2018年8月12日日曜日

ネパール仏教

このタイミングで何故か、ネパールから金剛阿闍梨が来るからきませんかと言うお誘いをいただき比叡山へ伺う。
このブログを見るとわかりますが、木野は昨年カトマンドゥへ行き、何故か謎のダンス教師チャンドラマンさんに出会い、様々なチャリヤヌテラを教えていただいたのですが、私よりはるか前よりネパールに通い詰め、学んで、今は尼となり普及に務める岡本さんと言う人がいます。
え?なんで比叡山??とか思いつつ伺いました。
で、護摩だきをしました。(ちなみに来週は三徳山での護摩だきなので、比較の上でも貴重な経験です)そのあとチャリアヌテラを拝見し、ご飯をいただき、住職さんとお茶をすると言う謎の経験に巻き込まれました。

ここにきていた民族音楽の先生と色々お話しし、この世の中の不安定さ、また自身の存在感を失ってしまうのを止めるのはやはり音楽や舞踊といった芸能と、宗教しかないのではないかと言うこと。様々なお祭りの魅せる前のお祭りの面白さなどを話し、妙に共感。
重要なことはうまいとかへたとか誰が決めたのか、その前に戻せばいいんじゃないかと言うこと。

その先生曰く、一時期ネパールによく通っていたそうで、正直貧しい国だけれど、お祭りを欠かすことはない。つまりこのお祭りによって人々は心のバランスを保っていて、それゆえ豊かに暮らしていると考えたそうです。
心の豊かさ。
コンピューターやAIに全ての仕事が置き替わられてしまうなか、人でなければできないことは何かと考えた時に、この身体に関することと、心に関することしかありません。
芸能や哲学、宗教はそこにダイレクトにつながる可能性がある。

宮沢賢治じゃないけれど、なんで生きるかって大事だと思うんです。
(比叡山で宮沢賢治歌碑見つけてビビりました。まさかこれに呼ばれたわけじゃないよね??って)


注(追記)
岡本さん、日本の密教について学ぶべく、比叡山にて修行をし、尼になったそうで、その時の指導教官(僧の世界にもあるのです。また比叡山の住職という仕事は輪番と呼ばれ、3年で交代していくのだとか)がご住職だったということもあり、今回の企画が行われたとのこと。ネパール仏教も天台宗も、どの宗教も受け入れるという比叡山の懐の深さがすごい。(日本の仏教はみんなそうなのかもしれません)実際に真言宗の僧籍の方がいらっしゃり伝法灌頂を受けていました。
尼になる修行はかなり厳しいもののようで、あまりにもたくさん詰め込まれるので、毎日1時間くらいしか寝れなくて、でもそういう密な時間を持てたことはとても貴重な経験だったそうです。

余談ですが私、最澄さんと同じ誕生日らしいということを知りました。(お祝いがあるのだそうです)

0 件のコメント:

コメントを投稿