これは少し前の巣鴨教会牧師さんとの対話。
からたち、からたちからのあと、元々音楽家の牧師さんのご好意もあり、1階のスペースをおかりして時々練習をしている。(静の協力に巣鴨教会がのっているのはそのため)
牧師さんは自身もオルガン奏者(実はイギリスで賞を受賞していたりする)なこともあり、タイミングが合えば作品を見に来てくれるようになった。
なぜあなたはおどるのですか?ときかれて上手く答えられたかは疑問で、その後も考えている。
長いこと私はおどりなさい、といわれてきた。
あなたの踊りには何かあるから
とにかく続けなさいと。
ラッセルさんにいわれたのは、僕たちはただ君がおどり続けれることを助けたいんだと。君が笑ってくれればそれでよいと。(そのかわりカーテンコールで笑わねばならないというのもラッセルの教え。どんなに失敗があったとしてもそれらを含めよい経験であり、舞台にいることの喜びを観客に伝えなければいけない)
今年の春ヨーロッパをまわったときにも3カ所すべてで、あなた続けなさいと続けなきゃだめよといわれ、なぜ私が止めようとしているのか知っているのだろう?と思うくらいいわれ続けました。
いきててよかったという言葉はどれだけ響いたことかわかりません。
何が見えるかわからないけれど、何かあると思うといわれながら、
でも決して器用ではなく、既存の振付には対応できず、それでもいままでつづけてこれたのはなぜか。
技術はないかもしれない、でも様々な人の念をうけついできた。私がおどるときにはその念がみえますように。振付とかの次元ではないです。既に。でも私はそれを伝えるすべを持っていない。だから、私がおどる他なく、私はおどり続けています。
作品を作る上ですべてがつながってしまうときがある。それは神さまというかそういうスペシャルの存在がつなげたとしか思えないときがある。
からたちのときはたまたま偶然鳴海さんが紹介してくれた教会さんだけれど、母校のそばだったり、年が近かったり、合唱団の存在などつながっていってしまった。
かめりあのときも私の祖母がかなり記憶が怪しくなったときがあり、話しつづけた結果と杉劇リコーダーずのこれまでの活動から作った作品が重なってきた。
静は嵐を呼び(しろ静は台風を呼ばなくてよかった)、白静は私のまわりの多くの死と共に訪れた。作らなければならないときに私は作る。私が出会ってしまったものを形にするべくまとめる。
そういう意味でアマチュアだと思う。
広げる必要性があるのか正直わからない。
私はいわれてもいわれなくてもきっと作る。
それは助成を受けて作るべきかといえば疑問である。更にお客が増えるかというのも疑問である。ただいえることは、多分見た人は忘れないということだ。
その人がいきているうちはその記憶はいきていく。
そしてその記憶もいつしか消えていく。
それでも今この瞬間出会うために私は踊る。
いつかまた会う日のために。
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