2010年11月2日火曜日

みること

今回Edgeは二日間違う設定で行いました。
1日目はカメラの接写を客席でみるというバージョン。
2日目は客席を舞台上に設定し、近い目線でみる特別席の人もふくめてみるというバージョン。
すみません。どうしてもやってみたかったんです。気になっていたもので。

発想としては非常にシンプルです。
元の踊りはかわりません。(2003年のビデオより振り起こししています。時間的には延長。しかし基本的な運動は同じになっています。)
目線を変える。

初日、宮城さん(既にこのブログではおなじみ)がやってきて一言、Edge目つぶり過ぎじゃないかという?をのこしてくださりました。
振付けをおうところまでは考えていましたが目のことまではさすがに考えていませんでした。しかし重要です。
カメラという他者の目が自分のそとにあることを考えればダンサーの目はとじたままでいいのです。なかをみつめるために。しかし閉じた時間が長過ぎるのではないか。それでもそとへ向かおうとする意思が見えていいのではないか。
カメラマンという存在がいたときに、私は見返す/あるいは見て知覚するというよりも、音に反応しているということに気がつきました。元々私は音感は鈍いですが音に対する反応速度は速いです。なので、その音に反応し、その音とともに踊っていきます。動きも自然とカメラの人にリンクしていきます。それが面白いだろうとして今回あえて設定したのですが、私はやはりひとり戦いを挑むべきだったのかもしれません。

2日目人々と向かい合いながら目はどこを見るのだろうということを考えさせられました。

個人的に異様に緊張していたこともあり1日目は非常に早く終わってしまいました。振りとしてはこなしているのですが、間合いが早くなってしまったのです。2日目の方が落ち着いてきちんと踊れていたかもしれません。でももっと間はもてると思います。
見られることは意識していましたが、私という人間が何を見ているのかを気づかされました。

幸せなことですね。踊るごとに新しい発見がある。
きっちりとしたドラマツルグがあり、シンプルだからこそ、見えるものがあります。

人により様々ですが私は同じ踊りを踊っていてもその度に新しい何かを見いだしていくタイプなようです。(といってもラッセルさんのお仕事の範囲ですが)日本では再演が難しく、なかなかそういう機会はないですが、本当は繰り返した上演に耐えられるものをつくるということも大切なことだと思います。自分自身のためにも。



お忙しいなかおこしくださりありがとうございました。

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