2013年2月28日木曜日

なくしていた本が帰ってきました

それは今から3週間近く前のこと。
溝口駅周辺で本をなくして途方にくれました。

なお、その本は
大系日本歴史と芸能第1巻
今は珍しいVHSと一緒になっている本で定価は20000円(う、高い)。しかもその本の方だけをなくしました。さらにそれは某大学の先生よりお借りした本。


かすかな記憶によれば
その日、本をもって立ち寄った経路は本屋さん。本屋さんにもっていった本をおいていったのだろうか。だとしたらものすごく間抜けな話しです。のってきた電車などすべてを調べ、電話をかけまくりそれでも見つからないので、Amazonあたりで購入するしかないと調べたりする日々。(なお5000円くらいで購入できるようでした)

でもありがたいことに、大分時間がたってしまったものの、みつかりました。
溝口の拾ってくれた方ありがとうございます。

「まあ、この本をみて欲しい!と思う人も珍しいのでは?しかもビデオなければわからないだろうし」という友人の声。いえ、それでもこうやってかえってきてくれたことがうれしいのです。

なお、この本シリーズなのですが民族舞踊系が好きな人にとってはとても面白いと思われます。ただ難点はVHSのみの販売で、最近VHSデッキが減りつつある状況なのでそのうち観れなくなるのではないかというのが心配です。
その後調べてみたところ相模大野図書館にもありましたがVHSビデオデッキがないため拝見することができませんでした。私の教えにいっている先の学校でもVHSは既に基本教室にはない状態になっているので、授業ですぐに見せることもできません。
こまりましたね。。。
文明の進化はすばらしいことですが、あまりに急展開で時々ついていけなくて困ることがあります。

2013年2月27日水曜日

みそをつくる

ひょんなところからみそ作りに参加する。@森のテラスttp://www.moritera.com/

森のテラスさんは前に中沢レイさんがパフォーマンスをしていた場所で、ちょっとすてきな森っぽいおうち。ときどき蛍を観る会@秋田森のテラスなどお知らせをいただいておりました。久しぶりに癒しのとき。
すてきなテラスがあります。(ピアノもあるので時々パフォーマンスもあり)
出来上がりまでにおよそ6ヶ月。
どうも保存場所やそのときの菌の状態で同じ材料、同じ時期につくっても味が変わってしまうのだとか。そんなわけで9月頃皆でおみそをもって集まりましょうという話しになりました。

しかし平日なのに集まる人というのは強者が多い。面白い人にたくさんあえました。



PLPL

PLPLと略されるイッセイミヤケプリーツプリーツ、映像がきました。
そうだよ、大変だったんだよ。思い出しました。とにかくすごい密集状態で、映像の方も2回分(多分)の映像を組み合わせて苦戦しているのがわかります。
ちょっとウォーリーをさがせを思い出します。。

なお、現在伊勢丹新宿にて20周年のショップを1週間限定でオープンしているそうです。


PLEATS PLEASE 20th Anniversary
http://20th.pleatsplease.com/

2013年2月22日金曜日

現代舞踊協会について

現代舞踊協会のシンポジウム「ダンスと教育」をみにいった。ワークショップを行った伊藤キムさんの話し(現代舞踊協会に対する疑問の投げかけ)はとても興味深く面白くきかせていただいた。その後彼のブログにスロヴェニアのダンサーさん福原さんがきのブログを紹介し、木野ブログの一部(画面右ラベルのところにあるダンスを教えるということの②をご覧下さい。過去ブログを探すのが面倒くさいという言葉にお応えしてラベルを設定しました。)だけのアクセス数が急激に(結構凄まじく)増加した。伊藤キムさんのブログ上にて若いダンサーさん(私ではない)の批判的文章が展開されていることもあり、気にかかったことをのせたいと思います。伊藤キムさんのブログhttp://blog.kimitoh.com/

なお、私自身は現代舞踊協会員ではありますが、現代舞踊協会員としてうけた恩恵はほとんどありません。牧野京子の作品を踊るために制度上加入しなければならなかっただけで、コンクールで評価されたことも、推薦なども受けたことはありません。また、文化庁在外派遣研修員制度も当時すんでいた東京都から出しており、(現代舞踊協会に入っている必要は必ずしもありません。最寄りの都道府県の生活文化局に問い合わせてください。)現代舞踊協会の会報などにも無視されたままでした。
昨年現代舞踊協会主催の公演で作品を発表していますがこれは文化庁の在外派遣の報告でもあり、協会員ゆえの依頼ではありません。


①現代舞踊協会はあくまで個人の集まりでしかないこと
確か正田先生のことばだと思います。
あくまで個人の集まりでありなんとなく「現舞系」と固められるのが嫌だというのは加藤みやこさんの言葉。集団として何かというのもではなく、固めて論ずることはできないと思います。
若いダンサーに指導する立場ではないし、そのダンサーがどのように感じるか、考えるかはその人によります。深く思索できる人材を推薦できなかった責任は問うことができるかもしれませんが、それはどのような人材に成長するかを賭けるようなもので協会の責任ではないと思います。
あくまで芸術家は各個人です。
それぞれの作家の自立性を考えれば、若い振付家の提言は幼くとも、そういう意見もあるとおいておくことができるのではないでしょうか。


②ダンスの社会性について
ダンスの社会性についても各作家によって取り組み方がかなりかわります。
コメンテーターであった加藤みや子さん(http://www.as-factory.jp/cn11/index.html)のように大学、自身の稽古場で指導に励みながら、作品を創り続ける方もいます。質問などにも答えていた妻木律子さん(http://www.beoff.org/)は地元の宇都宮でスタジオを構え若手を支援しながら活動しています。世代年代により社会に対してできることも変化していきます。
40代の人の感じ考えることと20代のことが感じられることは異なります。特に海外にいて「浦島太郎」になっていたわけで仕方ないと私は思います。

③現代舞踊協会にいて
海外から帰ってきて3年が経ちますが、結局各個人が動く他なく、現代舞踊協会に助けられるとは思っていません。むしろその枠を飛び越えて勝手に動くことの方が大事だと私は思っており、勝手に企画し勝手に踊ることにしています。
「各自が爆弾になって」(加藤みや子さんの言葉)そのとおりだと思います。
問題は私たちの世代あるいはもう一回り若い世代の活動でコンペティションに出すのに先生にチェックしてもらわねばならないと思っていたり、先生の舞台に出るだけで満足していて、自分たちの新しい世界を作り出すことに挑戦できていなかったり、自分の仕事を自分で作り出すことができていなかったりする甘えている所ではないでしょうか。
60年代、70年代のダンス業界はもっといろんなことがおきていたようです。ということを私は私の師などからききます。しかしそれと同じあるいはそれを超えるワクワクドキドキを私たちは作り出せているだろうかと私は思います。
従ってキムさんのクエスチョンは現代舞踊協会の先生方ではなく、私、あるいはもっと若い世代に向けられるものであるし、協会に向かうべきものではありません。

④自分なりに道を切り開くこと
帰国する際自身の教育歴を生かしてワークショップなどをひらきながらやって行けるだろうと思っていたら、世の中そんなに甘くありませんでした。(でもちゃんといきのびていますよ!)海外へ出る前からチケットノルマのある形での公演をほとんどしていなかったこと、依頼を受けて作品制作をできる状況にあったこと、海外でも依頼をうけて(金銭的サポートをうけて)活動できるようになっていたことから、自身でチケットをさばいて、借金を背負ってという形態に疑問を抱いていました。どのようにしたら続けられる経済活動になりうるだろう?あるいは収入源の確保を別にする方法を考えてみよう、社会とのつながりを考えてみようなどと考えました。
これはラッセルカンパニーが教育事業を行わなかったことから生き延びられなかったということも影響していますが、私自身が社会とつながりたかったからというのがあります。
これらより①学校教育やコミュニティダンスなど一般の方へとダンスを伝えるということ。②一般の方へとダンスを広めるべく異ジャンルとのコラボレーションを増やすこと。③同様に劇場外でのパフォーマンス機会を増やすこと。(低予算での開催が可能、例として巣鴨教会、札幌資料館など)④基本的にきた依頼を断らずいろんなことにチャレンジしてみること。
などがあり、それで収益があがるかはともかく、なんとか生き延びています。
助成金が少ない日本では「自立」がかなり重要な問題になります。しかし思うのはダンスを知らない人は多いということです。自分が自立をしつつ、自由に活動しながら、一般の人へとダンスを広める。私はそんなことを思いました。




劇場法ができ、劇場が若いアーティストを支援する、地域コミュニティを創ろうとするという時代の流れがおきてきました。「現代舞踊協会」が何かをしてくれるのを待っている時間はなく、それぞれが地域へと「自分の能力」で還元していくべき時ともいえます。だって私たちは今を生きているのだもの。しかしそれをするしないは各個人の自由で、「大野一雄型60歳デビュー」でもいいとおもいます。あくまで自分の力で道をきりひらくこと、ただそれだけのことです。


残念ながら私は教育の現場に立っていません。(一般大学生向けの身体表現、幼児体育をのぞく)実績がないからといわれて落ち込んだりもしました。
ほんとに貧しかったこともあり、俗にいうノルマのある舞台も踏めませんでした。
でも、踊るというのはそんなことではない。
道は勝手に切り開けばいい。

現代舞踊協会も昔はそんな勢いがあったはずです。
今では大先生方がそろっていて、いくらでもお客さんが集まるのかもしれませんが。多くの先生方からそういう熱さを感じます。
キムさんもそれをわかっていて投げかけているのかもしれないけれど、誤解されるような言い方があったことは事実です。



現代舞踊協会とコンテンポラリーダンスの間の境はなにか?
という質問については先日山崎広太さんのワークショップ後の話し合いでも出てきました。ポストモダン、モダンとの境は?など。
そんな境を気にする前に
木野にしかできない木野によるダンスをおどればいい。
そんな境を飛び越えてはじめてつぎのフェイズにいける、そんなことを思います。





2013年2月19日火曜日

アシュフォードさん

アシュフォードさんが今日帰りました。
きのブログ読者の中ではすっかりおなじみのアシュフォードさん、今年は2週間以上日本に滞在し、横浜ダンスコレクション、TPAMなどをみて帰りました。
アシュフォードさんは「今年はダンス作品があまりみれなくて」といっていましたが、様々な劇場関係者に会い、ネットワークづくりにむけて一歩踏み出して帰っていきました。
アシュフォードさんはaerowaveというヨーロッパのダンスネットワークをつくりましたが、その後の展開としてアメリカ、オーストラリア、カナダ、そしてアジア地域の環太平洋ネットワークをつくるのが夢だと3年前より話していました。いい加減引退してもおかしくない年ですが、まだあきらめていません。ブルームベルグからお金を引き出せそう!とちゃくちゃくと進めています。最終的にヨーロッパと他地域のエクスチェンジプログラムなどを作りたいそうです。


アシュフォードさんとの話しの中に出てきたことのうち
ロンドンの移民が増加していて(来年?にはルーマニアなどさらに移民が増加するだろう、それに対する危惧もありEUから脱退するかどうかの国民投票を行うそう)、今では元々のブリティッシュは5分の1以下。英語も話せない人が大量にいる!ということが気にかかりました。また、いろんな文化がミックスしていくのはいいことだけれどそもそもの自国の文化を見失ってしまう危険性を示唆していました。つまり「自分はどこからきたのか」というあたりまえのことを知ることができなくなってしまうということです。
日本は島国なので(中国人、韓国人などふえているが)この危機感は今ひとつわからないかもしれません。
私はplace prizeというコンペの際日本を意識して作品を制作しました。世界各国からきた人がいてその中で自分の個性を出そうとしたときに「日本」は必然としてありました。今更ですがそのことはとても大切かもしれないと思います。
相互理解、相互交流をはかる、お互いを尊重するのと同時に自身の核を持ち続ける。
ここしばらく伝統芸能をリサーチしているんだという話しをしたらアシュフォードさんはとてもよくわかる答えました。

1年に1度七夕のようにあう(でも2月中はかなりあう)アシュフォードさんですが、相変わらず元気です。来年ちゃんといいパフォーマンスを見せてあげたいなと今から密かに思います。


おまけ
海外から来た人たちの通信問題について、これまでも何度も問題になっていました。
いろいろアシュフォードさんとも話し合い、模索してみて、今回アシュフォードさんはe mobileのワイアレスwifiをアウトレットで買い、それで回線をつなぎipadやipod touchでskypeとメールを駆使して暮らしていました。電話は使えないけれど、、、便利な世の中になったものです。




宗教について

昨年上演した「からたち」を再演しようと計画を立て、巣鴨教会の牧師渡辺さんと少しずつお話しする。かれこれ1年、ちょっとずつ関わりながら、わかるところとわからないところと。今でもキリスト教的考え方に違和を覚えることは多い。
渡辺さんは大きな度量で素朴な疑問に答えつつ、自由にお使いくださいといってくださる。ありがたい限り。しかしお言葉に甘えずもう少しちゃんと勉強します。
昨年もう一つ上演した「しづ」もできればフルレングスの作品にもっていきたいと企み、場所などを探している。こちらは静御前の舞なので白拍子舞がベース。鶴岡八幡宮で行われているものが有名。つまり神道系。
日本人、こういうときは都合良く使い分ける。
が、どうしても感じてしまうキリスト教に対する違和感、仏教に対する疑問、神道と仏教のごちゃまぜをなんとかしたいと思い、本をよんでいるところです。

日本人は無宗教ではなく、様々な宗教を受け入れようとしただけのこと。
この宗教!と決めることではなく、それぞれのよきところを学んでいきたい。


札幌に帰ったときに改めてアイヌ関連本をいくつか入手したが、私はどこかで八百万の神の意識がある。自然とともに感謝して生きる。そんな原風景がキリスト教などの教義をよんだときに違和感を感じさせてしまうのかもしれない。

私たちはどこからきてどこへいくのか
私が問いたいことは宗教に似ている。
ダンスはそもそも神への祈祷からスタートしたとも考えられ、巫女舞など神格化していくものも多い。この不安定な世の中でダンスがはやる現状、どこかで宗教を求める現代人の心理の現れなのかもしれないと思う。

地下鉄の中

地下鉄の中で普段私たちは何をしているだろうか。
先日UTCPで行われた山崎広太さんレクチャーの中で地下鉄の中が一番の稽古場という話しが出てきていた。大学時代にお世話になった厚木凡人さん(彼もまたニューヨークで活躍したポストモダンのダンサー・振付家だ)も同じようなことを話していた。
地下鉄で立ちながら、身体のことを考える。
日々稽古。
常に稽古。
ききにきていた人は驚いているかのような反応だったが、
どこからがダンスでどこからが生活かわからない現代において、それはあたりまえのことかもしれない。地下鉄でも、誰かとの対話でも。どんな日常の中にも目線の向け方、自身の意識で発見はあり得る。
個人的にはダンスの稽古は武道の稽古に似ている他、禅宗にも似ている。ちょっと禅問答のそれに近い。
また、古くからあるお稽古場のシステムは一歩間違えると宗教に似ている。(それを嫌う傾向もあるが根強く残っている)
世の中の多くのことはダンスとリンクしている。あたりまえだ。私は社会の中でいきており、ダンスもまた社会の中にある。社会一般のなかから学ぶことは多い。

板橋赤塚の田遊び

ここしばらく民族舞踊系リサーチがつづいていますが、先日東京都板橋区下赤塚の田遊びという国指定重要無形民俗文化財をみにいきました。
http://www.nponia.com/page13-simoakatukataasobi.htm
諏訪神社という神社で毎年2月13日に行われているお祭りで、氏子達がお酒と沢庵を食べる会のあと、神輿を担いで浅間神社(一見広場)へと移動し、花籠と早乙女役の子どもや獅子の対決があり再び神社に戻ります。
神社に設置された「もがり」のなかで田遊びと呼ばれる謡(と行為)がはじまり、最後に特大のどんど焼きがあります。
その間およそ2時間。
寒いです。
ホッカイロなど必須。
でもこんなイベントが都内のしかもこんな間近であろうとは。
なお、2月11日には北野神社(同じく板橋区大山)にて田遊びがあるそうで、2つとも昔ながらの田植えをもとにした祭礼として知られています。ご興味のある方は来年ぜひ。
あんまりいい写真とれていないですね。。。




2013年2月13日水曜日

2月16日UTCP

ダンス業界は横浜通いで忙しいこの週末。
昨年12月に公演させていただいた東大UTCP共生のための哲学センター主催のレクチャーとワークショップがあります。
今回は山崎広太さん。
その昔きのの即興をかってくれた人です。
大学時代(もう何十年と昔の話しですね)よりお世話になっています。

この企画3回シリーズということで次回が最後。ただ今後も身体について考えるような講演を企画していきますと内藤さん。無料ということなので、ぜひ!


2013年2月12日火曜日

ダンスを教えるということ⑤

ダンスと教育について考えるシンポジウムにいってきた。

先日④で紹介した横浜市の芸術文化プラットフォーム(http://y-platform.org/)事例を担当するSTスポット小川さんより説明を聞く。とても話しが分かりやすく、うまい。さすが現場のこともよく知る人だと思う。

実際学校とはとても狭い世界で外の人をいれたがらない。
そこにアーティストが直接入ろうとしてもなかなか難しいので、架け橋役が必要と小川さんは劇場や各アート団体のコーディネーター、学校をつなぐ役割を果たしながらその輪を広げ続けて10年になるという。

10年の間に少しずつ参加する学校もふえてきたが今でも全体(横浜市の)の10%ほどでしかない。それでもこの国の中では珍しい事例である。
今後どんどん広がっていってほしいと思う。

静岡SPACでは静岡中の学生に一度は劇場でみる演劇を体験させたいと中高生鑑賞事業を行っている。正直ものすごい回数の上演を繰り返すことになる。
これも県内に専属劇団を抱えていればこそできることだが、静岡だけなのが残念。

ダンスをしたことがない人、みたことがない人はたくさんいる。
その人たちに一度でも「面白いかも」を体験してもらう、こういうのあるんだと思ってもらう、そのはじめのきっかけをどのように作り出していくかもとても重要な問題だと思う。

学校でダンスがとりいれられるようになっても、中途半端なあるいは強引な形でダンスを強制しては「なんかよくわからない」「こわい」「へん」何ど嫌なイメージがついて終ってしまう。もちろん学校の先生にダンスをしってもらうのも一つだが、アーティストが直接はたらきかけるそんな機会を作り出したい。

一昨年札幌にいった3回の機会は高校の演劇部の学生さんにダンスの表現に触れてもらうための機会だった。(文化庁)この際コーディネートしてくださったのがコンカリーニョさん(そのときの収入をもとに1月の公演を行ったり。ありがとうございます!)。
一緒にいった小島さんとも「劇場がどのように核になるか」という話しをしました。
私はしがないダンサーですが、これからもがんばろうと思います。


おまけ
横浜確かにすばらしいのですが、
私が住んでいるのは相模原市。つまりすんでいる場所でできることはないかなと思うのも事実。日本全国でおきていくべきではないか?ちょうど小島さんと町田(町田は隣の駅なのですが実は東京都でちょっと微妙)ゆるのび企画を相談していて、ますますそんなことを思いました。今すんでいるところ、今の私の周りをどのようにかえていけるかっていうのも大事なこと。


普通の人に対して展開するダンス→からだあそびということで伊藤キムさんのワークショップ付き。私は見学(応募者多数のため)。AMANOGAWA、ニヤカムさんワーク、ここしばらく美術の学生さん向けワークショップなどで行っていること共通するところ多数ありあまりにも近くてちょっと衝撃、でもすごい「わかる!、そうそう!」というのがありちょっとうれしく思う。


フラダンス、社交ダンス他いろんなダンスは実はブームの中にある。
外を見るというのもすごく大事。



本日の言葉
「やりたいことしかやらない、それもまたアーティストとしての姿勢、そういう強い人と仕事がしたい」by小川さん
「ダンスが社会で必要かではなく、今私たちは既にある、そこからなにをしていけるか、ですよね」
「スポーツの中で問うと優劣とかになってしまって、結局偏差値な感覚とかわらない。ダンスってそういうものじゃない。それをとっぱらうには」小島さんとの対話








ダンコレくじびきダンス

ダンコレくじびきダンス無事終了しました。
すごい遅い時間にも関わらず(コンペからみていると4時間みっぱなしで結構しんどかったはず)見に来てくださった皆様、(私たちを見に来たのではなく、のこっていただけだったにしても)ありがとうございました。

そもそも今回ダンコレ出身者の皆さんにお声掛けをし、ダンコレを通じて仲間をつくるきっかけになればと考えて設定しました。
(過去2007年より形を変えながら継続しています)
が、今回やりましょうといってくれたのは井田亜彩実ちゃんのみ。さみしいなあと思いました。

背景には日本のダンサーさん達はあまりに忙しい現状があります。
特にこの時期は公演がたくさんあり、出演掛け持ちもあったり、見に行かねばというのもあったり。自分のリハーサルだけで手一杯という。作品終ったらさっさと帰る。他の人のものはみない、それってどうなんでしょう。

また、仕事でご一緒した方の公演を見に行って感想をいいに行こうと思ったところ、(ちゃんとお客さんとしてお金を払っていきました)「偵察にきたの?」といわれてしまう、その状況。

皆ライバルなのでしょうか。
作品を売るだけの場所ではない、これだけの多くのダンサー・役者が集まるこのシーズン、もったいないなと思うのは私だけなのでしょうか。

私は普段こつこつ一人で作品をつくっていますが、1年に1度こうしてわいわい『楽しく』おどる時間をつくります。でも来年は多分違う形にしたいなと思いました。

飛び入り参加のJOUさんKanichiさんありがとうございます!


実は終了後久しぶりに古巣のBankARTにいきました。ビールをのみに。
代表池田さんのご好意により、川俣作品の残るホールで2次会(全員でないのが残念。なにせ突発的な出来事だったもので)。超あそびまくりました。はじめからちゃんとこうして設定すべきだったかも。
場所を提供してもらえるからといっても、参加者もいない、時間も制限される環境でしかしそれでも巻き込まねばと努力する自分がとても悲しくなりました。

ビール飲みながら終ったあとみんなでいろいろはなしたことは結構宝物かも。
また企まねばですね。




おまけ
今年は外ダンスではないのですか?という質問が出ましたが、
実は赤レンガ倉庫前は坂本龍馬に占領されていて、このままお外ダンスをすると「坂本龍馬をたたえるダンサーたち」にみえることから不可と判断されました。またいつか。


2013年2月10日日曜日

生演奏とおどることについて

ダンコレくじ引きダンス・おそとダンスシリーズについてよくきかれる質問になぜ音楽は生演奏なのか?というのがあります。

ここ数年音楽の方との作品制作を続けており、ライブ演奏のものもふえてきました。昨年発表した作品のうちAMANOGAWAプロジェクト、からたち、Never let me go (音楽はいずれも上地正彦作曲、からたちはゴルドベルク変奏曲を含む)はCDなど音源があるもの、Piece(ドラム田中徳崇)、しづ(箏八木美知依)は生演奏となっています。
音が固定されることによりできることもたくさんあります。
しかし演奏者もまた呼吸をし、この舞台での感覚を味わっているライブ感を私は楽しいと思い、また音の質についても一緒に考えだせるので、続けています。
また感覚・視点が全く異なっているので話しをしていても興味深いです。


舞台は総合芸術です。
すべてを自分で作り上げる以外にも様々な方法があります。
くじ引きダンスやおそとダンスはある種のきっかけとして設定した会でもあるので、ダンサー同士を結びつけるだけでなく、ダンサーと音楽あるいは異ジャンルの方を結びつけたいと考えました。

札幌で作成した「札幌資料館パフォーマンス」も生演奏で行う即興を含んだ作品でした。ここ何年かの試みがすこしずつ形になってきています。それもまた私自身あるいは音楽家の方々との一緒に過ごしてきた時間があるからこそ。参加してくれる音楽家の皆さんに感謝いたします。




ダンコレくじびきダンス


ダンコレくじ引きダンス2013
日時:2012年2月10日(日)だいたい8時15分から(というのはその前の演目によりのびる恐れあり)
場所:赤煉瓦倉庫1号館2階ギャラリーダンコレショーケース会場

なお、6時頃より同会場にて無料のダンスショーケースがあります。(4時からは3階でコンペティション部門があります。こちらは有料)
お時間ある方はそちらもぜひお越し下さい。
きのさいこ


ダンスコレクションはどうしてもコンペティションの色彩が強くありますが、これだけのダンサーが集まる場であるからこそ、新しい出会いの場とならないだろうかと2007年より屋外での即興パフォーマンスやこのくじびきダンスのような企画をはじめました。ダンサー同士が知り合うには一緒におどってしまうのが一番と考え、さらに音楽家に加わってもらうことにより、よりフレキシブルに設定できるようになりました。
作品になる以前のそれぞれのダンサーの身体の中に既に個性はみえています。お好みのダンサー・音楽家を見つけまた話しかけていただければ幸いです。
本来このくじ引きダンスはオービタルリンクという中沢レイさんが主催する企画をベースに行う予定でしたが、参加者が少なかったことなどもあり、特別ルールで今回はおおくりしようとおもいます。


『ルール』
12分×2セットを行います。
st セット 自己紹介のためのセット
①くじを引く(中身は明らかにしない)
②ダンサーと音楽家は4隅にすわる
③1をひいたひとから演奏・ダンスする(誰に出会うかはそのときまでのお楽しみ)
④3分できのが合図を出しますがその次の人がその前の印象をうけて入ってくるので上手い具合にフェイドアウトする
⑤3分が4組(ダンス1音楽1)=12分で終了。

2nd セット 
①くじを引く
②音楽チームは上地くんの指示をうけつつ4人・2人・2人・4人の組み合わせで演奏
③ダンサーチームは1の札を引いた人からおどり始める。
④木野は客席に座っているダンサーさんぽい人を巻き込みます。
⑥基本的にダンサーチームはだんだんふえていく方向で。2→4→6→?


おまけ
本来のオービタルリンクは
①くじを引き3人グループをつくる
②一人3分ずつ即興(あるいは持ちネタを行う)
③最後にそのグループ3人で5分間の即興を行う
というシステムです。詳しくはhttp://orbitallink.tumblr.com/をご覧下さい。
明日(2月11日)も名古屋で開催予定です。



『今回の参加者』
音楽
上地正彦:Masahiko Ueji
ピアノ演奏家。幼少よりクラシックピアノを学び、2002年より東京や神奈川を中心にバンドおよびソロで活動。舞台やダンス公演での演奏および作曲も行う。2010年よりベルリンに移住、ヨーロッパに演奏活動をうつす。

三ツ井嘉子:Yoshiko Mitsui
1985年生まれ、茨城県出身。中学校の吹奏楽部でフルートに出会う。大学で上京し、Jazz研のサークルに入り、沢山の人に出会い音楽の道を志す。現在は、都内等を中心に、ImprovisationやJazzやPopsなど、人の繋がりを大切にしながら、自由な表現を追求している。

ノブナガケン:Nobunaga Ken
本名「信長憲一」福岡県生まれ、東京都在住。微音から轟音までを行き来する即興演奏者。打楽器(ドラムス、フレームドラム etc)/弦楽器(大正琴、ギター etc)/笛 (thumpy)/ボイス などを用いる。ソロ、音楽家、舞踏家/ダンサー、美術家、映像作家、華道家などとのセッション/コラボレーションを続けている。Tetragrammaton(テトラグラマトン with Tomo, Cal Lyall) 00(ゼロゼロ with Scott Jordan, Takeshi) hisspiss(ヒスピス with Shunichi Sakai) 舞踏グループ「雫」(シズク)[舞踏家「雫境(ダケイ)」主催]など、いくつかのユニット、グループで活動。スペイン、ドイツ、韓国、香港、中国などでも演奏。元[電子雑音]スタッフ。霊的なるざわめき、宇宙的調和。http://freeimprovisation.web.fc2.com/mem09nobunaga.html

荒井康太:Kota Arai
15歳からドラムを叩き始め、その後カメルーンのドラマーBrice wassyの演奏に衝撃を受け、彼とその弟Vincent wouassiに師事。現地にも渡り、カメルーンや西アフリカののトラディショナルリズムをエッセンスとしたドラミングを学ぶ。伊豆諸島最南端の孤島青ヶ島に生まれ育ち、幼い頃から伝統太鼓に慣れ親しむ。青ヶ島太鼓・八丈太鼓を代表する名手の一人でもある。


ダンス
井田亜彩実:Asami Ida
9歳よりモダン バレエを谷井よう子に師事。筑波大学在学時にコンテンポラリーダンスと出会う。これまで、近藤良平、平山素子、KENTARO!!、山田勇気等の作品に出演、2008年から現在までDANCE COMPANY BABY-Qの全ての作品に 出演、活動中。また2009年より筑波大学院舞踊コース在学し平山素子にも師事。ソロや、「いだく ろ」「いだのり」「いだあお」といった様々なダンサーとデュオで作品を多数発表。今後もカンパニー設立を野望に精力的に活動中。ベラルーシの振付コンペで1位受賞、作品はショーケースにて。

永井美里:Minori Nagai
1983年生まれ、神奈川県横浜市出身。6歳よりバレエを始め、2003年に英国ミドルセックス大学ダンス学部でコンテンポラリーダンスを学ぶ。スキナー・リリーシングやコンタクト・インプロビゼーションの影響を強く受け、身体への探求心を軸に活動を開始。帰国後、2007年よりAAPAの創作にダンサー及び振付家として参加。現在、ダンス講師としても神奈川・東京を中心に活動しています。blog:http://minori.aapa.jp/  

ウッフ
おどりこさいこ友人 不肖ダンサー 昨年木野作品にて横浜赤レンガデビュー 名古屋栄にてオービタルリンク初参戦   . ガロッタファミリージャポン     

木野彩子:Saiko Kino
この企画の首謀者、2003、04、07年にダンコレに参加。育てられたも同じで頭が上がらない。昨年は10年10色でもお世話になる。受賞して10年経過、まだまだ迷走。最近は一般の方とのワークショップとダイアログから映像を制作するAMANOGAWAプロジェクトをたちあげ、現在も全国各地へ運ぶべく活動を続けている。おどりこさいこ:http://saikokino.blogspot.jp/


飛び入りダンサー
JOU

Kan-IchI
突発的にとはいえありがとうございます!プロフィールなど後日アップせねばですね。







2013年2月5日火曜日

いきのびること

久しぶりにFacebookをみて(ここ数日ほとんどチェックできていなかった)、あまりの情報の多さに圧倒されて、放棄。
友人の転職・リスタートの情報をかろうじてみつける。
昨年のうちに知ってはいたことだったのだけれど、やっぱりというかそれでもけっこうへこんだりする。いつも一緒にいるわけではないのだけれど、あまりに密な時間を過ごしていたせいかもしれない。
今、私にできること。私がすべきこと。
なにがなんでもいきのびるということ。
そのための選択。
私たちはどこにいてもつながっている。
次の夏、またがんばらねばと思う。

夢をつなぐために。また、想いをつなぐために。

黒川能もすごかったんだけれど、その報告はまた後日。

こどもたちへ