震災後、私の友人ダンサーたちが関西/九州などへ移住している現状があります。
ダンサーという身体を使うお仕事だからこそ、放射能他身体に及ぼす影響を気にする人が多いというのが一点、もともとお仕事もアルバイトなど比較的自由な形態の人が多く、移動してもなんとかやっていけるというのがもう一点。あとは同年代のダンサー(もしくは年上)は皆ままさんあるいはままさんなりかけなので、それらの問題にいち早く反応しているというのもあります。
その中の1人、春から九州へ移住する友人におしえられるがままに、木下さんという人の講演をききにいきました。500人以上の関東圏で放射能問題に意識を持っている人たち(多くはガンガーカウンターをもち、マスクをしているので、ちょっとあやしげ)が集まっていました。
簡単にいえば今も現在進行形で進んでいて、既に首都圏の土壌/大気(ちり、ほこり)などに放射能汚染は進んでおり、がれきの受け入れするしないに関わらず、危険なものは危険だからとにかく逃げるべきであるという感じです。
いかにリスクがあるか、またどのようなことがおこりうるか、とうとうとはなし、それをききました。質問者の意見もどこへ避難すべきか、家庭内における考え方の違いをどのように解決していくかなどがほとんどでした。
詳しくはブログなをみてください。
アマノガワプロジェクトをたちあげるにあたり、とても考えさせる課題です。
私の中では
では逆になぜはなれないのか
ということを考えています。
なぜ、それらの危険があり、それをうすうす感じていてもはなれられない理由とは何か、そして何を守ろうと(維持しようと)しているのかということです。
先日玉川にいったときに学生さんより「なぜ札幌にかえらないのですか?」(ちなみに質問した学生さんも札幌出身でどうしようか迷っていたとのこと)という質問がありました。その質問は放射能とは関係なく、私の活動ベースが二つに分かれていることに対する疑問でした。いたいところです。
各家にそれぞれの事情があり、それぞれの考え方があると思います。
アルテリオ映像プロジェクト(AMANOGAWAプロジェクトの一回目にあたります)はいろんな意味で、今私がきいてみたいこと、気にかかっていることをいろんな人と話すためにひらくようなものだなあとあらためて思いました。
今日も地震がありました。富士山のふもと。
そもそも今生きているのは何のためか、それを強く問われているような気がします。
こどもをもたないと考えているから、私はいまここにいることができているのかもしれないとも。
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