現代舞踊展「ハコニワニハニワトリ」無事終了しました。
今回は3度目の正直ではないですが、無事、(初めて?)終りました。
あまり威張れたことではないですが、今回のように幕(最初と最後でオペラカーテンを使うが、この練習は本番の日の1回のみ)を使ったり、小道具(ロープ、木)がある舞台でパーフェクトにできるというのはかなり難しいことでもあるのです。
思えばラッセルカンパニーで、初めての舞台のとき、(Transmission 初演はカンヌのフェスでした。トリプルビルの一演目)勢い余って一回転びしかもその勢いで一回転後転までして(!ラッセルはかなりびっくりしたらしい)そのまま続行したこと。おまけに衣装のパンツがやぶけて「またさけ」状態になってしまったけどそのまま踊り続けたこと。今でも覚えています。
衣装についてはその後3回くらい壊れているのですが(冗談みたいです)、衝撃的でした。上に来ていた茶色のトップスはカンヌへ向かう空港の免税店でたまたま見つけてしまったものでした。最終的に衣装のかたちが決まったのは半年くらいあとのこと。
ラッセルさんは
はじめての航海だ、これから旅にでていくというような話しをしていたことを覚えています。
作品を上演するたびに何かをみつけ、何かを変えて練り直していきました。ある意味贅沢なことです。でもそうやってお客さんとともに作品は成長していく。
たまたま海外にいて、しかも特殊なカンパニーにいて経験できたことではありますが、本当は作品とはそうあるべきであり、一回公演しておしまいというのであれば即興の方がはるかに面白いかもしれません。
練り上げ、積み上げていくからこそできるものもある。時間を経て(ハコニワの初演は昨年9月)見えてくるものもある。そのために振り付けはあるのではないかと思うのです。
ラッセルカンパニーにいたはじめのメンバー(私が入ったときの元メンバー)の中には「同じことばっかりやっていて、あきちゃったわ」とか「新しい作品がいい」とかいう子もいました。私は賢いタイプでなかったせいか飽きることはなかったし、毎回踊るたびにできなかったことや、今まで見えていなかった何かに気がついたり、出会ったりしました。よい作品というのはいい意味でアブストラクトで多くの意味を含んでいるのです。不器用なダンサーゆえに、そう感じるのかもしれません。
日本ではなかなか再演をする機会はありません。
でも、本当は深めていく作業というのが必要ではないでしょうか。
ハンダさん(振付家)は「今回はじめてできたようなきがした」と話しました。
私もそうおもいます。
こうして再演の機会をつくってくれたハンダさんに感謝。
でもって不器用ダンサーでごめんなさい。
おまけ
不器用ダンサーですが、依頼があればいろんなところで踊ります。
リハーサルに少々時間が必要ですが、どこへでも。
自分の作品を踊るだけでは世界が狭くなるので、たいがいのことはやってみます。ご興味のあるかたはぜひお誘いくださいませ。(ただし、フリ覚えの悪さはあらかじめいっておきます。)
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