2012年9月30日日曜日

Piece

10年10色で出した作品のタイトルは「Piece」という。

昨年1月につくった「1+1=3」を出そうと思ったら時間は15分(オリジナルは20分)照明は限られますので、以下の表を参考にと言われたのをまに受けて完全につくり直すことに。
3とは音(のりさん)とダンス(きのが踊りました)、照明(三浦あさ子さん)。照明が観客の視点を作り出すと考えた上でのタイトルなのですが、四角客席の構造を考え、また私の役割を考え、劇場の照明の制限を考えこのような作品になりました。(見に来た人にしかわからないですね)
いつもソロ作品をつくっている私にとって数少ないグループピース。そして非常に自由度の高い作品です。このメンバーだからこそ出来上がったものだとおもっています。

ダンスにこだわった、あるいは個人の身体にこだわった作品が多い中、変化球のようになげてみました。振り付けとは何か。というそもそもの所を問う作品だと思っています。短い時間の作品にしてはまあうまくまとまった感じがします。
見に来てくださった方々ありがとうございます。
そして感想お待ちしております!

今回ビデオ撮影してくださったたきしまさんの努力により、きれいにとれていそうなので、みれなかった方はぜひみてください。
いいダンサー(私ではなく小山さん)、いい音(のりさん)、いい光(戸井さん)
ちょっといいですよ。

私たちの作品は小山さんを引き込んだこともあり同窓会(お茶大95年入学)のようになりましたが、終演後の打ち上げ(台風接近にも関わらず)では同じ学年がぞくぞくいることが判明。プチ同窓会になりました。瑞丈くん、頼むからトラウマを掘り返さないでくれというくらい懐かしい話しで盛り上がりました。
同年代、みんながんばっててちょっとうれしいです。

ままさんダンサー浜口彩子さんにも再会。トリエンナーレ(2009)以来。
これからままダンサーがどんどん増えていく予感がするし、増えてほしいと思いました。私はこどもを持っていないのだけれど、元気なままさんがどんどん踊るといいと思う。

次の10年はどこへ進むのか。
35、6歳になり、それぞれどうしたものかと思う今、きちんと前を向いて進み続けていけますように。全く異なる色を持ち、全く異なる表現をいかに磨き続けていけるか。

じゃあ、またね。そういう言葉が似合うちょっと楽しい公演でした。
スタッフの皆様に感謝して。







2012年9月29日土曜日

10年10色

赤煉瓦倉庫10周年記念ダンスパフォーマンスを見に行く。
明日は私が踊るので、その下見をかねて。また多くの知り合いダンサーさんがでていることもあり、ぜひみなければ。
赤煉瓦倉庫のすべてをみてもらうべく4面舞台。壁、柱、はり、すべて。

上を見てください
横をみてください

100年前保税倉庫としてたてられた当時の梁やレンガ、通路には消火栓の一部などいつもの公演では見られない歴史の一部もお楽しみください

文化施設、商業施設として生まれ変わって10年

買い物や食事を楽しんだお客様の10年
野外のライブに来られたお客様の10年
お土産を買いにちょっと立ち寄った修学旅行生の10年
ドイツビールで酔っぱらったお客様の10年
展覧会やプロレス興行を主催された団体の10年
卒業制作展を開催した大学生の10年
ここで踊ったダンサーの10年
作品上演した振付家の10年
公演を見に来られたお客様の10年

横浜赤レンガ倉庫に携わった人たちの10年
それぞれの10年「十年十色」

10年先も20年先もこの古き建物から新しいものをつくり発信していきます。



プログラムの後ろに書いてあった言葉。
私が賞をいただいたのは2003年ちょうど10年前。(実は2002−12は11年になる)
それから公演機会が増えたり、韓国で公演したり、在研でヨーロッパにもでたし、プロフェッショナルダンサーにもなっちゃったし、帰ってきて、教師もしてるし、なんだかいろんなことがあった。箱の中に引きこもってみたり、眠り続けてみたり、即興にはまって大暴れしまくったり、身体壊してダウンしたり、どたばたくりかえしながら、あっという間に10年が経った。
その10年の間、スタジオをもち、ダンサーを育て上げるところからつくり続けている人もいる。オリジナルのソロ作品にこだわって再演を続ける人もいる。大学時代の友人(おそらく出会って10年とかだと思う)と作品をつくってみたり。
今回のダンサーの小山さんなんて会うのも10年ぶりくらいだし、10年ぶりくらいに踊るという。それまでママであり、一家の大黒柱だったのを無理矢理引きづり込んでしまった。

それぞれの10年。
同窓会のようなとてもすてきな時間に感謝したい。明日がんばらなきゃね。



おまけ
オクトーバーフェストでも踊ったよ。。
あれは2年前のかめりあのとき。
森下真樹さんとまことクラブと。たまたま遠田さんにも会い、懐かしく思う。今日はさっさと帰ったが、明日はビールを飲もう。

おまけ②
公演続きで見に行けないよという人のために一応言っておくと9時半にレンガに来れると通し稽古やってます。早朝。good morning dance show(賞)→アシュフォードさんがつけてくれたを思い出します。裏口から入らねばならないのでご一報を。

おまけのおまけ
その一方で青山がなくなるというニュースを読む(新聞で)。
私を育ててくれた青山と赤煉瓦。トリエンナーレ今年は参加していないけれど、実は私はこれまでのトリエンナーレ(ビエンナーレ時代から)毎年参加していた身。初めてお金をもらって踊る機会を得たのも、リハーサルスペースを提供してもらったのも、いろんな人に出会う機会も、ミュージカル(しかも狂言ミュージカル!)に振付ける経験も、大学で教えるお仕事に就いたのもすべては青山から始まった。踊ることで生きていく可能性を開いてくれた場所。たくさんの思い入れがあり、本当に寂しい。
また幼児教育に携わる身としても、このような場がなくなることは少し寂しい。確かに老朽化は否めない。なにせオープンしたのは私が小学4年生のときだ(そのとき私は渋谷区内の小学生ということで記念イベントに招待されていったのでよく覚えている。現天皇陛下にお会いした)。でもスタッフも本当にすてきな人たちで見に行くときは必ずこどもスペースものぞくようにしていた。
これについてはあまりに思い入れがつよく、また別に書きたいと思う。

ダンストリエンナーレも見に行かなきゃ。
アルジェリアの人個人的にかなりすきかも。



2012年9月28日金曜日

赤煉瓦リハ

赤煉瓦で舞台リハ。(照明舞台スタッフ付き)
結局準備の品が多いのに作品の上演順番は2番目。今日も朝から30日も朝9時入りという恐るべき順序。でもそこにちょっとでも長くのびのび準備ができるようにという安藤さんと中冨さんの愛情を感じつつ、リハにのぞみました。
今回は4面舞台ということもあり、照明も最小限しかできないよといわれていたこともあり、手持ちライトを駆使し、「ものすごく暗い」(あるいはとてもまぶしい)舞台になっています。例によって映像記録が非常にむずかしく、肉眼でしかみれないというレアな舞台となっております。お時間ある方はぜひみにいらしてください。(ちなみに今回の映像はたきしまひろよしさんで、bankart時代から知りつつ今回初めて撮影していただくことに。のりさんのことも知っているのですごい楽しみにしてくれていますが、この画面みたらショックだろうなあ。既に予告(忠告)したのですが、どうなることか。

私は振付家ではないとダンコレコンペ終了後思ってきました。
2003年からおよそ10年。
私がしていることは振り付けではなく舞台美術・構成の中に身体を放り込むことであって、あくまでダンサー・踊子でしかないと。
この時代、このタイミングで出会ってしまったこの人たちと同じ時間を過ごすそしてその時間を切り取ること。ただそれだけのことを15分にまとめることにしました。
ゆるやかな作品ですが、そのゆるやかさを自分で認めることができるようになってきたことがこの10年だったのかもしれません。
10年前はどこかで自分を許すことができなかった。

ここ数年即興について様々な試みを行い続け、今このときはあくまで過程にすぎないということを知りました。常に最後と思いつくり続けながら、最大限を尽くしつつ、そこに達すると次の山が見えてくる。そして何十年と言う長いスパンでみたときにまた基本というか軸に戻る。そのくりかえし。支えてくれた人に出会い、たまたま長く続けることができ、時間の巡りを知ることができる。
そのことを感謝して。
そしてこのときをともにつくることになった3人に感謝して。

ともに時を重ねてきた赤煉瓦に感謝して。(赤煉瓦スタッフは実は入れ替わっていくので2003年から知っている人は限られているが、OVO、おそとダンス、かめりあはじめずっと育ててもらってきた感じがする)

次の10年に向けてのからだづくりは既にはじまっている。
そこに気づかせてくれた言葉に感謝して。


「あきらめるのははやすぎる」という言葉以上に私がすべきことがみえてしまった。そんな今年。30日のこの会はあくまで過程にすぎないけれど、おそらくちょっとスペシャルな時間。のりさんと小山さんを見に来るだけでもまあ、価値ありだけれど。

まだチケットはある様子。今からなら赤煉瓦に予約でも当日清算でOKということなので、ぜひどうぞ。



2012年9月24日月曜日

グラインダーマン

どうでもいいが、横浜はダンスダンスダンスと銘打って、ダンス公演が続いている。
しかしコンテンポラリーダンス業界の観客層は限られているため「あっちもみたいが、こちもみたい」でみれない人が多い。切ない。せっかくなのに。
今日はかなり悩んだ末、ダンス教育についての会と、グラインダーマンを見に行く。(大野フェスごめんなさい)
グラインダーマン、知る人ぞ知る「箱女・箱男」カンパニー。
2004年パリに行ったとき知り合ったヤン(うちの近所のギャラリーのおじさん、箱女をみせたら、すごい気に入ってくれたが、フランスには等身大サイズのロッカーはないという話しになった)と箱をかぶって行うパフォーマンスをつくっていたことを思い出す。なかなかタイミングが合わず、現実にみれなかったけれど、やっとみれてちょっとよかった。しかも知り合いも出てる。(ちなみに見に来た人も知り合いがおおく笑える)

私はとても好きだけれど、まずつくることはできないし、ダンサーとしても踊ることはないだろうピース。コンセプトも明確だし、そのための身体作りもわかる。構成もしっかりしていて、象の鼻という空間をとてもよく使っていた。
象の鼻の中にいる私たちも箱女(男)。最後はもう一声な気がしたけれど、うまいと思う。

でもなぜ私ではないのか。

それは箱とは何かということに起因すると思う。
顔に大きな木箱をかぶっている。
それは何を意味するか。そのずれ。
単に数覚えられないとかそういうわけではないです。。。




おまけ
個人的にこの音が結構好きなんだと思う。舞台公演に行ってそう思うことは珍しい。

ダンスを教えるということ④ 横浜スクールオブダンス

KAATで行われているWe danceの中にある「スクールオブダンスの記録」を見に行った。

簡単に説明すると横浜市芸術文化教育プラットフォーム(事務局はSTスポット内http://y-platform.org/)は横浜の学校へのアーティスト派遣を行っており、横浜市の500校のうち今年は76校へ音楽、美術、演劇、ダンス、伝統芸能などのアーティストを派遣している。(平成16年スタート)
今年は横浜市がダンスダンスダンスということで特にダンスに力を入れていることもあり、通常はせいぜい3回程度のアーティスト派遣をダンスについては拡大し6校470名のこどもたちに6人のアーティストを派遣することにした。
伊藤千枝、黒沢美香、黒田育世、東野祥子、矢内原美邦、Co.山田うん
そのアシスタントを務める3名(たまたまだが、3人とも私の後輩であり、教員としても活動している)による報告である。(なお、12月1日に横浜市教育委員会主催の発表会があり、それにいたるまでのワークショップであり、現在も継続中である)

これまでこのブログで扱っているとおり、中学のダンス必修化もあり、ダンサー、アーティストの派遣というのが今後増えていくと思う。なので若いダンサーさん(私は若くないが)みてもらいたい会だった。

私自身コミュニティダンス、あるいは学校での指導もしている。(これと同じような形で札幌の高校生にワークショップに行った)そして、元々中高で教えていたこともあり、アーティストが直接授業を担当する必要性を感じていた。横浜市は創造都市構想のもと特に文化活動に力を入れているが、今後全国に広がっていくと思う。

正直、内容は似通っていると私は思う。
AMANOGAWAプロジェクト(https://sites.google.com/site/amanogawaproject/)で行ったゲームにそっくりなものもある。
まねっこゲーム、言葉での導き、模倣、女子体育で学んできたことにかなり近い。しかし、断片にそれぞれの振付家のキャラクターが出てきており、こどもたちも様々なため、日々変化していく。そしてその繰り返しからまた新たな遊びが生まれていくのだろう。

今回の中で興味深かったのは山田うんさんの展開だった。
自分をどのように見せるか、どのようにみんなを導くかきちんと計算してつくられているのがよくわかる。(他の人が考えていないというわけではない)
ニヤカムさんもそうだが、わかりやすく、そして導く、その後花開かせる流れがとても明確であったと思う。

うんさんは小学1年生対象だったが、幼稚園生、もしくは上の学年でも通じるし、実際ほとんどの振付家は大人でもほぼ同じ内容で展開するとのこと。私自身もそう思っているがこどもは大人と別の生き物ではない。そのあたりまえのことがあたりまえに言えることがちょっとすてきだと思った。

そしてこのような機会がどんどん増えていくことを望んでいるし、たとえ3回くらいの授業であっても、できる限り多くのこどもたちが自由に動く楽しさを知るとよいと思う。

そしてその一方で「わーい、ダンス楽しー!」で終らせることができるかどうかということを思った。

「舞踊家で、生きていくために教えることもあるというのと教育者はちがう」と言われた言葉とあわせ、考えさせられる。確かに私が現在考えていること、作り出そうとしていることとはずれがある。コミュニティダンスとそれぞれの人が生きていくための考える時間というスタンスは違う。そしてそういうものは大人数で一気にできるようなものではない。みんな用につくることもできる。でも本当はちゃんとそれぞれの人とお話する時間が欲しい。AMANOGAWAプロジェクトは短いなりにも話す時間があったからよかったんだということに気がついた。そしてもっと時間をかけることができたらどうなっていただろうとも。

みんなの役に立つべく自分の知識をいかす、応用する、新しく生み出すというお仕事。
自分がしていることが社会とつながっていくように、つながっていけるように説明できるようになることは大事なこと。そういう意味でとても勉強になった。

その一方で私が今やらねばならないことということも思った。


「踊ることは生きること」
そう言える人を選んだと岡崎さんの談。
踊ることは生きること、しかし私が踊ることに他人を巻き込めるのか、そして学校という枠の中で強制的に巻き込めるのか。

映像・文章ともに記録としてまとまるはずなので、それを楽しみにしたい。








2012年9月20日木曜日

ばみ祭り終了しました。

バミ祭り終了しました。
そもそもバミってなに?となると思うので簡単に説明するとマリンバ奏者の方波見智子さんが門仲天井ホールがしまってしまうときいて駆け込みで開催したリサイタル。
ただ、このかたばみさんが本当に幅広い活動歴をもっている方で、演目もクラシックから現代音楽、果ては完全即興と何でもありな中身でした。
そもそもかたばみさんにであったのは巣鴨教会のパフォーマンス(ダンス×クラシックという企画でクラシックの演目でダンスを踊るという企画をAAPAの永井美里ちゃんと一緒に参加しました)。今回はサンサーンスの白鳥と即興集団キュノポリスのみなさんとの即興(およそ30分)で踊らせていただきました。
今回の中で面白かったのは中川さん(作曲家)の現代音楽で、なぜかかたばみさんが懐中電灯とサングラスという出で立ちで出てくるところ。(本当はスエットスーツ着用という指定があるそうだけれど今回はウィンドブレーカー)今から20年も前にこの作品を演じ、「そのときは???と思っていたけれど、今やると面白いと思って」とのこと。
また、キュノポリスさんというのもまたすごくてもう20年近く(細田さんと鎌田さんがキュノポリスをはじめたのは39年前という)続けてきたグループ。あうんの呼吸みたいなもので笑いあり、微妙な間合いで展開していく。
すごいなあ。
つい楽しくなってしまい暴れてしまい、あとから浅野さん(ハンダさん作品の楽曲提供者)に「ひき、だね」とのご指摘を受ける。ちょうどその話しを阿佐美でしていた(昨日は授業だったのです)のに、、、。まだまだ修行が必要なようです。

見に来てくださった方ありがとうございました。

受付で販売していたかたばみさんのマリンバグループで出しているCDが前にタワーレコードで買おうかどうしようかまよってやめてしまったCDであることが発覚。(しかもカリンバとの組み合わせ、アフリカモノは当たり外れが多く迷うのです)即買いしました。しかもアフリカンダンスをやってみた話しで盛り上がり、そのうちアフリカンダンス仲間になるのではないかと企んでいます。
踊るマリンバ奏者。(既に演奏時にあちこち動き回ったりはしている)
楽しみです。


2012年9月13日木曜日

夏休みの宿題

どうでもいいが、私は夏休みの宿題を最終日すぎて行うタイプの子だったと思う。自由研究はともかく、中学、高校にはいってからは宿題を出さずになんとなく終らせる、、、(ごまかす)なんてこともしばしば。そもそも普段の宿題も翌日学校についてから朝の会が始まるまでに何となくごまかすという状態だったので、数学の成績が悪かったのも仕方ない。

タカセの夢のこどもたちは2日目のアフタートークで将来の夢をきかれて様々に答えた。(小学校の先生とか、声優さんとか、歌手とか本当に様々だった。実はお昼休みのときにニヤカムさんがきいていて、別に試験前のやまはりではないがちょっとほっとした子もいたに違いない。でも実は同じ答えでない子もいる笑)将来とはいつ頃をさしていただろうとちょっと考える。

ここ数年自分の目標の中では短期的にするもの(いつまでに作品を仕上げなきゃなど)と、長期スパンでみるものとで分けていたが、長期といっても2年くらいだった。10年後くらいが勝負といわれて、はっと気がついた。(ダンサーなのに10年後が勝負ってちょっとそれはそれで心配だし悔しいのでがんばらねばならない)

一生を通じて私は何がのこせるだろう。

edgeをつくったのは2003年、それからおよそ10年。(まさしく10年10色)
そのとき榎本了壱さんに「これを超える作品は10年後かもしれない、もしかしたら2度とつくれないかもしれない」と言われたことを覚えている。10年よりは少し短かったけれど「かめりあ」そしてことしの「からたち」とこのシリーズ、そして「AMANOGAWAプロジェクト」は全く違うタイプででもきちんと形にできたと思う。でも超えたのかどうかは不明。
あれから10年。
そして次の10年。

タルコフスキーのサクリファイスで枯れ木に水をやり続ける親子のはなしをあげるまでもなく、続けることで見えてくることを考えるときにきている。
そして私の中にあるという「狂気」をみつめていかねばならない。

今年の夏の宿題はちょっとヘビーで、しかも期限はだいぶん先。
でも、宿題を出してくれる人がいるということはちょっと(いや、とても)幸せなことだということにも気がついた。Mなわけではない。ただ、待っていてくれる人がいる、いつかみたいと思っていてくれる人がいる、それはつくる人としてはうれしいことだ。それらの人の想像を超える(もしくはぶちこわす)、そのときまで。それまでがんばらなきゃ。

スタジオマキノよりアメリカモダンダンスの歴史に興味のある方へ

私はフリーのダンサー・振付家だが、普段の稽古として牧野京子さんに習っている。(スタジオマキノhttp://www16.ocn.ne.jp/~k.makino/)稽古場にも週1、2回は通う。今週末は高津ワークスといってキースサバドさんというダンサーさんを招いての講習会が行われる。
で、最終日にキースさんにアメリカモダンダンス(特にNYのポストモダンの事情)についてイボンヌレイナーを中心にお話を聞く回を予定しているとのこと。
9月17日(祝)15:15より(2時間程度)

個人的にどちらかというとヨーロッパよりな私。
しかしながら、興味のある人は多いはず。アンハルプリンなど興味のある方はお宝フィルムも出てくるらしいので、ぜひ。

ちょうどその話しをきいたとき(何せ静岡山ごもりだったせいもあり、つい最近きいた)、市川雅「行為と肉体」を読んでいて、イボンヌ出てきたところだった。しかも狂気というキーワードをもって。

きになる。。。
そのあとリハがあるので途中までだけれど行くことにしようかと考え中。

bankart よりダンス教育に興味のある方へ

私のもとのバイト先BankART1929では夜にスクールを開催している。(昔からあり、当時私は野村誠ゼミのアシスタントなどをし、現在のTIOの活動につながっている)
この9月期、このブログ上で話題になってしまった「ダンス教育」に関するゼミが開かれるとのこと。http://www.bankart1929.com/
講師役の細川先生、高橋先生ともにお茶大の先輩にあたり(しかも大先輩ともいうべき)いきたいのはやまやま、今日も赤煉瓦までいってリハーサルに追われてしまう。
ご興味のある方はぜひ。

おまけに大野一雄フェスもよろしくねとのこと。
いっぱいいっぱいで伺えそうにないが、9月30日おわったらいけるかなあ。。。

2012年9月7日金曜日

秦野 こども園の先生方の講習会にお邪魔する

秦野市のこども園(幼稚園と保育園が合わさってできた施設。現在このかたちが増えつつあり、秦野市は特に幼稚園と保育園の交流に力をいれている)の先生方の研修会にお邪魔しました。講師は大学時代の先輩であり、湘北短大の多胡先生。私はアシスタントとしてうろうろします。
園長先生たちからも様々にお話を伺いました。どうしても日々の仕事で忙しいので、なかなか勉強する機会がないということで、年に3回このような研修を自主的に開いているのだそうです(その回ごとに様々なジャンルの人を招いてお話を聞く)。多胡先生の専門は身体表現ということもあり、実技で汗だくだくになりながら、皆さんがんばってくださいました。(若い先生、男性も多く参加してくださりました。そして皆さん真面目なので手を抜かず、翌日のお仕事大丈夫だったでしょうか、、ちょっと心配です)
保育士、幼稚園教諭いずれもこども相手のお仕事ということもありますが、視点が少々異なります。園長先生がおっしゃっていたのは0歳から3歳の時期が本当に大切だということ。人間の基本をつくる時期なので、この時期にきちんと愛されて認められてきたということが後々に影響を及ぼすのだとも。また共働きなどもあり、なかなか親だけでは手が回らないところもあるため、保育士の力が本当に大事になってきていること。またその時期のこどもたちがかわれば日本の将来がかわるだろうことを切々とお話くださいました。

多胡先生もいろんなアイデアを出してこられ、様々な遊びを紹介しました。指針にもでているのですが幼少期に運動をさせることが大事ということで、鬼ごっこを重点的に紹介。鬼ごっこ、単純ですが、筋力、心肺機能の向上の他、敏捷性(鬼をよけようとする、ぶつからないように走るなど)、持久力、判断力が増すなどバランスのとれた遊びなのです。

杉劇、AMANOGAWAプロジェクト、タカセの夢でも遊びは多く含まれていますが、遊びには人間の活動の原点が含まれています。(私の母校ではロジェカイヨワ「遊びと人間」を読むという授業がありました)また多くの遊びには歌や音楽の要素が含まれており、それもポイントです。

いかに遊ぶか。
大人ではあり得ない視点をこどもたちは返してくれるという先生方。その可能性、想像力を閉ざすことのない大人でいたいものです。

「講習会だけれど、作品を発表するようなかんじ」と帰りの電車で話す多胡先生。とてもクリエィティブな作業だと思いました。

からだのじかん

「からだのじかん」
昨年につづいて行うことになった阿佐ヶ谷美術専門学校の学生さん向けの授業。場所の都合もあり4回だけと短いですが、中身は濃い感じです。
美術専門学校ということ、3年制の3年生の学生さん対象ということで、現在は卒業制作に追われる日々。当然机での作業が増え(立体、平面ともに)からだを動かしていないだろうからという福田先生の声かけでスタートしたこの授業。過去にはコンドルズ鎌倉さんなども教えにきていたそうです。
初回は簡単なマッサージやストレッチ(自分のからだについて知ること)と、からだを使って彫刻をつくる、部屋全体をキャンバスにしてみんなで絵を描いてみるというような授業を展開しました。
さすが美術専門。はまり始めると随所にこだわりがあらわれ、笑いの絶えない授業となりました。そしてまだ20くらいと若いこともあり、動ける動ける。まだいまなら間に合うと、ちょっと無理をさせてしまいました。これをきっかけにからだ動かすのも楽しいかもと思ってもらえるといいのだけれど。
昨年受けていた学生さんのうちの一人はAMANOGAWAプロジェクトにも参加してくれたり。その後も小劇場演劇に美術で参加したり。
若いうちに(私もまだ若いつもりですが)こうして様々なジャンルに触れてみるというのはとてもいいことです。できればいろんな作品のビデオなどもみせ、刺激を与えてみたいと思います。

夏休み終了。

今年の「タカセの夢」ノーツは3冊半。
期間が短かったのもあるし、ニヤカムさんがくるまでは木野が直接話しているのでメモもほとんどいらなかったこともあり少なめです。
ノーツとは日本語で言う「だめだし」のことですが、ニヤカムさんはノーツという言い方をします。だめだというわけではない、でももっとよくなるかもしれないという意味を込めて気づき(ノーツ)を渡す。私はそれをノートに書き取っているのでまさしくノーツ。
今日はドタバタの仕事が一息ついて、静岡からの荷物を受け取るべく(炊飯器などを宅急便で送っていたのでした)家で待機をしていたところ。ノーツ、ファイルとともに静岡滞在セット(炊飯器、鍋、フライパンと食器)も箱に入れてしまいます。
しばらくお休みです。
暑い夏の思い出です。

リアルバックステージツアー

「タカセの夢」は10人の子供たちとニヤカムさんにスポットがあたってしまうが、実は大人たちもがんばっている。振り付けアシスタントとしてはスタッフワークもお手伝い。(でも専門的なことはわからなかったり、できないことも多いので、お役に立てているのかは疑問)普段子供たちのリハーサルが終わったあと、ニヤカムさんからのテクノーツ(テクニカルに関するコメント、変えてほしいところなど)があり、小休憩をとり、その後大人時間に入ります。大人時間、エンドレスゲームです。

SPACは全国で唯一の専属劇団をもつ劇場ですが、スタッフも数多く抱えています。そして公演数が多いため、いくつかの演目を掛け持ちしつつ、皆さん働いており、本当に忙しい。でも多くの現場を経験し、舞台人として成長できる場ともいえます。タカセスタッフは若い人が多く、ニヤカムウォーミングアップをみんなで行う(およそ1時間動きっぱなし)元気な職場です。

舞台:舞台セット全般に関するものの他、タカセの中ではブランコ、さくらなどのつりものを扱ったり、桜ガールズのマットをお洗濯なども行います。ペンキ塗りから、スティックの養生テープはり(あまりに強く棒をたたくと折れてしまうので、その予防。ちなみに今年は二本タカセがおりました)まで、幅広い仕事内容で、手先が器用でないとできないと思いました。桜の花のセッティングは音響の原田さんの方がうまい様子。

音響:そもそも楕円堂でリハが始まった初期の頃、バオバブの奥にスピーカーをつり上げるという所からスタート。こだわりの音響さん。ニヤカムさんのコメントも「コーラスはベルサイユ宮殿の中でオーケストラと鳴り響いている感じでそこから外の中庭へ躍り出てくるような感じで音が広がる」というような難しいコメントでちょっと困ったに違いない。ニヤカムさんも絶賛、信頼を寄せています。

照明:子供たちの動きにあわせてフォーカスを訂正するなど、微妙に毎日調整を繰り返し続ける二人。今年は映像が大変だったので、そっちに時間をかけざるをえない中、「コメントを言っている隙に照明を直す」技を使いこなす手際の良さ。

映像:プロジェクターがらみで問題発生しすぎて、最も苦労したセクション。昨年も大変でしたが、3つのプロジェクターを一つにつなぐってなかなかできることではありません。(しかも別々の機種)でも、ニヤカムさん的には来年に向けて既にいくつかの映像がらみのアイデアが出されており、来年はもっともっと大変になるのではないかと。。。

衣装:シーン1から4まで各シーンごとに衣装があるため全員で50着以上。しかもマントや上下わかれる服などアイテム数は倍。終了後はひたすら洗濯に追われます。(BOXシアターの下に大きな洗濯機と乾燥機があり、それも使えるが、タカセの衣装のほとんどは手洗い指定なので、かなり重労働、そして時間がかかる。9月2日は夜中の1時ごろまで。)楽屋で最も子供たちのそばにいる存在。
衣装をデザインしてくれた竹田さんのご両親も作品を見に来てくださいました。アーティストの作品にはその人が生き続けるんだとニヤカムさん。

制作:舞台の宣伝広報活動の他、子供たちのスケジュールの管理や送り迎えなどを行う。ニヤカムさんをスーパーに連れて行くのもお仕事に。幅広く、実は結構忙しい。そして必ず最後まで芸術公園に残っていて、その日の最後に明日の予定を全員(SPAC関係者)にメールで送る。

3年経って一番はじめからいるのは私と制作の大保さん、照明デザインの樋口さんのみであることに気がつきました。これまで関わってくれていたスタッフの皆さんも見に来てくださったり、応援してくださっています。大人たちもタカセの夢からエネルギーをもらっているのですね。


劇団SPACは単に役者集団なだけではなく、舞台芸術専門集団であるのだというあたりまえのことにちょっと感動しました。




おまけ:照明樋口さんの言葉
他の人が気がつけないところに気がつくことができる、それが専門だ。その人にしかわからない、だから他の人が変わることはできないし、その人がする意味がある。それぞれの部署につく人が一人しかいない。だから大変だとは思うけれど、それが専門というものだ。

これ以上はできませんと言ってしまうことはもったいない。いままでやってきていないわけではないのはみんな知っているし、実際もう限界かもしれないが、それでもその先を追求し続ける姿勢が大切ではないか。可能性を自分で閉じてしまってはいけない。

ニヤカムさんの食べるもの

「タカセの夢」振付家メルランニヤカムさんはフランス在住のカメルーン人。年齢不詳(過去新聞の取材などに対してはダンサーは年をとらなくなるんだと「頑なに」いわなかった)。ダンサーとして活動する他、ワークショップが評判でヨーロッパアフリカを飛び回る多忙な人。ダンスの人であるにも関わらず歌でCDも出している多才な人物。
「タカセ」で毎年静岡にくるようになってもう3年。ほとんど舞台芸術公園にいるものの、日本のいろんなものを学習(言葉は音楽として解読しているらしく、ニュアンスやイントネーションは完璧、でもちゃんと覚えているわけでもない)、すっかり日本人になりつつある。

今年ニヤカムさんの中で最もヒットしたものがおにぎり。コンビニのおにぎりを何かのついでに食べて、おいしい!ということに気がつき、スタッフ原田さんから作り方を習い、毎日おにぎりを作るようになった。凝り性らしく、毎日新作を編み出しては(中に入れる具も様々に工夫)スタッフや子供たちにも配る(でも数はないので、みんな一口ずつ)。今までパックのご飯をあたためて食べていたものの、あまりにはまったので、次からはお米をかわねばと話すほど。(きっと炊飯器のすばらしさにも驚くに違いない)なお、日本のラップにも感動し、残ったラップはお持ち帰りしたらしい。(ヨーロッパにもラップ自体はあるのだけれど、こんなに高品質ではないし値段も高い)

ニヤカムさんは甘いものが好きなので、日本の果物が大好き。今年はまったのは桃とグレープフルーツ(帰る頃になって南アフリカ産のグレープフルーツなことを知り残念がる)。どらやきやおまんじゅうなどの和菓子も大好き。これまでもニヤカムさんの甘い物好きは知られていたものの、今年日本のスイーツはすごいおいしいということに気がついてしまった。ドーナツ、シュークリーム、マカロン、公演時親睦会時に保護者の方から差し入れされた様々なお菓子にはまってしまい大絶賛。フランスよりもおいしいとのこと(これは事実。パリでも甘すぎるお菓子が多いので、日本のあっさりとした甘さ、ほどよい甘さがたまらないのだという)。公演後のオフ日にもドーナツ屋によって買ってから帰るんだ!といっていた。
飲み物は午後の紅茶ミルクティーを。他のお茶も試したものの、結局ここに落ち着くらしい。(茶葉が増えていたり、エスプレッソなんだかというたぐいのものはだめ)ニヤカムさんはもう何年もコーヒーを飲んでいないそうで(フランスなのに)コーヒーを飲むと眠れなくなってしまうのだとか。

3年目なのでちょっとかわったものでも食べてみてもらおうと、ひじきの煮物、高野豆腐、いなり寿司なども差し入れしてみる。梅干し、納豆も試したものの理解ができず。

「アフリカを離れて久しいから僕はアフリカとヨーロッパの文化が半々で混ざっている」という話しをして、「それから日本も30%くらいね」と付け加える。ニヤカムさんの日本人化、まずは胃袋から。




おまけ
昨年よりニヤカムさんはうどんにもはまっていて、おそらく帰りがけに某スーパーによって大量のうどんを購入したはず。友人たちにお土産として配るのだという。

2012年9月4日火曜日

静岡から帰りました

そういうわけで、静岡から帰ってきたのですが、正直結構いっぱいいっぱいです。
今日いきなりリハが赤煉瓦であったのですが(9月30日用)、明日は阿佐美で「からだの時間」、あさっては秦野で幼稚園の先生方向けの講習会があります。大丈夫か、わたし。
でも面白いものができそうです。

「からだの時間」は昨年行ったものが好評で今年も行うことになった特別講義。堅苦しいものではなく、普段作品制作に追われている(平面やPCを使ったものが多い)学生さんにからだを動かしてもらい表現活動の幅を広げてもらうことが目的です。今年はどんな子たちがでてくるのかとても楽しみにしています。
昨年は3回だったものが今年は4回に増えたので、最後の回は様々なダンス映像を見ながら舞台芸術全般について話す予定です。

さあ、準備。



タカセの夢3年目が終りました。

SPAC enfants「タカセの夢」が終了しました。今年もありがとうございました。

今年はメンバーが大幅に入れ替わり、どうなることかと思いましたが、一生懸命のりきり、無事上演ができました。タイトルにはワークインプログレスとかいてありますが、ニヤカムさんもつけなくてもいいレベルのものができたと満足げ。全く異なるお話としてスタートしました。

いつもちびっ子として扱われていたタカセ君はじめ3年目のメンバーは大きくなり(実際にタカセは15cm背が伸びたとか)、はじめて入った後輩たちを引っ張り守る側になりました。後輩たちはダンス経験がない子もおり、はじめは戸惑いつつ、毎日きついながらも励まし合いながら乗り切ってきました。最後の1週間は本当に必死。よくがんばってついてきました。

これまでをみている観客・spac俳優たちからも今年は去年までとは全く違う発見があっておもしろい、今年の作品も好きなどのコメントをいただいています。そして見る人が皆幸せな感じで外へでていく、奇跡のような作品です。

今年はまず自分の役を得るところまで。そして来年は自分たちでその役を成長させていくんだとニヤカムさん。きっとまた来年新しいお話が生まれのびていくことでしょう。あたらしいバオバブの木の芽が生まれるかのようなそんな実感をえました。

テクニカル的には実はかなりの難問山積みで、本当に厳しい状況が続きました。スタッフの皆さんあってこそのタカセの夢。また来年、どのような形に進化していくのか、お楽しみに。
ニヤカムさんはぜひいろんな人に見せたいと意気込んでいます。ぜひ多くの人に見ていただけるよう、皆様応援よろしくお願いします。


裏話はたくさんあるのですが(それこそニヤカムさん名言集が2回もできてしまったくらい)また後日。



映像ニシモトタロウさんの予告映像。