2014年11月8日土曜日

藝といふものは実と嘘との皮膜の間にあるもの也。

「藝といふものは実と嘘との皮膜の間にあるもの也。」近松門左衛門 現実か虚実かが大事なのではなくその合間、どちらかよくわからないところをみる。 私の作品はノンフィクション色の強いものも多く(特に帰国後の作品は基本的に実体験に基づいている)、静等は非常に誤解を受ける。静だけではなく、これまでもそういう風に思われることが多く誤解のせいで変なお誘いをうけることが多い。一歩間違えるとセクハラだが、お客様だったりもするし、笑顔でかわす。そういう意味で本当にホステスとかに近いのだと思う。静御前の職業白拍子が徐々に娼婦化していくようなものだと思う。 実際には実ばかりではなく(特に静は静御前だ)虚の部分があり、演出として実の部分を削ったり付加している部分もある。 うちの同級生たちにDVDをみせるべきか迷っていて、エロさみたいなものは少なくしているけれども露出度も高いし、これをみて生活の上で離れてかれても困るなあと思ったりしていた。実際、これまで私の作品を見た人は2つに分かれ、すごい気に入ってくれる人とすごい嫌う人がいる。嫌う人は少数だけれど大抵ものすごい呪詛の言葉を発していく。また気に入った人のなかにも病んでいく人が多く、それも心苦しい。 普通、ダンサーだとみてみて!となるのだろうけれど、と思ってきた。 「完全な誤解の方が知られないよりはいいと思う」とは溝端さんの言葉。

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