2013年12月24日火曜日

パフォーマンスキッズトーキョー

パフォーマンスキッズトーキョーのシンポジウムに参加する@千代田3331

芸術家とこどもたちが行っているアーティストの学校派遣プロジェクトの長期バージョン。私が参加させていただいたのは2日だけのASIASでしたが、10回(あるいはそれ以上)のワークショップを積み重ねてこどもたちと作品を制作、学芸会や3年生を送る会などで発表を行うというもの。アーティストはダンスに限らず、音楽美術など幅広く、シンポジウムで話していた港さんのように太鼓をつくるところからスタートする音楽などボーダーレスな活動も可能。
今回のシンポジウムでは文化人類学の先生と、現場(通級学級)の先生、脳科学者、アーティストとバラエティに富んだ人選でした。
その文化人類学の先生は三木成夫の「胎児の世界」の話し(懐かしい!とりあえず身体系の方はぜひ読むことをお勧めします。基礎知識なくても読むことができます)をはじめ、体奏家新井英夫さんのつぼどころにはまり、もりあがったりもしたのですが、個人的に興味深かったのは、通級学級にかようこどもたちの話しでした。
昔自閉症と呼ばれていた症例は今はかなり分類されるようになりました。カウンセラーなどと相談の上コミュニケーション面で様々な困難を抱えるこどもたちを週に何時間(何日間)か預かり、クラスを展開しながら、コミュニケーションの仕方に気づきを与えていくというものです。自分の感覚を言語化することが上手くできなかったり、いろんな考え方があるというのが理解できていなかったり、そのこどもによって異なるのですが、皆で様々な遊びをしながらそれぞれが考えていく。
自分がこどもだったとき、そんなクラスはなかったし、そんな分け方というのはなかったので、今はそこまできているんだと驚きました。おそらく昔もコミュニケーションが上手くできないこどもはいたと思うのです。おそらく今と同じくらいに。(なお、そのシンポジウムの中では「何らかのサポートが必要なこどもが6,5%だか6,8%といる」との言葉がありました)その人たちはどのようになっていったのか。

また、誰かの質問でこどもたちは認識しているかというものがありました。
気づくということは痛みを伴います。
気づき、そしてそれを改善していくというのができればそれでいいのですが、そのことにより自分を責めてしまったり、他人を認められなくなっていく。まずは自分を認めるところからという現場の声はパフォーマンスキッズトーキョーに限らずすべての芸術活動を必然とする言葉ではないかと思いました。

逆に言えば
学校に外から入る異物(アーティスト)としていく以上、
「みんなでできてたのしかったね、もりあがってよかった」だけではいけなくて、
「なぜ表現が必要なのか」ということをみせれる人であった方がよいのではないかとも思いました。学校の先生ではない人だからこそできる役割。

ちなみに1階ではポコラートの展示を行っていて、それもとても興味深かったです。
暗闇で走るワークショップが興味ありすぎて仕方ありません。(既に終了)



0 件のコメント:

コメントを投稿