2018年8月2日木曜日

狂言

このタイミングで野村家鳥取公演を見に行く。演目はちょっとマニアックだけれど(舟取婿と小傘)わかりやすく動きのある演目だったので、お客さんも楽しんでいました。オリンピック効果もあり観客席満席。
万作さん、萬斎さんの順で出てくるのだけれど(これは昔から。人気の問題と小傘は人数が多く出てくるタイプの演目なせいもある)万作さん87歳まだまだ元気。笑わせどころから何から可愛くってしょうがない。能も含め歳をとってからが勝負と言われる伝統芸能の凄さを思い知りました。遠くてもしぐさがすべてわかる。そしてその人の色が出てくる。狂言の言い回しには独特の節があるのだけれど、そのお約束に乗っかっているのに自然に聞こえてくる。そしてあの倍音みたいな声。そんなわけで万作さん、今見時です。

狂言は大学時代実は狂言研究会(入学した頃に配っていたチラシに大きく丸と狂が書かれていて、ナンダコレハと思ったのがきっかけ)に入っていて、野村家にお世話になっていた時代があります。当時萬斎さん、襲名したばかりで、イギリスに行って帰ってきたあたりの頃。
伝統芸能というと堅苦しそうだけれど、すんなり入らせてもらって、装束の虫干しとか稽古場とか見させてもらえたのはある意味貴重な経験だったと思っています。(当時はマニアックな部活で、4つの大学合わせても私の学年は私しかいなかったという)謡本のカバーが皆千代紙とか使っているのに、たまたまあったアルビンエイリーかなんかのチラシで作っていたら驚かれた記憶が。変な子だと思われていたに違いありません。
扇の使い方、すり足の基礎みたいなものはここで学んだと思っているし、民俗芸能を見に行ったりするくせもここでついたような気がします。(なので教材としても結構いいのではないかと思って非常勤枠の授業を作ろうとしたこともあります)

能だと眠って起きてもまだ同じシーンだったってことがあるという昨日の解説をしてくれた高野さんの言葉は、同じことをキューバ人も言っていました。でも高野さん曰く、狂言は全部しゃべり尽くすから進行しちゃって気がついたら終わってますからと。能が舞であるのに対し、狂言がセリフ劇であるとも。なるほど。そういえばそう。(でも私自身は小舞といって練習曲のような舞を学んでいたのだけれど)能だと源氏物語とか文学の話になっていくんですけれど、狂言普通の人ですからとも。
常に能の陰に隠れていた狂言という存在。ここ数年茂山家の活躍もありどんどん表に出るようになってきています。今の時代に合っているんだろうなとも思てみていました。
一方で多分今自分のしていることは能の世界に近いことであえて舞なのだなあと思ったのでした。

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