前回までを書きながら、私の中で大きく残っているのは
ダンスがうまいとは何か、よいとは何か?という疑問である。
現代舞踊展もそうなのだけれど、世の中には本当に多くの作品の発表の仕方がある。これはいいけれど、これはだめという基準はどこにあるのだろうと長いこと考えている。
私はたまたま2種類のコンクールを経験してきた。
ものすごく特殊な世界だと今でも思っている。
これらのおかげで、現在の活動ができているというのも一理あり、何ともいいがたい。が、ここにこだわると見えなくなることも多い。
あえて、それをふまえ、今回はその2種類について解説をつけたい。
おそらくコンテンポラリーダンスの人でも知らない人も多くいるに違いないだろうからだ。
①All Japan Dance festival in Kobe
http://www.ajdf.jp/
毎年夏に神戸で行われる高校大学のダンスのフェスティバル。コンクール部門と参加部門があり、ダンスの甲子園ともいわれるようになる。特徴的なのは予選も現地で開かれるため、本当にものすごい数のダンサーが全国各地から集まってくる。(それだけでもすごい経済効果だと思う)
第1回のころにコンドルズがであった話し(当時珍しかった男性は楽屋が一つしかなく、学校を超えた交流が始まったのだという)をきいたことがある。ちなみに私が現役の学生として参加していたのは8回(阪神大震災の影響で東京で開かれた会)10回。その後高校生の指導者というかたちで何回か神戸に通うかたちになった。
高校生は4分半、大学生は6分半という短い時間で30人近くのダンサーが踊る。(規定では5人以上30人未満)えらい迫力だ。しかも当時は外(近くの公園など)で練習したりしていて、それもすごい光景。(その後熱中症などの問題や周辺への迷惑を考慮して禁止されたらしい)
この会が始まった頃にはここまで大きな規模になるとは考えていなかったに違いない。
特に高校生の部門についてはどんどん熱気を増しており、卒業生の進路(推薦入試・AO入試)などに関わってくることもあり、かなり指導者の力は入っている。(そういう意味でも甲子園的だと思う)およそ半年(学校によっては1年)がかりでここで発表する作品をつくっていく。
大学の先輩が「これは宗教だよね」といったくらい。
まだヨーロッパに行く前のこと、某振付家さんに「でもこれだけの会なのに、そこから振付家がでないのはなぜ?」ときかれたことがある。(一応私振付家なのだけれどな、と思った記憶がある)当時の感じだと大学時代に燃焼しきって、卒業したら普通に就職するという人が多かったようだが、現在は大学卒業後そのままダンスを続ける人が増えつつある。海外に出て行く、あるいはアルバイトをしながら続けていくなどの職業の選択の幅が広がった(非正規雇用の問題はあるにしても)からだろうか。
大学時代のつながりがあるとベースになるテクニックを共有していたり、長い時間をかけて作品作りを行えたりというメリットがあり、グループワークもつくりやすくなる。これまで日本のダンスはソロ・デュオが多かったけれど、最近グループ・カンパニーが増えているのもそのような流れではないかと感じている。
毎年NHKで番組が放送される。一見の価値あり。できれば神戸で決選をぜひ。あの独特の緊張感は他にないと思うので。
(大学のダンスのコンクールは他に富山で少人数作品のものが行われている。私が学生の頃はまだなかった。当時はアーティスティックムーブメントin Toyamaという名前で関東圏の大学5校を富山にご招待by いせ卵というイベントで、富山の一般のお宅にホームステイさせていただいたり、河原敷で踊るなどなかなかできない経験をした記憶がある。村おこしと、将来の嫁不足対策ときいたが、確かに今でも富山といせ卵には特別に思い入れがある。)
②Yokohama dance collection Solo Duo Competition
一応2003年の受賞者(横浜市芸術文化振興財団賞)で、一昨年受賞者公演を行わせていただいた。ちなみに今年赤煉瓦倉庫リニュアール10周年記念ということで受賞者ショーケースが行われるが、それをみると確かにすごい顔ぶれだということに気がつく。
いろいろあって、ここで作品を発表することが多い。「Edge」(2003)、「箱女」(2004)、「OVO」(2007)、「かめりあ」(2010受賞者公演)。なのでここに育ててもらった意識がある。
その昔石川さん(当時館長)とお話したときに、アジアのショーケースとしての意味もあるのでいろんな種類の作品を選ぶようにしているという話しをしていたことを覚えいている。だから選ばれたからといって他より優れているということとも違う、と私は今でも思っている。
当時は応募した作品と上演する作品は異なっていてよかった。ここで選ばれなければEdgeは生まれなかった。これだけの大きな空間で踊るということはそれまでなかったし(ちなみに初めてつくった20分の作品はSTスポット)、劇場リハーサルが70分(確か)とれる環境でつくることは今までなかった。70分のリハというのはあっという間だが、それまでの私が踊ってきた環境では作品時間の半分くらいの時間で場当たり、一回通して終わりとか、照明の確認はできないとか、舞台装置は使えないとかそういう状況だったので、舞台ってこんなこともできるんだ!という単純な驚きと喜びに出会ったのがダンコレだった。舞台とは総合芸術であるという言葉を実感したときだったと思う。
どのように水音が響くか。
聞こえるか聞こえないかわからない音とは。
光はどこから差し込んでくるか。
そういうわけで、もしあのときダンコレに参加していなかったら、踊りの作り方、発想の仕方から全く異なっていたと思う。なので、とても感謝している。
正直、これだけちゃんとできればいいものができないはずないと思った。逆に言えばそのはじめの一歩目をふむことができたこと、それはありがたいとしかいいようがない。少しでも多くの人に体験してみてほしいと思う。
今だと学校の授業の一環として学べるのかもしれないが、私はここで当たり前のことを知った。その後それぞれの劇場で試行錯誤しながら、スタッフさんと相談しながら、照明さんと実験しながら作品をつくり続けることになった。
2010年森下真樹さんとお話していたときに(かめりあは森下さんとカップリング公演)あのとき人生が変わったと話していた。それは私も同じで、上演場所が増えたり、海外に行くことになってしまったりした。踊っていてもいいのかもしれないと初めて思えた。その一歩を踏み出すきっかけをくれたのだから、コンクールやコンペを否定できない。
ただ選んでもらっていうのは変な話しだが、なぜこの作品が?というのは時々おこる。私の年も岡本さんのまばたきくぐりなど名作もたくさんあったのをしっている。賞をもらったからっていいわけではない。賞をもらうことよりもそれぞれの表現に磨きをかけ、ダイレクトに作品を売ることを考えろというのがダンコレがショーケース化しつつある理由だと思う。
ロンドンのThe placeにはResolution!という公募企画がある。
大学(あるいはダンス学校など)を卒業し、これからどうしようと思っている若者に劇場かすから面白いものをやってみろ!というもの。1ヶ月半くらいの間に一日3作品(各30分)100作品ほどを上演する。劇場リハは確か3時間。スタッフは死にそうだが、そこでできてしまった作品をいろんな企画に応募したりできるようになる。そこからのし上がっていくかどうかはそのグループ次第というわけだ。
私自身がResolution2回、spring loaded(プレイスの春フェス)、place prize, spring loadedで改訂再演という成長過程を経ていくことができたのはプレイスが学校に付随してある劇場であり、若手の育成に力を注ごうとかわっていった過程とも関係している。
おそらく、バニョレがかわっていったように、俗にいうコンクールやコンペも形態はかわっていくものと思う。そしてコンクールやコンペをとおらずどんどん活躍していく振付家が出てくるようになっていくべきだと思っている。コンクールの恩恵(?)を受けている身ではあるが、心からそう思う。
2012年7月14日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
セッションハウス→平原慎太郎さん(http://blogs.yahoo.co.jp/lazaric_life/62972349.html)から、ここに来ました。 実践現代ダンス入門として、ぼくもたくさん学ばさせてもらいました。 彩子さんのこの熱意が、なんにしろ、さまざまな障害とよばれるようなことも動かしていくんでしょうね。 素晴らしいです。
返信削除文平くん
返信削除こんにちは
平原君ブログもよみました。(なるほどそのせいでこのページを見る人がふえているのかもしれません)平原君も北海道ダンスつながりがあるのですが、とても(おそらく私の知り合いたちの中でも確実に3本指に入る)熱い人です。
人によってたどってきた道も目指すところもかなり様々なので、とても参考になります。がんばらねば!と思います。
舞踊意外にも専門をもっているというのはとても大事なことだと思っています。舞踊プラスα。勉強は大変だろうけれど、きっと作品にあらわれるのだと思います。おたがいがんばりましょうー
彩子さん
返信削除彩子さんが言われるように、
舞踊が動くこと、生きることに限りなく近づいてくればくるほど、
舞踊+α=その人の存在の妙味に近づいてくるのでしょうね。
おたがいがんばりましょーー
ありがとうー
返信削除8月の公演もがんばってね。(@赤煉瓦ダンスクロス)