東京芸術劇場にて勅使河原三郎ディレクションU18デモンストレーションを見に行く。
タカセの夢に関わり4年。劇場主体の中高生育成ワークショップがあちこちでおきていて、とてもうれしく思う。芸術劇場のこれは舞台ではなく、あくまでデモンストレーションということで、実際のワークショップの延長で行われた。
全編で勅使河原さんが指示しながら、ワークショップの部分を見せつつ解説をしていく。
子供たちへの言葉掛けもつづく。
とにかく身体をゆるめること。身体をのばしていくこと。そして和を保つこと。音楽を聴くこと。呼吸をすること。すべて勅使河原作品に通ずる内容であり、私自身がしていることにとても近い(学校で教える内容とはことなるが)と感じる。ゆるのびも発展するとこうなるのかもと思う。
ディレクションが明確なので、わかりやすい。
子供たちもよくついていく。でも必死だ。
タカセの子供たちと違うのは終って笑顔はないということかもしれない。
ものすごくわかりやすく言うとタカセの夢で行っていることとU18の試みは真逆である。
タカセの夢は基本の型を与えられ、その中で子供たちは自分を探し、いつしか型を変えていく。
U18では自由のまま、しかし指示に従っていく。
最終的に作品にしたものではないし、実際のワークショップの現場はみれていないのでわからない。子供たちもきっとものすごく緊張したのだろう。
勅使河原さんの名言のうち
最も私にヒットしたのは「正しいということはない」ということ。
バレエの型を否定するのではなく(勅使河原さんはバレエの型が気になってしまうらししくかなり否定していたが)、それを利用し、さらに乗り越える。薬指にスパイラルを加えてみる、足から指をつないでみる、そのつなぎを変えてみる、見た目同じ動きであっても感覚は開いていく。新しい発見をし続けることができるのであればどんな形だろうと関係はない。
正しいを目指したところで見失う。
人生も正しいということはない。
いい大学に入れば、いい会社に入れば正しいわけではない。
いろんな生き方があり、いろんな可能性がある。
そんなことに私が気がついたのは結構最近の話しで、それを中高生できがつけれたら何よりもすてきなことだと思う。
この子たちが気がつけたのか?それは疑問のままだと思う。
ラッセルさんはあるときどこまでものびていくんだ、どこまでもつないでいける、そう考えたら(後ろへそる)動きの痛みもないし、いつまでも続けていける、ありがとうと話した。彼がそれに気がついたのは47歳か8歳か。バレエの動きを熟知し、その上にあるone part2の最後の後ろへそっていく動き。そこに気がつくまでにそれだけ時間がかかったということ。彼はそれをティレといっていた。
私はバーレッスンなど後ろへそる動きをするたびにそのことを思い出す。
言葉にならないその感覚を大切にしたいと思う。
また、
言葉にすること、指示をすることで見えなくなってしまうことも多いと私は思っている。言われてすることではなく、自分で気がついていけることの幸せ。そのための場をいかにつくるのかが教育であり、それはとても難しい。
0 件のコメント:
コメントを投稿