ紙田さんより

新井薬師にあるスタジオ、スペシャルカラーズの紙田さんより以下のようなお誘いが。
きのは9月中怒濤の状況なのでさんかできませんが、興味のある方はぜひ。

SPCダンス&シアターフェス 募集要項


<フェスティバルの概要と目的>
ダンス、演劇、身体系のパフォーマンスなど、
舞台上のリアルな「身体表現」を見せてくれる作品を集めたフェスティバルです。
1日あたり6組程度の作品発表を3日間にわたって行います。

身体表現の中でも、多様なジャンルを一日の間でみれるイベントにしたいと考えています。

日程 9/14金~9/16日の3日間

会場 新井薬師Special Colors
http://specialcolors.jp/
)

<募集案内>

■応募条件:
・舞台上でダンス、演劇、身体系のパフォーマンスなどが行われること。
 (上記がある上での、言語、音楽、映像、その他の表現がされることはOKです)
・20分以内の枠と、35分以内の枠があります。応募作品にあわせて応募してください。
 上記の枠を超える作品はできません。
・開催日の中のどこか一日で出演してもらいます。希望日を出してください。
・1作品の出演者数は1名~8名までとします。
・以下の参加費がかかります。

20分枠
出演者数 参加費
1名 5,000円
2名 8,000円
3名以上 人数×3,000円

35分枠
出演者数 参加費
1名 10,000円
2名 16,000円
3名以上 人数×6,000円

・チケットを売っていただいた場合、キャッシュバックがあります。
 前売り2,000円、当日2,500円チケット(ともに1000円バック)

・会場をつかった稽古が無料でできる日を作ります。

・舞台セッティングはご自身で幕間の5分以内にできるようにしてください。

・照明、音響のオペレーティングは企画側で行いますが、あまり複雑なことは受け付けられません。もし複雑なことをされる場合は、オペレーターを出演者でご用意ください。

・会場の大きさなどは以下のページをご覧ください。
 http://specialcolors.jp/equipment

■募集要項:

以下をご用意ください。
代表者氏名
連絡先メールアドレス(PCからも受信できるアドレスにしてください)
住所
携帯電話番号
(代表者)性別
団体名OR個人名(チラシ掲載用)
ジャンル
出演者数
経歴(審査用)
観客用PR文(HP掲載用)
上演内容

上記の応募資料を以下のURLの申し込みフォームより提出してください。
※応募者多数の場合は選考します。参加可否の発表は8月5日になりますが、それ以前に決定を通知する場合もあります。

郵送での受付はしていません。

■募集締め切り: 2012年8月2日(木)


■募集宛先申し込みフォーム:
https://www.form-answer.com/applications/2NN5K

主催 スペシャルカラーズ
企画実行委員 紙田昇 万城目純


お問い合わせ(宮崎 紙田)
https://www.form-answer.com/applications/WB4BR

仙川JAZZ(追記7月21日)

本日、明日と仙川にて
JAZZ ARTせんがわなるイベントに参加しています。
http://www.sengawa-gekijo.jp/kouen/07423.html

仙川劇場さんでたくさんの公演が行われていますが、私は仙川駅他あちこちでおそとセッションをしています。無料。
お近くのかたお暇な方、ぜひのぞきにいらしてください。

ただし、雨が降るとどうなるのか今ひとつわかっていません。
また3カ所くらいで同時開催しているのですが、どこにいくのかまだ決まっていません。
(当日発表)従って、わかり次第、このブログにてかきますが、見つからなかったらきのまで直接電話してください。(セッション中はでられないかもですが、、、)

いろんな人にであえそうで楽しみにしています。


追記:
一日目が終りました。雨のため仙川駅前と、仙川劇場前・中の三カ所になりました。
明日も場所は臨機応変に対応します。
楽器をお持ちの方は乱入できます。もちろんダンスも。
子供たちが大活躍していました。
明日も1時から5時です。ご興味のある方はぜひ。

2012年7月18日水曜日

TIO二回目 無事終了しました

TIO Tokyo Improvisers Orchestra2回目終了しました。
見に来てくださった方ありがとうございました。

ここしばらく重点的に音楽とダンスの関係性についてトライアルを重ねていますが、TIOはとてもエキサイティングでかつとても難しい現場です。
ダンサーも楽器演奏と同じ扱いとはいえ、やはりみせるものなだけに、30人の音楽にたいし、2人でがんばるという形になり、空間的にも作品的にも(40分のセットが2回)できることは限られているため、知恵をしぼりだすみたいな感じがします。

今回は特に指揮(それもトップバッター)をさせていただいたこともあり、いろいろ考えさせられました。音楽的な盛り上がりのコントロールと同時に動きをかんがえるのです。うーん。課題は山積み。

見に来た知人にはとてもほめていただいてしまいました、が、ダンスの人にもっとみてもらいたいよねとも。確かに。音楽イベントではありますが、ダンスってこういう可能性もあるんだというチャレンジとしてぜひみていただけたらと思います。

指揮者なのに、はじめにおいておいた指揮棒を蹴っ飛ばして舞台から落としてしまい、指揮棒なしで指揮をしました。おまけにそのあとの人にパスするべく、とりにいくというかなり恥ずかしい失態をおかしてしまいました。。。がーん。。



今週末は仙川周辺で踊っています。仙川jazzこれもTIOの友人横山君、荒井君のお誘いでひょろりと音楽の人に交じって参加。こちらはもうちょっと楽しもうとおもいます。

ホーゲさん②

ライムントホーゲさんのレクチャーパフォーマンスを見に行く。@早稲田大学

前回書いたように、ホーゲさんのファンとしては、かかせません。(早稲田大学のこのシリーズでは過去にジェロームベルも呼んでくださっていて、きのの好みのつぼにはまりまくりです)ビデオによる彼の作品の紹介、簡単な説明(特に音楽が作品に及ぼす影響について)、パフォーマンス、質疑応答でした。

白鳥の湖も、36 rue de mandelaもダンスの歴史も、春祭も、balkon ouvert(これは映像で)までみていますが、個人的には牧神の午後が一番好みです。

で、最後にパドドゥをと上野君と一緒に踊ってくれました。(なるほど、これつくるのは大変だなあ、とおもいつつ)上野君、きてるんじゃん。いってくれればいいのに!と思いながら。

しかしホーゲさんかわいらしい人です。京都でもレクチャーなどがあるとのこと。興味のある方はぜひ。


2012年7月14日土曜日

ホーゲさん

ライムントホーゲさんの牧神の午後をみる。@KAAT

ホーゲさん、フランス時代からかなり(ほとんどの)作品をみていますが、私は好きです。かなり淡々としているので(能の感覚に近いかも)短気なフランス人の中には途中で出て行ってしまったり、ブーイングを出す人もいますが、根強いファンも多い作家の一人です。
その中でも今回の作品は一押しです。
たまたまフランス時代からの友人にあったのですが(席がとなりのとなりのとなりだった)その子もホーゲさん追っかけといえるくらいたくさん作品をみていて、パリでもこの作品を見ているそうですが、その子も一番いいかもというくらいいいです。
冒頭の1曲だけで、私はもう満足です。
ダンサーの子も何回かみていますが、ますますホーゲさん化しており、そういう意味でもすてきです。

というわけで、ぜひお勧めします。
ただ、俗にいうダンスが好きな人にはお勧めしかねます。

明日、まにあわんという方は早稲田で17日に行われるレクチャーもおすすめです。無料。元々ピナのドラマツルグを行っていた人なので、話しも面白いだろうと思われます。過去みた印象ではえらくチャーミングな人です。


3年ぶり(もしかしたらもっと?)にあった友人と帰り道にいろいろ話し、しかしいつもと同じように、じゃあまたねと別れました。きっとまたあえる、そんな気がしました。
この3年は電車の数駅では語り尽くせないけれど、でもどこかでずっとつながっているようなきがしていたのかもとおもいます。
でも、帰ってきてるんだったら、「からたち」みてほしかったなあ。最もみてほしかった人のうちの一人かも。
じゃあ、またすぐに。





ダンスを教えるということ③ コンクールについて

前回までを書きながら、私の中で大きく残っているのは
ダンスがうまいとは何か、よいとは何か?という疑問である。
現代舞踊展もそうなのだけれど、世の中には本当に多くの作品の発表の仕方がある。これはいいけれど、これはだめという基準はどこにあるのだろうと長いこと考えている。

私はたまたま2種類のコンクールを経験してきた。
ものすごく特殊な世界だと今でも思っている。
これらのおかげで、現在の活動ができているというのも一理あり、何ともいいがたい。が、ここにこだわると見えなくなることも多い。
あえて、それをふまえ、今回はその2種類について解説をつけたい。
おそらくコンテンポラリーダンスの人でも知らない人も多くいるに違いないだろうからだ。

①All Japan Dance festival in Kobe
http://www.ajdf.jp/
毎年夏に神戸で行われる高校大学のダンスのフェスティバル。コンクール部門と参加部門があり、ダンスの甲子園ともいわれるようになる。特徴的なのは予選も現地で開かれるため、本当にものすごい数のダンサーが全国各地から集まってくる。(それだけでもすごい経済効果だと思う)
第1回のころにコンドルズがであった話し(当時珍しかった男性は楽屋が一つしかなく、学校を超えた交流が始まったのだという)をきいたことがある。ちなみに私が現役の学生として参加していたのは8回(阪神大震災の影響で東京で開かれた会)10回。その後高校生の指導者というかたちで何回か神戸に通うかたちになった。
高校生は4分半、大学生は6分半という短い時間で30人近くのダンサーが踊る。(規定では5人以上30人未満)えらい迫力だ。しかも当時は外(近くの公園など)で練習したりしていて、それもすごい光景。(その後熱中症などの問題や周辺への迷惑を考慮して禁止されたらしい)
この会が始まった頃にはここまで大きな規模になるとは考えていなかったに違いない。
特に高校生の部門についてはどんどん熱気を増しており、卒業生の進路(推薦入試・AO入試)などに関わってくることもあり、かなり指導者の力は入っている。(そういう意味でも甲子園的だと思う)およそ半年(学校によっては1年)がかりでここで発表する作品をつくっていく。
大学の先輩が「これは宗教だよね」といったくらい。
まだヨーロッパに行く前のこと、某振付家さんに「でもこれだけの会なのに、そこから振付家がでないのはなぜ?」ときかれたことがある。(一応私振付家なのだけれどな、と思った記憶がある)当時の感じだと大学時代に燃焼しきって、卒業したら普通に就職するという人が多かったようだが、現在は大学卒業後そのままダンスを続ける人が増えつつある。海外に出て行く、あるいはアルバイトをしながら続けていくなどの職業の選択の幅が広がった(非正規雇用の問題はあるにしても)からだろうか。
大学時代のつながりがあるとベースになるテクニックを共有していたり、長い時間をかけて作品作りを行えたりというメリットがあり、グループワークもつくりやすくなる。これまで日本のダンスはソロ・デュオが多かったけれど、最近グループ・カンパニーが増えているのもそのような流れではないかと感じている。
毎年NHKで番組が放送される。一見の価値あり。できれば神戸で決選をぜひ。あの独特の緊張感は他にないと思うので。
(大学のダンスのコンクールは他に富山で少人数作品のものが行われている。私が学生の頃はまだなかった。当時はアーティスティックムーブメントin Toyamaという名前で関東圏の大学5校を富山にご招待by いせ卵というイベントで、富山の一般のお宅にホームステイさせていただいたり、河原敷で踊るなどなかなかできない経験をした記憶がある。村おこしと、将来の嫁不足対策ときいたが、確かに今でも富山といせ卵には特別に思い入れがある。)

②Yokohama dance collection Solo Duo Competition
一応2003年の受賞者(横浜市芸術文化振興財団賞)で、一昨年受賞者公演を行わせていただいた。ちなみに今年赤煉瓦倉庫リニュアール10周年記念ということで受賞者ショーケースが行われるが、それをみると確かにすごい顔ぶれだということに気がつく。
いろいろあって、ここで作品を発表することが多い。「Edge」(2003)、「箱女」(2004)、「OVO」(2007)、「かめりあ」(2010受賞者公演)。なのでここに育ててもらった意識がある。
その昔石川さん(当時館長)とお話したときに、アジアのショーケースとしての意味もあるのでいろんな種類の作品を選ぶようにしているという話しをしていたことを覚えいている。だから選ばれたからといって他より優れているということとも違う、と私は今でも思っている。
当時は応募した作品と上演する作品は異なっていてよかった。ここで選ばれなければEdgeは生まれなかった。これだけの大きな空間で踊るということはそれまでなかったし(ちなみに初めてつくった20分の作品はSTスポット)、劇場リハーサルが70分(確か)とれる環境でつくることは今までなかった。70分のリハというのはあっという間だが、それまでの私が踊ってきた環境では作品時間の半分くらいの時間で場当たり、一回通して終わりとか、照明の確認はできないとか、舞台装置は使えないとかそういう状況だったので、舞台ってこんなこともできるんだ!という単純な驚きと喜びに出会ったのがダンコレだった。舞台とは総合芸術であるという言葉を実感したときだったと思う。
どのように水音が響くか。
聞こえるか聞こえないかわからない音とは。
光はどこから差し込んでくるか。
そういうわけで、もしあのときダンコレに参加していなかったら、踊りの作り方、発想の仕方から全く異なっていたと思う。なので、とても感謝している。
正直、これだけちゃんとできればいいものができないはずないと思った。逆に言えばそのはじめの一歩目をふむことができたこと、それはありがたいとしかいいようがない。少しでも多くの人に体験してみてほしいと思う。
今だと学校の授業の一環として学べるのかもしれないが、私はここで当たり前のことを知った。その後それぞれの劇場で試行錯誤しながら、スタッフさんと相談しながら、照明さんと実験しながら作品をつくり続けることになった。

2010年森下真樹さんとお話していたときに(かめりあは森下さんとカップリング公演)あのとき人生が変わったと話していた。それは私も同じで、上演場所が増えたり、海外に行くことになってしまったりした。踊っていてもいいのかもしれないと初めて思えた。その一歩を踏み出すきっかけをくれたのだから、コンクールやコンペを否定できない。

ただ選んでもらっていうのは変な話しだが、なぜこの作品が?というのは時々おこる。私の年も岡本さんのまばたきくぐりなど名作もたくさんあったのをしっている。賞をもらったからっていいわけではない。賞をもらうことよりもそれぞれの表現に磨きをかけ、ダイレクトに作品を売ることを考えろというのがダンコレがショーケース化しつつある理由だと思う。

ロンドンのThe placeにはResolution!という公募企画がある。
大学(あるいはダンス学校など)を卒業し、これからどうしようと思っている若者に劇場かすから面白いものをやってみろ!というもの。1ヶ月半くらいの間に一日3作品(各30分)100作品ほどを上演する。劇場リハは確か3時間。スタッフは死にそうだが、そこでできてしまった作品をいろんな企画に応募したりできるようになる。そこからのし上がっていくかどうかはそのグループ次第というわけだ。
私自身がResolution2回、spring loaded(プレイスの春フェス)、place prize, spring loadedで改訂再演という成長過程を経ていくことができたのはプレイスが学校に付随してある劇場であり、若手の育成に力を注ごうとかわっていった過程とも関係している。


おそらく、バニョレがかわっていったように、俗にいうコンクールやコンペも形態はかわっていくものと思う。そしてコンクールやコンペをとおらずどんどん活躍していく振付家が出てくるようになっていくべきだと思っている。コンクールの恩恵(?)を受けている身ではあるが、心からそう思う。




TIOのリハーサル

TIO(Tokyo Improviser orchestra)のリハーサル
北里さんというライターの方がわざわざ取材にきてくださり、まとめてくださった記事
http://news-ombaroque.blogspot.jp/2012/07/tokyo-improvisers-orchestra.html

インプロを歌っていますが、指揮者はインプロだけれど、オーケストラは指示も受けるので完全なインプロではありません。サインを覚えたり、確認したり、実験したりというのがリハーサルというかワークショップというかで行っています。およそ月1。
TIO自体は今後も継続していく予定(おそらく次は1月という話し)なので、ご興味のある方はぜひ一度パフォーマンスを見に来てみてください。

桂ちゃん(大学同期、おそらく同期の中で最も身体能力が高い美しきダンサーです)のパフォーマンスの評もでていますので、そちらもぜひ。




おまけ
まれすけさんよりご案内文がきていたので、のせておきます。

今日は。コントラバスの岡本希輔です。
一斉送信で恐縮ですが、東京インプロヴァイザースオーケストラの第2回公演のご案内をさせてください。

いよいよ第2回東京インプロヴァイザースオーケストラ公演が来週の月曜日、海の日に迫ってまいりました。皆様お誘い合わせの上、ご来場賜りますよう心よりお願い申し上げます。

即興界はもちろん、クラシック、ジャズ、ロック、ポップスなど、さらにダンサーや朗読家といった様々なジャンルのアーティストにも広く門扉を開けて、東京音楽シーンの縮図となるべく即興演奏の可能なプロフェショナルが集う。しかし、これは単なる無軌道な即興のオーケストラではない。
TIOには指揮者が存在する。演奏家の中から指揮者を選出し、ユニークなサインを用い、
それぞれの感覚に基づいて演奏を采配することで、演奏は秩序と無秩序を自在に往来することができ、また指揮者のセンスの違いを楽しむことも可能なステージが生まれる。

日付時間            7月16日(月曜日 祭日) 夜7時開場 7時30分開演
場所                野方区民ホール
住所                東京都中野区野方5-3-1 (西武新宿線 野方駅南口下車 徒歩5分程のところです)
料金                当日2,500 予約2,000
予約・お問い合わせ  Team Can-On(チームカノン)
                   Tel 03-6804-6675
                   E-mail team.can-on@miya-music.com
出演
SHIMADA Hideaki 島田英明(violin)
NAKAGAKI Maiko 中垣真衣子(violin, conduct)
KOZUKA Yasushi小塚泰(violin)
YOKOGAWA Tadahiko横川理彦(violin)
OKAMOTO Maresuke岡本希輔(contracello, solo)
KAIDO Yutakaカイドーユタカ(contrabass)
Pearl Alexander(contrabass, conduct)
Miya(flute, conduct)
Terry Day (bamboo-flute, conduct From LIO)
entee(oboe, English horn, solo)
HORIKIRI Shinji堀切信志(reeds)
MORI Junji森順治(reeds, solo)
YAMADA Hikaru山田光(reeds, conduct)
YOKOYAMA Yuta横山祐太(trumpet)
KANEKO Yusei金子雄生(trumpet)
KOIKE Toshihiro古池寿浩(trombone)
USUI Yasuhiro臼井康浩(guitar)
HOSODA Shigeyoshi細田茂美(guitar)
YOSHIMOTO Yumiko吉本裕美子(guitar)
TAKAHASHI Hideaki高橋英明(electronics, conduct)
ARAI Kota荒井康太(drums)
MATSUMOTO Chihaya松本ちはや(percussion)
KINO Saiko木野彩子(dance, conduct)
SADOJIMA Akihiro佐渡島明浩(dance)
NOBUNAGA Kenノブナガケン(percussion, voice, solo)
OGINO Miyako荻野都(piano)
TERAUCHI Hisaharu照内央晴(piano)
HACHIYA Maki蜂谷真紀(voice)
Yutaka FUKUOKA福岡ユタカ(voice)
NAGAYAMA Akiko永山亜紀子(reading)

reedom of Speech and Sparks of the Moment
言論の自由、そして瞬間の光り
現代都市の文化としての即興音楽は、未来の全世界を舞台にした民族音楽 (cosmopolitan folklore)を形作りつつあります。
その片鱗は、ベルリン、ロンドン、またその他の都市のアンサンブルやグループにも見る事が出来ます。
それは変化し、新しいグループの生成を繰り返し、即興演奏の新しい形を見つけ、新しい要素を試し、 互いに影響を与え合って、コミュニケーションという言葉の美しい解釈の中で、自由に即興音楽を発展させています。
観客もまた目覚め、増殖していくようです。生き生きとしていて、多面的で、ハッとさせてくれる即興音楽を楽しむ人は、まるで民族音楽やクラシックを楽しむかのように拡大しています。今日の音楽の夜明けから数十 年経った今、その楽しみはより幅広いものとなって、人々の耳、そして心へ通じる道を辿っています。
耳慣れ てしまったあまねく宇宙の響きに挑戦する、このチャンスと脅威のもとに集った世界の人々を歓迎し、古き形式は新しきものに道を開け始めたのです。
世界各地のインプロヴァイザーズオーケストラは、良い意味で皮肉にも、世界市民の精神とは逆行して、地域的特徴をもった、彼ら独自のいわばアクセントや方言を自然に発展させています。これらのやり方は、それぞれ中に生まれ育った風土を堅持しつつ、 それぞれ他のオーケストラからやってくるゲストのメッセージや、もたらされる音楽的ニュースも反響、反映させるものなのです。
(第一回に寄稿のメッセージより抜粋)ウォルフギャング・ギオグスドルフ(芸術家・ドイツ)

2012年7月10日火曜日

現代舞踊展終了しました。再演することについて

現代舞踊展「ハコニワニハニワトリ」無事終了しました。

今回は3度目の正直ではないですが、無事、(初めて?)終りました。
あまり威張れたことではないですが、今回のように幕(最初と最後でオペラカーテンを使うが、この練習は本番の日の1回のみ)を使ったり、小道具(ロープ、木)がある舞台でパーフェクトにできるというのはかなり難しいことでもあるのです。

思えばラッセルカンパニーで、初めての舞台のとき、(Transmission 初演はカンヌのフェスでした。トリプルビルの一演目)勢い余って一回転びしかもその勢いで一回転後転までして(!ラッセルはかなりびっくりしたらしい)そのまま続行したこと。おまけに衣装のパンツがやぶけて「またさけ」状態になってしまったけどそのまま踊り続けたこと。今でも覚えています。
衣装についてはその後3回くらい壊れているのですが(冗談みたいです)、衝撃的でした。上に来ていた茶色のトップスはカンヌへ向かう空港の免税店でたまたま見つけてしまったものでした。最終的に衣装のかたちが決まったのは半年くらいあとのこと。

ラッセルさんは
はじめての航海だ、これから旅にでていくというような話しをしていたことを覚えています。
作品を上演するたびに何かをみつけ、何かを変えて練り直していきました。ある意味贅沢なことです。でもそうやってお客さんとともに作品は成長していく。

たまたま海外にいて、しかも特殊なカンパニーにいて経験できたことではありますが、本当は作品とはそうあるべきであり、一回公演しておしまいというのであれば即興の方がはるかに面白いかもしれません。
練り上げ、積み上げていくからこそできるものもある。時間を経て(ハコニワの初演は昨年9月)見えてくるものもある。そのために振り付けはあるのではないかと思うのです。

ラッセルカンパニーにいたはじめのメンバー(私が入ったときの元メンバー)の中には「同じことばっかりやっていて、あきちゃったわ」とか「新しい作品がいい」とかいう子もいました。私は賢いタイプでなかったせいか飽きることはなかったし、毎回踊るたびにできなかったことや、今まで見えていなかった何かに気がついたり、出会ったりしました。よい作品というのはいい意味でアブストラクトで多くの意味を含んでいるのです。不器用なダンサーゆえに、そう感じるのかもしれません。


日本ではなかなか再演をする機会はありません。
でも、本当は深めていく作業というのが必要ではないでしょうか。

ハンダさん(振付家)は「今回はじめてできたようなきがした」と話しました。
私もそうおもいます。
こうして再演の機会をつくってくれたハンダさんに感謝。
でもって不器用ダンサーでごめんなさい。





おまけ
不器用ダンサーですが、依頼があればいろんなところで踊ります。
リハーサルに少々時間が必要ですが、どこへでも。
自分の作品を踊るだけでは世界が狭くなるので、たいがいのことはやってみます。ご興味のあるかたはぜひお誘いくださいませ。(ただし、フリ覚えの悪さはあらかじめいっておきます。)




2012年7月4日水曜日

ダンスを教えるということ② 日本のダンス教育について

「ダンスを教えるということ」というタイトルで前に書いたのですが、福原隆造さんというスロヴェニア在住のダンサーさんよりご意見をいただきました。
http://ryuzodance.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html

実はこの項目だけ読んでいる人の数が通常の5倍以上にふくれあがっていて、いったい何事か??と思っています。逆に言えば、興味を持った人が多いのかもと思い、補足説明のための項目をつくろうと思います。

今回は日本のダンス教育現場の現状についてです。
一般的な意味でのワークショップなどと異なり、今回は学校でのダンス教育というものを扱うのがよいのではないかと思いました。
私自身、各お稽古場の方針や方向性よりは学校の中でプロフェッショナルを育てていこうということに疑問を抱き、前項を書いたのと現状を知らないとこれらを読んでもよくわからないと思うので。

私自身のたどってきたダンス教育は
個人の稽古場に通う(札幌にて身体育成法をベースにしたモダンダンス、東京にてバレエをベースにしたモダンダンス)
大学にて舞踊教育学を専攻する(現在はこの学科名はなくなりましたが、コースというかたちで残っています)
中学高校の非常勤講師として保健体育の授業の一環でダンス指導を行う
ついでに(こっちがメイン?)ダンス部を指導する
海外(フランス)でフェルデンクライスをベースにしたダンスを学ぶ
海外でカンパニーダンサーとして働いたついでにワークショップのアシスタントを行う
大学で身体表現法の授業を担当する
短大で幼児体育(幼稚園の先生を目指す学生向け)の授業を担当する
海外から来たダンサーのワークショップ・作品制作をサポートする
一般向けワークショップを手がけたり、そこから作品制作をはじめる

となっており、学校教育のなかでダンスがいかに取り入れられたかをみてきたと思っています。また、中高、大学それぞれに所属していたので、その違いについても考えていきたいと思います。

1大学の「舞踊教育専攻」とは何を学ぶのか
私がいた学校は女子体育の流れから舞踊を学ぶ学科ができたということで「文教育学部」の中の「保健体育教員養成学科」に相当しました。
なので、保健体育教員(中高)免許をとることができ、そのための授業(各種球技、運動理論、教育心理など)が開講されていて、それに追加してダンスの授業がありました。しかしながらどちらかというとダンス理論(解剖学、運動学、歴史、美学、民族舞踊学など)が多く、実技は週に1、2回あるかどうかというかたちでした。
ダンス実技の授業としてはモダンダンステクニック、バレエの他舞踊創作法という名前での創作に時間を費やしていました。
なお、毎年4月には卒業公演があり、有志だけですがAll Japan Dance Festival KOBEというダンスコンクール(高校大学向け)に参加したりします。私も参加していました。
卒業後の進路としてはほとんどが一般企業(銀行、ITなど)に就職します。(当時)現在35歳になる私の世代は教員になった人間が多い学年で、とても珍しいといわれています。私は非常勤でふらふら(文字通り)していますが、私の他に大学に2人、中高に2人、同期の20人の中から専任教員がでています。
逆に俗にいうダンサーになるのはさらに珍しく、仕事につきつつ踊ることがおおいですが、たまにいます。私も人のこといえませんが、海外に出て行ってしまう人が年に1、2人。
ちなみに定員は1学年15人です。



2大学でダンスを学べるところはどれくらいあるのか
当時はまだ珍しかった「舞踊」教育学科でしたが、現在は日本女子体育大学さん、日芸さんなどかなり増えています。他にミュージカルを振付けるというお仕事で伺った玉川大学さん(当時アシスタントをしてくれていた子はNYでダンスを続けています)、桜美林さん、京都造形さんなど演劇やパフォーマンスの一環としてダンスを学ぶ学校も多くできました。教員養成のためのシステムではないので中高教員に必ずなれるわけではなりませんが(ちなみに私の母校でも授業カリキュラムのとりかたではとることができない)、その分実技指導に力を入れているため、在学中に多くの公演を経験することができます。ダンスの他ミュージカルなどで活躍する卒業生もいます。また、マネージメントなどを学び、制作など舞台に携わる仕事に就く人もでてきます。

最近は舞踊を高校で専攻する学生がでてきました。都立総合芸術高校にはコンテンポラリーダンス科があります。韓国では既にありましたが、ダンサーという職業を目指すのであれば低年齢化は当然ともいえます。韓国のダンス事情についてもまた書かねばなりませんね。




3しかしながらダンスだけで生きていくことはとても難しい
のが現状です。
これは日本に限ったことではなく、スロヴェニアにいる福原さんもそういっていますし、ロンドンで活動していたときに一緒にいた若手振付家たちは皆そうでした。若手じゃない振付家でも、例えばラッセルさんは長いことスェーデンマッサージで暮らしていたと話していたくらい。で、何かの副職につきながら踊り続けていくという形態になります。
踊りを教える(学校にて、ワークショップでなど)
手に職をつける(ラッセルさんのようなマッサージの他、映像写真技術、ウェブ関連などがおおい)
とりあえず生き延びるためにカフェバイト
といったところでしょうか。これはロンドンだろうが、東京だろうがあまり変わりません。

なお、海外生活が長かったのですが、ビザの問題は大きく、他で仕事をすることができなかった(特殊技能の持ち主としてよんでもらったかたちになっていた。他で仕事をする場合は別にワークパミットが必要になるが、手続きが面倒なのでなかなか出してもらえない)ので、当時私は「ダンサー」業だけで生活をしていました。ヨーロッパの子たちは他のカンパニーのオーディション受けたり、バイトしたり様々にできていたのですが、なにぶん仕事がない時期は無収入になるため、日本に帰ってきたりもしていました。私と同じカンパニーにいた韓国人はかなり苦労していました、、、。(節約コツコツ型のきのとダンサー職の華やかなイメージにひかれてきたシンの違い。私の場合1作目のtransmission/pushツアーがかなり大きく、そのときの収入をためておけたが、あたらなかった2作目から入ってきたシンは本当に厳しかったと思う)
ダンスをつくる(振付ける)のも仕事で、実際Place prize、Spring loadedと最後の1年位いくつか手がけました。これらもまたワークパミットやらビザやらで大変なことになり、このためだけに出国入国をする、サドラーズ・プレイスに書類をつくってもらうなどかなり迷惑かけまくりでした。

ダンスで生きていくためには何らかの副職が必要で、それを何にするか、また副職に就きやすい環境はどこか?ということを考えていて、日本に帰った方がいいのでは?と思った次第です。

もしロンドンではなくフランスでダンサーになっていたら、帰ってこなかったかもとは少し思います。他で働く可能性がでてくるので、それはそれで成り立つ可能性がイギリスよりは高い。もしくは結婚するという裏技(結婚すると配偶者としてビザがもらえます。なのでどんな仕事にも就くことができるようになる。あとは大学院でマスターをとると2年自由に仕事を探すビザがおりるといわれていました)もあったのですが、まあ、それはさておき。

海外に行けばダンスの仕事につける!と思う若い学生さんもいますが、そんなに簡単ではありません。



4ダンスを教える場所
ダンスを収入の手段にしようと考えたとき、需要と供給を考える必要があります。有名なひとならともかく、そう簡単に人は集まってくれないので、なかなか苦労します。
大学(ダンス専門の学生向けの他、一般教養の体育枠でのダンス授業)
中学高校の保健体育の授業(ダンス必修化で評判ですが、現在は現場の先生が四苦八苦しています。でもそのうち専門の人をそのときだけ呼びましょうというシステムになるのではないかと思っています。)

この辺りは自動的に学生がいる状況なのでよいのですが、
ワークショップを自分で開く
お稽古場、スタジオを運営する
スポーツクラブなどに組み込んでもらう

となってくると、「ダンスを踊ることのメリットとは?」を「売り」にしなければできません。「やせる」「たのしい」「ストレス発散」、自分がしているものとはちょっと違うかもという気がしますが、それでもダンスをしってもらうことはできます。ダンスをみたことがない、踊ったことがない人が多いので、まず裾野を広げるということは大切です。そう思って、一般の方向けのダンスワークショップを開くことがあります。AMANOGAWAプロジェクトもまたそのような意識からつくりました。

ダンスのスタイルがはっきりしているとこういうことをしていますというのが説明しやすく、イメージしてもらえやすいです。「コンテンポラリーダンス」よりは「バレエ」「フラダンス」「フラメンコ」「社交ダンス」などのほうが人気があるのもよくわかります。ある種の目標がみえていないと人は動かないし、集まりません。
カルチャーセンターで教えていた(渡欧前)ときは「バレエリフレッシュ」というクラス名でした。前にも書きましたが私はクラシックバレエの人間ではないので、ちょっと詐欺っぽいですが、バレエの技術は取り入れているのでよしとしました。

「ダンスはこういうもの」と説明できる
「ダンスは楽しい、面白い」などのイメージをつくる
「ダンスを続けよう」と思わせる目標設定を行う
そしてそれをできるコミュニケーション力、会話力、何らかのダンス技術をもつ

この3つを行えないと日本でダンスを教えるのは難しいのではないかと考えています。

ダンスを教える現場はダンスを知っていただく貴重な場ですが、自分が踊っているものがそのままつながっているわけではなく、それを取り入れつつ、わかりやすくまとめていくのが教育現場で必要なスキルではないかと思います。


なお、自分のテクニックを考案し、それについてくる人が一定数以上いるというところまでいければ、それはそれで自由に続けていけると思います。舞踏の稽古場などがそうなります。福原さんの話しにあるとおり、欧米での舞踏人気は確実にあります。私は日本でアフリカンダンスが人気というのに似ていて、自分の文化にはない考え方・動き方に興味を持つのだと思っています。ニヤカムさん、面白いです。



5授業の中のダンス
授業の一環としてダンスを教える現場にもいました。
私学、国立の中学校、高校の一部にはダンスを通年の授業で取り入れている学校もあります。体育祭のマスゲームやラジオ体操、マット運動などもあわせてですが様々なダンスを取り上げました。評価の関係もあり、目標設定はスポーツクラブ以上にはっきりと行わねばなりません。渡欧する前の6年近く(途中中断はあるものの)中高の現場でいろいろ試行錯誤を繰り返したことはとてもよい経験でしたが、今中高の教育からはなれているのは、ダンスを評価できるかというところでつまづいたからです。
5段階評価で評定をつけねばなりません。5を何人1を何人につけなければいけないという方式ではありませんでしたが、評価の平均値をいくつにしなければならないなど規定がいくつかありました。きれいに踊れる・踊れないではなく、授業での参加度合に重点をおいて決めていましたが、他の種目(例えば球技など)とあわせての評価になるため、その理由を明確に話せるわけでもなく、微妙だと当時から思っていました。
ダンスによい悪いはあるのかという疑問は、大学時代からずっと抱えていて、コンクールで文部大臣賞をもらうのはうれしいが、でもその基準って何だろうとひっかかっていました。(コンクールとその弊害についてはまた別に書かねばならないと思っています。)
何回かひっかかったり、つまづいたりしながらその学校の先生方と話し合いをしてきました。とても感謝しています。
私が教えていた学校には当時教え子だった子が大学を卒業して教員として戻ってきて教えています。(きのさん、年いくつ?といわれてしまいそうですね)

現在教えにいっている学校のうち一つは身体表現という枠の中美術とダンスを学ぶ授業です。様々なダンスをしながら、身体に関する文化の違いを感じるための授業で、評価も実技レベルではなく授業を受けたことから何を考えたかレポート(テスト)で論述してもらって出します。一般の学生さん(しかも男子学生多)なので、できるだけわかりやすく各踊りを説明、触れてもらい、興味を持ってもらうことを心がけています。ダンスを通じて文化について考えるのが大事なので、クラシックバレエから盆踊りまで幅広く扱います。

もう一つは幼稚園の先生になる学生向けの幼児体育という枠で鬼ごっこや手遊びなどからジェスチャーゲーム、絵本の表現遊びなどを展開します。遊びに目を向けた中から「こどもたちのうまれるとき」や「AMANOGAWA」は生まれました。ちょうど日本の昔ながらの遊びをニヤカムさんは「タカセの夢」に取り入れましたが、ほぼ同時期とてもいい経験となりました。今でも授業で静岡版はないちもんめの話しをします。


一応ダンスに関係した仕事についているようですが、自分がしていることとは全く異なるものを扱っているような気持ちは常にあります。でもそれもまた新しい出会いがあり、新しい学びの現場でもあるので(私にとっても)、なんとか続けています。ラッキーなことに。またいろんな人の助けと協力があってこそつづいています。しかし上記の身体表現のようなクラス展開は他できいたこともないですし、中高の年間を通じてのダンス授業も特殊事例だと思います。なので、一般的にはダンスを学校で教えるという仕事はまだまだ多くありません。


以上のような日本の現状と私の経験をふまえて前回の文章が書かれています。
また福原さんのように日本の事情をよく知る人はよくわかっていただけると思いますが、この10年くらいでダンスの状況は大分かわってきました。授業の必修化により、今後需要は増える可能性があります。
ダンスを専門に学ぶのがいいことなのかについてはこのような状況なので疑問があります。が、全く道がないわけではなく、いきのび、活躍している人もいます。あまりにも個々の資質によるところが大きく、それは教育の力ではないような気がしますが、そのシステムの網の目のこぼれおちたところあたりをもらって生き延びている感じな私としては「あり得ない!」ことではないということしかいえません。
ダンス教育を学校で受けなかったとしても、様々なかたちで生き延びる方法はあります。もしかしたらダンス馬鹿になるよりも、全く異なる専門をもっていた方が生き延びやすいかもしれません。知り合いの振付家さんは衣装制作で生計をたてていたし、その発想が作品を豊かにしていたりもします。
ダンスを突き詰めつつ、柔軟性をもってきりひらいていくことができるようになりたいと思います。
一方で渡欧前に教えていた学生さんたちが生きていけるような環境作りをしていくことが先に生きてしまった人(先生)としての義務かなあと感じはじめました。現在イスラエルにいる教え子が、前に帰ってきたときにそろそろ帰ろうかなあとか迷うんですと話していたり。「帰る帰らないはどっちでも大丈夫だよ、いざとなったらいつでもかえって来れるよ、生きていけるよ」とみせれるようになりたいとは思います。その上ですきな場所を選べばいい。私の場合生きていけるよ基準値が恐ろしく低い可能性もありますが。



あまりに長くなってきて疲れてきました。
韓国ダンス教育の話し、コンクールの話しはまた別に書かねばいけませんね。





















2012年7月3日火曜日

nomades熊谷さんより福島支援について

熊谷さんは実は福島出身。
自分のできる範囲で様々な活動をはじめている様子。
ご興味のある方はどうぞ。







来週、千駄木で「千成ほおずき市」があり、私の田舎(福島・いわき)の支援ブースを出します。
震災後1年3ヶ月、時間の経って良くなっているところもあれば、逆に温度差が広がっている部分、ますます複雑な問題が起きている等、復興には時間と人の力がまだまだ必要と感じております。
多くの方に足を運んでいただき、応援、ご支援いただけましたら大変心強くありがたく思います。
お忙しいとは存じますが、お誘い合わせの上お立ちよりいただければ幸いです。
いわきからお酒や写真などいろいろ運びました。
谷根千地域の方々の手作り市、楽しい出店、コンサートなど、イベントもあります。
どうぞよろしくお願いいたします。

【ふくしま・いわき・応援隊 FIO ブース】@駒込大観音光源寺 ほおずき千成市
内容;☆福島・いわき市の物産販売とインフォメーション、写真、映像展示、義援金支援金の募金、

■日時;7月9日(月)、10日(火)14:00~20:00 ※20:30ごろまでやってます。雨天決行

■場所;大観音光源寺
    文京区向丘2-38-22[地図] Tel 03-3821-1188
【交通のご案内】
東京メトロ南北線「本駒込」駅1番出口より徒歩3分
東京メトロ千代田線「千駄木」駅 1番出口 団子坂上がり徒歩10分
都営三田線「白山」駅より徒歩8分
地図→http://www.city.bunkyo.lg.jp/gmap/detail.php?id=10037

四万六千日供養・防災訓練・奉納パフォーマンスのスケジュールなどはこちらをご覧ください。
http://ameblo.jp/hoozuki-sennari

<販売物>
・久之浜商工会プロジェクト「花の種」バック、
・ダイゲン(四倉)のきざみ昆布、
・石井酒店のお酒(又兵衛、磐城寿)、
・親ばかトマト(助川農園)→冷やしトマトもあります!
・長久保の漬け物、
・磐城高箸「希望の架箸」、他、

<写真、映像>
・久之浜商工会からの写真、
・光源寺隊活動記録写真と映像、
・いわきフレンズ震災支援コンサート記録映像

<配付資料>
・いわき市観光ガイド、パンフレット
・いわきブランド農産品通信50号、51号
・「つながる思い、まちの絆」ふるさとだより4月号、6月号
・他

<募金>
久之浜地区除染費用補助、震災支援を現地で行っている方への資金、
音楽とアートで元気になろう「ボランティアグループアクション;福島を元気に」プロジェクト資金
※久之浜公民館館長さん当日いらっしゃる予定です。

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【ほおずき千成り市】について 谷根千工房より
観音さまの縁日。縁日の起源は浅草浅草寺のほおずき市と同じで、 この縁日の期間にお参りすると四万六千日分(≒126年!)の御利益を得られるというありがたい日によるものです。
千駄木、向丘、谷中地区の地域の方々による手作り市です。

 しかし光源寺のほおずき千成り市では、もう一つの目的として、縁日で使うテントや調理器具は 災害の際の避難場所や炊き出しの道具として 使えるのではないか。
 この縁日で培った近所同士の団結力は、万が一の災害の時に大きく生きるのではないか、という思いがあります。

 昨年起きた東日本大震災では、調理器具を使用し、仲間で集まり、被災地に届けるため数千個のおにぎりをつくりました。地域の方でなくても、訪れていただいた方々に何か人の温かさのようなものを感じてもらいたい、それが一番伝えたいことです。ぜひ、お出かけください。

 谷根千工房では福島の声を届け、これからの生き方と未来を探る支援型雑誌「J-one
ジーワン」(現在3号まで、定価500円)を販売します。この雑誌はほおずき千成」り市に先行して、道灌山下の古書ほうろうでも発売中です。ぜひ、手に取ってください。「J-one」の詳細はこちらです。http://www.j-one21.jp/

AMANOGAWAのみなさんとツアー/8mmについて

昨日AMANOGAWAの皆さんと久しぶりにお会いしました。
アンケートをみたり、感想を聞いたり、久しぶりの楽しい時間を過ごしました。
巣鴨教会の礼拝にいってみようツアーに始まりお茶会@タカセを経て古里麻衣さんの8mm上映会@池袋ベムスターまで長い一日でした。もちろん全員がそろうはずもなく(そろったらまたお店など大変なことになっていただろう。池袋はどこも混んでいました)、半分くらいではありましたが、近況報告など盛り上がりました。
AMANOGAWAで面白い!とおもったのか、芝居やダンス、舞踏をはじめた方もいます。今後も楽しみです。
また、教会に興味を持ち、礼拝も驚きと楽しさと感じながら参加したり。(なお、昨日のお話では牧師さんが昔はロックをやっていた時代があることが明らかになり、さらにそのロックスタイルでオルガンを弾いていておこられた過去も。現在の教会は規則も緩やかになり、かわってきましたが、昔は厳しかったそうです。)
8mm上映会(http://spicefilm.blog.fc2.com/、ダンコレおそとダンスでお世話になっている石川亮くんの企画)では通常の映画とは違う独特の雰囲気に驚いたり、様々な表現にみいったりしました。
フィルムがデジタルにかわってきていて、8mmもどんどん減ってきているとか。

富士フイルムの8ミリフィルム、シングル8(R25N)が今年の3月分で最終出荷となりました。
コダックのスーパー8は、生産終了のアナウンスなどは出されていないものの、
米国Kodakが破産法適用申請し(日本法人コダックは適用外)、先行きは明るくありません。
手軽にフィルムで映像を残せる最後のチャンスが近づいています
シングル8の現像サービスは来年平成25年9月で終了となります。



とのこと。
大変!!
きの作品のなかではLED電球への切り替えがすすんでいて、俗にいうクリアのタイプの電球が入手できなくなるので、そのうち買いだめしなければと思っていました。同じような問題は3年前まだロンドンにいるころ、IchIの再演で発生し、心臓に悪いおもいをしました。(なお、もしもIchIをヨーロッパで再演する場合はLEDに完全に切り替えねばなりません。200Vなので、日本で電球を買っていってもつかえないのです)ついに日本もか、、、。効率化、省エネ、大事なことですが、ちょっと寂しいきもします。。。
IchIはそんなこと考えていないでつくったのですが、白熱球からLEDへの世代交代を象徴しているような作品(特に青山バージョンでは最後にLEDライトが客席を照らし、青白い影ができる)になっていて今思うとものすごく「コンテンポラリー」な作品だったなあと思います。

時代の変化は確実に訪れています。