2019年2月11日月曜日

一応リサーチ続行中です

とりあえず大量の仕事(卒論と自分の論文と、Amanogawa企画書とシラバス作り)をさばきつつ、関東圏の舞台の嵐に突入する。

この時期東京周辺の舞台公演が激増する時期で、昨年のいまは「ダンスハ体育ナリ其の2」建国体操で走っていた。その2年前も修論と「ダンスハ体育ナリ」で走っていた。今年はお休みみたいだが、リサーチ作業は続いている。

天皇制に関するレクチャー(大澤真幸、東京自由大学によるもの)を聴きに行き、うまい具合に折口さんまで踏み込んでくれて、天皇制と日本のイエ制度を理解する。正しくは摂関政治から院政、現在の政治に続くまで、あえて中心を外すことによって守るという日本独自のシステムについて考える。

曖昧さ、だからこそ続くことができたこのシステム。

最後に引いたのがジャックラカンの性別の公式でした。そこに飛ぶんだという衝撃。


このトークの中で一番ああ、と思ったのは最後の質問でフーコーの監獄の歴史を取り上げ、監獄から見ていないことでしかし規律が守られていくことより、これ、一神教だよねとなったこと。一神教においては「あらわれない」ということが重要で、むしろあらわれてしまっては困る。存在していてはいけないということ。
日本の神様の場合はご開帳といってたまに出てくる(つまりは普段は隠されている)必要があって、それゆえに貴重になるという。正しくは貴重さを出すために隠しとかなきゃいけないんだって。

そんなわけで今年も建国記念の日がやってきます。
(建国体操は踊りません)

追記:どうでもいいけれど、せっかく死者の書作ったのに、建国体操のイメージが強力すぎるのか、会う人みんなに建国体操の話しかされない今回の関東滞在。体操の先生だと思われていて、正直残念。
死者の書悪い作品じゃないんだけれどな。
逆にいうと、どんなに地方で作っていても東京持ってきていないものはないものと同じってことになっちゃうんだなと思うとすごく残念。

ちなみに建国記念の日の解説from ダンスハ体育ナリ2
建国記念の日
 国民の祝日の一つ。古事記や日本書紀における神武天皇の即位日を新暦換算したものとされており、戦前は紀元節と呼ばれていた。大日本帝国憲法公布日。戦後廃止されたものの国民からの熱烈な希望により1966年に祝日として復活する。その際の数10万に及ぶ嘆願は建国記念文庫に収められている。なお、日本国憲法の公布日は11月3日文化の日。明治天皇の誕生日であり、明治期は天長節、昭和期は明治節と呼び、祝日としていた日である。 


追記:
このレクチャーに行ったら何故か綾子舞の時にお世話になった方に再会する。この前稽古で綾子舞を久しぶりにやって、木野さんどうしてるかしらって思ったばかりだったのよ。まさかこんなところで会うとはと話す。
須藤先生の言葉は結構大野さん並に今とっとかないとまずいものな気がして、本当はちゃんとお話を聞きに伺わねばならないのだけれど、今の所誰も手をつけれていないとのこと。やらねばです。




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