2018年1月18日木曜日

グローバル時代の国家と社会

今回ダンスハ體育ナリ其の二で扱う明治神宮外苑の話は昨年グローバル時代の国家と社会で紹介している。
筑波大学社会人大学院生になる頃、2020年オリンピックが決定し、授業内でも触れられていた明治神宮外苑とオリンピックの関係性を掘っていくと、1940年に開かれるはずだった「幻のオリンピック」が見えてきて、さらにその時代の戦争へ進んでいく雰囲気が見えてくる。
日本の近代とはなんだったのか。
明治とはなんだったのか。

グローバル時代の国家と社会は2016年より開講されるようになった大学の共通教育の授業で、地域学部教員11人が集まってオムニバスの講義を行っている。元々は入学式、卒業式で国旗の掲揚、国歌の斉唱が大学の判断で(話し合いなどが行われずに)行われるようになったことに対する疑問の投げかけから始まった。

留学生たちも沢山おり、グローバルを掲げている大学があえて日本の国歌だけを歌うのはどうなのか、全卒業生の国の旗が揚がったらいいのではないかという外国人の先生、本当は歌いたくない子もいるかもしれないのにそれを強いる形が気になるという音楽の先生、様々な立場から今の時代にどのような形があり得るのだろうと考え始めた。

その年赴任してきた私はダンスハ體育ナリのこともあり、なんとなく巻き込まれながらいろんなお話を聞いた。障がい者に対する差別の問題、海外の国歌、様々な唱歌の変遷、科学者の倫理の問題、戦争経験者の話を聞く、、。それぞれが自分の専門に即して話すので内容は様々だったが、少数者、弱者とされる人の言葉をいかにひろいあげるか、また対話をし続けようという努力が必要だという印象を受けている。
鳥取はどちらかというと経済的には貧しく、人口も少なく、弱い県である。しかしその分それを拾い上げながら助け合いながら生きていくしぶとさも持ってきた。そしてその貧しさや弱さは逆に新しい可能性を持っていると価値観の転換を図ろうとしているのが地域学部ではないかと感じている。成長すればいいのか、お金があればいいのかそうではない。本当に人が幸せを感じて生きていくにはどうしたらいいのだろうか。そういう思考を持っている人たちが合理性や効率を求める近代について、近年のナショナリズムの高まりについて揃って疑問を投げかけている。

シラバスは公開されている。(ちなみに私のところの参考文献が間違ったまま掲載されている)

もうすぐ赴任して2年になる。今年も署名運動は行うらしい。
ある意味このレクチャーパフォーマンスはあれから2年、大学で学んだことをまとめるようなものなのかも。

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