最近、即興と作品化について考えている。
最終的に即興はなにを目指すのだろうか。どこへ向かうのだろうか。
即興ダンスあるいは即興音楽の友人をよく見に行くが、もちろんそのたびたびごとに、いろいろな組み合わせがあり、新しい出会いがある。ただ、新しい出会いを楽しむだけであれば継続していく意味みたいなものが見えてこない。
即興の中にもある種のパターンがあり、それを利用してうまくまとめてしまっているのではないかと考える。何となく最後うまく盛り上げといて落とす(終わる)とか。
終わりといえば終わる瞬間というのがある。
確実にあ、終わったねというのがわかる瞬間がある。
でもそれに気がつける人と気がつけない人がいる。
複数人でセッションしていると終われた人と終りそびれた(というか本人はまだ続いているつもり)人に分かれることもあり、なかなか終ることができなかったりする。
でもこの感覚、この感触というのはとても重要なことではないかと思う。
ちなみに親切な(本人はそういうつもりはないのかもしれないが)人だと「そろそろ終わりだと思うんだけれど、どうおもう?」という雰囲気があったりする。
でも本当はそういう???の時間がなしに、お互いに、いまのだねという瞬間を共有できなきゃと思う。
でもその瞬間を共有できた人というのは実はそんなに多くない。
ここにあるべき音、ここにあるべき身体、かたち、そういうものをきちんと作り出せるようと思って私は即興の踊りを踊る。しかしそれが即興の最終目的なのかは疑問である。
ただ、そのきちんと終る瞬間は大切にしたい気がした。
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