うちの師匠が亡くなるその日の昼、私は病院にいた。
たまたまあいたその日、1週間前に話しそびれたことを話すべく、彼女のリクエストとともに訪ねたものの、既に話す段階ではないことを知る。
一期一会という言葉を思い出し、
既に遅かったということを知る。
骨格のみがみえていて。
私にはありがとうございましたということが精一杯でその場を去る。
DVDを作る際溝端さん(BankART cafe liveプロデューサー)に骨を書いてくれと頼まれる。
骨。
なぜこのタイミングで骨。
彼の中で何か死を感じひっかかったらしい。
その後顔写真も探す。自分でもとってみたりいろいろしたが、最終的に友人がとってくれた証明写真のような写真になる。(実際履歴書用だ)でも多分最も私をわかりかつ、最も素な写真だと思う。
一歩間違えると遺影のようなグレーの写真(元はカラー)。これまでの作品の集大成、しかもダンスのポトラッチ。なんだかこのまま死ななければいけないのではないかと思う。
実際DVD作成期間中死についてかなり長く話していた。さらにこのDVDを作るべく過去作品を編集しながら、ずっとずっとこの3年以上追悼し続けていたということに気がついた。すべての物事はつながっていて、私は今でも忘れておらず、私は今でもずっと空を見続けている。
そのことに気がついて「静」の再演を迎えた。
窓(ドア)を開き海へと向かう最後は静の心であるが(なお、静は子供を海へ流された後も生き延び静かな余生をおくったらしいが様々な諸説があり、全国各地に墓があるのが現状)、あまりに死にひきづられていなかったか。
突然思い切り髪を切り、驚かれる。
(ちなみにあまりに突発的だったので自分できる)
突き抜けるようなあおい空が見えないとうちの師匠は言い残した。
生まれ変わらねばならない。
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