2019年2月3日日曜日

モーションクオリア

大学時代の同期関ちゃん(関典子神戸大学准教授)が劇場実験を行うので見に行く。
舞台公演ではないものの、劇場を用い、モーションクオリアという概念を追って1年(彼女が初めてこれに出会ったのは4年前だから構想4年)研究してきた物に関する講演とパフォーマンス。
舞踊の研究をどのようにするかと言う点でも興味深かったし、今回とても興味深かったのは大学同期としては彼女自身の作品制作のスタイルが審美性にかなりこだわりがあったのがソマティクス研究家たちの動作解析とインタビュー調査により変化していったこと。木野個人的に興味深かったのはただ行っても重力により運動の必然性は生まれるけれども、作品としては意味がないと言う最後の工藤さんの発言でしょうか。本当は関ちゃんが今回学んだことをもとに踊ると考えていたけれどもやめることにした、それはそれだけでは意味を持たないからだと言う。つまり運動を生みだすテクニックや技法ではあるけれどもそれ自体は作品とはならない。とすると彼はそこではないところに作品を置いている(なお、そのとき上演した作品はスェーデンにおけるフェミニズムの影響を受けている)こと。あと個人的には宇宙物理学者さんが宇宙モデルの映像を見せてくれ、こういう多様に起き続ける感じを示したと言うことでした。

前者は俗に言う即興ベースの作品作りでも言えることなのですが、何を持って作品とするかと言うのを表していて、興味深かったのと
後者は、おそらくその同時多発かつ連動して起きて行く感じは私たちも感じている。かつ私たちの身体の中にそれは既にあると言うこと。さまざまな自然現象や宇宙で起きている事に私たちはおそらく連動していること。つまりこの世界の多様性はあるいは様々な爆発はこの宇宙の理のミニバージョンを体験しているようなものなのだと思いました。
モデルの人は嘘が無いようにと消してしまっていたけれども、わたしが思うに最も面白い瞬間はモーメンタムの瞬間。
今回ワークをしながら思い出したのは位置エネルギーと運動エネルギーの関係で位置エネルギーが上がり切る瞬間運動エネルギーは限りなくゼロに近くなる。その瞬間相手の力でもなく自分の力でもなく、静止でもない時間が現れ、そのときにふわりと浮く。私ではなくあなたでもないなにものかになる瞬間。わたしはそれは楽しいと思ったのでした。(ちなみにこの物理的イメージを教えて貰ったのはコンタクトインプロとスィングリリースのクラスの中で勝部チコさんから。現在でも木野が初心者向けのダンスクラスを作る場合はスィングリリース系の動きを重視しています)
で、それを作品として成り立たせるための前口上としてあの体操レクチャーパフォーマンスを作っているところがあるなあと。必然の中で動いているのに、コントロールなんてしたくないものと私は思ってしまうけれど、すごいなあ。

色々考えさせられました。私舞踊で研究とかできるのかなあと少々不安になったのでした。


追記
このコメントを書いた直後、勝部さんたち鳥取くるんだってという話を聞き、鹿野町に会いに行きました。(青山学院大学の提供する授業の一環)そういう偶然のような何かがよく起こるのです。

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