全国舞踊コンクール創作部門決勝をみる。
神戸(all japan dance festival)からもはなれてしばらくたち、コンクールとはあまり縁がなく暮らしているが、はたと思い立ち見に行くことにした。
現代舞踊はモダンダンスあるいはコンテンポラリーダンスと訳される。英語的に両者に差はないが、日本では確実に別のものとされていて、モダンダンスは古いものと考えられている。(ちなみにラッセルさんなどもモダン部門で表彰されたりしていたので、本当に英国的には差はないと思う)何が違うのか。
私なりに考えるその差異は見る人の視点をどの程考えているかではないかと考えている。
つまり作者のいいたいことを一方的に伝える、圧倒させるところに主軸をおくか、それぞれの人の考え方にゆだねられるよう多様性を持たせるかの違い。
多様性を認めるということはその分曖昧になったり弱くなることもあるかもしれない。
もしくは身体論、あるいは作品の構造そのものにフォーカスを当てそれらをぶっ壊す新しい概念を打ち立てるもの。
これらは面白い、面白くないとかいう次元とは全く異なる考え方かもしれない。
こういう世界に対し何を持って「よい」といえるのだろうか。
多くのコンペティションは疑問を持ちながら、続いてきた。たくさんの審査員の方とお話をし、それぞれのコンペティションの目指すところ、また、方向性などいろいろ伺ってきたし、それぞれに納得できる理由をみてきた。それでも優劣を付ける必要性があるのかなど考えさせられる。バニョレが出会いの場になってかなりの年月になる。私自身もそのようなコンペの恩恵にあずかった身ではあるが、本当に必要なのだろうか。改めて思う。
また、ここで優れているといわれてその後どこにつながるというのだろうか。
6分の中にすべてを込めるというのは本当に難しい。
そして作品というのは本来、その見せ方、提示の仕方から問われるべきであり、6分という一律の時間枠で決めることではない。
今回私の作品は映像化し、展示という形態をとったこともあり、余計に気にかかった。
大切なことは多くの人の目に触れさせ、またそこからのつながりを生み出していくことではないか。そういう意味でとても閉じたコンクールで残念な気がした。
それでも、コンクールがあることで上演する機会が増えるという声もある。
競い合うことでレベルが向上するという声もある。
競い合うことが本当によいことなのか、そして何を目指すのかという気が私はするが。
余談だが、ものすごい短い時間の作品、短い打ち合わせ時間だろうにもかかわらず、照明ががんばっていて、驚いた。かなりの数のスペシャルライト(その作品のための特別なサスなど)を用意していて、それも驚いた。それはものすごいことだと思う。おつかれさまでした。
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