2015年2月24日火曜日

English schedule(28.2.2015 updated)

English schedule
If you have any question or reservation, please send me e mail.
kinokoticket@gmail.com

03.2015
AMANOGAWA PROJECT in Sapporo



Facebook page:https://www.facebook.com/amanogawa.project


and Performance
15.03.2015
@Red Berry studio(Sapporo)
With film(Amanogawa project in Sapporo) projection , Yuta Yokoyama(tp)


18.03.2015
@Kuu(Sapporo)
With Shota Koyama(dm), Yuta Yokoyama(tp)
08.04.2015
Dance ×Classics
@Sugamo church(Tokyo)
Performance with Ayako Kato(Dancer from Cicago)
Special Guest: Zenchu Watanabe(Organist), Keiko Nakano (Piano)


18.04.2015
Ichigo Ichie
@Sakaiki(Tokyo)

Once a two month, I will organise performance event.
That is talking about artist's work and their interest.
First guest is Ami Yamasaki(Voice and insteration).



15.06.2015
@Sakaiki(Tokyo)
Piano and Harb day

21.06.2015
@Sakaiki (Tokyo)
Ichigo Ichie
Guest :Takao Kawaguchi

18.10.2015
@Sakaiki(Tokyo)
Ichigo Ichie
Guest:Yasumune Morishige(cello)








Saiko Kino English Profile
http://saikokino.blogspot.jp/search/label/Profile

続々酔狂即狂

続々酔狂即狂
2月15日 入谷なってるハウス
18:30開場、19:00開演
2,000円+1order

昨年6月にあった櫻井一也さんの企画第3弾。
年間170ものライブを見に行く(ちょっとすごい)櫻井さんのお気に入り音楽・ダンサーを集めた企画、今年はなんとあの先輩、上村なおかさんとご一緒。
フライヤーを高橋貴子さんがつくってくれています。なんと。


2015年2月21日土曜日

フランス マルセイユ En attendant Buto

2月5日 マルセイユ Asil404
En attendant Buto( Waiting for Buto)

Performance: 05.02.2015 @Asil404
En attendant Buto( Waiting for Buto)


2月7日 @La livery
 07.02.2015 @La livery

マルセイユは場所が2転3転、というのもダブルブッキングなどがあり、いろいろ模索、上地くんがいろいろ調整に動き回ってくれました。ありがとう。
今回本当は5日にきのとTuiaちゃんのそれぞれのパフォーマンスその後7日にコラボという形をとるはずだったのですが、それができなくなってしまったので(5日はダブルブッキング、7日はTuiaちゃんの風邪)それは残念。
7日Luigi さんはニヤカムさんともお友達というアフリカンパーカッション。いろんな楽器を持ってきてくれましたが、準備の間にンゴニ(マリのハープのようなもの、三味線みたいな形をしていますが構えがハープ)のひきかたを教えてくれました。
でもどうにもならないくらい私がリズム感がなく、決まった音階をはじくというだけでも結構大変で、、、情けないかぎり。

La liveryはアーティストさんのアトリエで単に倉庫のため、ろうそく等で光をたして、自分で照明も調整。ちょっとbankart静っぽい感じでチラシの感じには近かったです。
ライトがおちてきて口をきってしまったりしました。だめですね。


Asilは超狭い、薄暗い状態でなかなか苦労しました。どうにも身動きできない。逆に動かなければよかったとあとから反省。


En attendant Butoというタイトルは上地くんの命名。
ベルリンでリアルにゴトーを連想していたのですが、まさかの偶然の一致。
そんなわけで何かゴトーものはちゃんと作った方がいいかもねと思ったりもしました。
なお、上地くん曰く、舞踏を待ちながらなので舞踏ではないということを暗にいっているのだそうですが、とりあえず舞踏の人として質問をされてしまう私。
舞踏の影響力おそるべしです。










フランス マルセイユ 上地料理教室

上地くんは日本にいる頃より料理がうまいことで知られており、日本にいる頃もなにかお店やったらと皆にいわれていました。
現在日本料理店でバイトをしていますが、日本食の作り方を教えるイベントを開催したところ大人気となりました。今回のライブでも日本食つきで売り込みをかけるべく、その日の朝昼ひたすら仕込みをしました。
マルセイユにも中華食材店はあり、そこで様々なものを入手。豆腐をはじめほとんどのものをつくれるそうです。
(今回お祝いに包丁をもっていこうかと考えましたが縁起が悪いのでやめました。なお、イギリス時代フラットを移転するごとに包丁を持っていっていたくらい日本の包丁はすばらしく使いやすいと思っています。多分炊飯器よりも重要度は高いと考えます。かわりに乾物を大量にパックしてもっていきました。)

炊き込みご飯
人参、タケノコのみじん切りとツナ缶(水煮、水は切る)とお米をたく。干し椎茸は戻したあと大きいまま炊飯器へいれ共にたき、最後に取り出して細かく切る。調味料は昆布、醤油、酒、オリーブオイル。

ひりょうず
水を切った豆腐、豆腐を作ったときにとっておいたおから、白菜と人参、ポワロ、干し椎茸、タケノコ(缶詰)のみじん切り、卵、みそ、小麦粉(?)、酒、オリーブオイル(少量)を混ぜて、こねる。
お団子にして油で揚げる

お味噌汁
大根、スプリングオニオン(日本の小ネギのようなもの。
イギリスではよく買っていたけれど、フランス語でなんというのかすらわからない)、味噌、オリーブオイル

みそ汁にオリーブオイルに驚くが、これはヨーロッパ向けだそう。味噌バターにちかくなります。フランスでスプリングオニオンみたのはじめてかも。


フランス マルセイユの街

マルセイユでは上地くんとトィアちゃんのおうちに居候させていただく。
今回マルセイユまでわざわざきたのは、結婚祝いでもあるし、できれば次に何か作りましょう計画の第1弾でもあったのだけれど、残念ながらトィアちゃんが風邪でダウン。チラシ上は名前がのっていますが、コラボレーションは次回以降のお楽しみになりました。

マルセイユは南の港町のせいか、イスラムの影響をとてもうけていて、アラブ系、アフリカ系の人が非常に多くすんでいます。街の教会もこころなしかイスラム的。マーケットなどもアラブ系のお店が多く出ています。
南は危険というのは結構有名な話しで、ちょっとドキドキしていましたが(これまでラッセルカンパニーなどでもカンヌやアルル辺りが最南でマルセイユは初めて訪れました)そんなに心配はしなくてもよさそうです。
街はあまり大きくなく、驚くべきことに夜歩いていると友達にあうという小ささ。地下鉄が2本とトラムとバスがありますが、ほとんどのエリアは徒歩圏内です。(坂道が多いので自転車は苦労しそう)
小さなライブハウスや飲み屋さんの一角でライブ(サルサなどが人気でインプロなどはあまりないのだそう、上地くん談)が行われ、夜になるとみんなご飯を食べてふらふらとでてくるのがマルセイユ流。なので19時といって大体20時スタート。普通は20時半とか21時くらいからスタートだったりします。今は冬だけれど夏とかはきっと楽しそう。
そう、私が訪れたこの日、マルセイユにはなんと雪が降りました。雪1年に1回ふるかどうかの雪。たまたまですが、今回の旅行中、札幌、ロンドン、ベルリン、パリ、マルセイユいずれも雪が降り、しかも飛行機移動はすべて遅延が発生。寒かったです。でも、本当はもっと青い空がみられるらしい。

物価は安くはないものの、パリと比べれば大分落ち着いています。ちなみにベルリンとマルセイユのチケット代は5ユーロですが、最近では3ユーロとかただとかいうことも増えているそう。(ワインやビールを売ってその売り上げを得る)5ユーロ=700円くらい。うちの近所でやっていたらビール飲みがてら気楽にいくだろうなあと思います。日本のチケット代は私は決して高くはないと思っていますが(20003000円)交通費で1500円かかってしまうこの状態でこの気軽さでのぞくゆとりはなかなか生まれないと思ったりもします。

生活をしていくうえで最小限にいきていこうとしたときにいくらかかるかというのは結構重要なポイントで東京の大変さというのはちょっと異様です。
私も関東圏にすんでいますが、家がなかったら帰ってこなかったかもと思うくらい。

ベルリンも物価が安くて「芸術家の天国」といわれたりもしますが、仕事も少ない(競争相手も多いし)のは事実だとのこと。どこでくらすかはなかなか難しい問題です。マルセイユは(私がいた時期が超寒く暗いときだったとはいえ)程よく街、ほどよく自然があり、温暖ですみやすそうと思ったのでした。
トィアちゃん曰く、イタリアににててすみやすい(彼女はトスカーナの人だとか。これまたおいしそうな土地)のだそう。







10年一昔


今回上地くんが宣伝のため様々なところから過去映像を探し出してきてくれた過程でなんと今から10年前のマンションドサブルでのパフォーマンスの映像がウェブ上にみつかった。ユーグもフランツもいる。
木野が2004年からすんでいたパリの家の側にあった、個人のギャラリー。毎週末なぞのパーティーが繰り広げられインプロ系の音楽の人々にたくさん出会うことができました。オーナーのヤンは当時あまり仕事をしていなかったけれど、その後イブリーに引っ越し倉庫を改造したシェアアトリエをもち、かつメトロで働いたりしていました。イブリーの家の方にも既にロンドンへ越した身ではありましたが何度か遊びにいき、大変お世話になりました。
その映像はFrankさんという謎のスイス人がとっていたもので、とある一日の様子がおさめられています。

みて一言「若い」

そして「なんもかわっとらん」(上地くん発言)

そう、恐るべきことに何も変わっておらず、同じような音を奏で、同じように踊っていました。その衝撃。

人はそんなにかわらないということを学びました。
さらにバラの花はヤンがはりつけてたとかものすごく細かい記憶を思い出しました。ユーグは今でもOPAのライブで某女性シンガーに怒った(私に対する態度があまりにひどかったのだそう)ことを覚えているし、そのとき一緒になったダンサーさんも忘れていない。
10年ひとむかしとはよくいうけれど、まさかそんなに時間が経過しているとはおもっていませんでした。


2015年2月20日金曜日

おまけ イギリスの文化行政の変遷について

旅日記がパフォーマンスモードになって忘れるといけないので、追加。今回及びここしばらくでなぜイギリスでここまでコミュニティダンスという活動が盛んになったのかを調べていたら、その昔引き受けることができなかった(企画自体がつぶれてしまった)公演がなぜなくなってしまったのかを知ることになった。
イギリスのコミュニティダンスはここ30年くらいの歴史があるが、広まったのは10年くらいのことだと思う。私がロンドンにいる頃既にカンドゥーコ、ストップギャップ、ダンスユナイテッドなど多くのコミュニティダンスカンパニーが存在していたし、活動はあった。が、私は大きく広まったのは2008年の金融恐慌、2010年の政権交代が大きく影響していると考えている。アーツカウンシルの助成金カット、規模の縮小だけではなく、寄付金などの減少、各劇場が自立せざるを得なくなったこととオリンピックがらみのBig danceのキャンペーンがほぼ同時期にきたことがとても大きい。
ラッセルカンパニーの作品がだめだった(規模が大きく他へまわしづらかったのと今ひとつ評判が良くなかった)というだけではなくこの助成カットのあおりをうけて海外公演がばっさり消えたのと、日本の振付家のサポート仕事と両方はほぼ同時期におきて、永住権をとるかどうするか迷う時期だっただけにかなり迷ったが、結局なくなってしまった。
それまでも劇場ディレクターがかわり方針変換があったなど様々な話しを聞いてはいたが、その背景には本当に大きな時代の変化があったのだということを今更知った。
当時は自分の移住?のことだけで目一杯だったのと、ロンドン以外の地方都市のイメージが今ひとつ湧いていなかったので、情けない話しだが仕方ない。
小劇場が淘汰されるというだけではない。各地に配備されたダンスセンターがいきなり予算0とか半額という目にあっていた事実。
結果として事業を大幅に縮小することになったものの、よく精査した結果、コミュニティダンスを行うことで純粋なクラスフィー、サポーターの増加、寄付金の増加など収益を高めることにつながると判断、コミュニティダンスはかかすことができないと考えているそうです。

日本に帰ってきたら、ニヤカムさん仕事にかかわることになったわけでイギリスにいても日本にいてもするお仕事は変わらなかったのかも?という気はするが、今ふりかえってみてわかってよかった。
助成金に頼らなければ成り立たない状態ってなんだろうと改めて思ったり、逆に助成金に踊らされてしまう自分たちも見えてきたり。イギリスの事例はかなり日本に近く考えさせられます。


おまけ
もしその仕事をうけていたとしたら永住権がとれていた可能性が高いのですが、年2万ポンドともいわれる収入証明(収入を得ている、もしくは見込みがあることを維持しないときえてしまう。また年間の何ヶ月かは英国にいる必要がある)に苦しめられていただろうことを思うと帰って正解と思ったりもします。もちろんお金のことだけではないんですよ。

2015年2月19日木曜日

フランス パリ ニヤカムさんと語る

パリでニヤカムさんに最後にあって、またもなんだか飛び回る生活を送っている話しを聞く。次の静岡作品の話しも少しして「Angel」というタイトルにするのだという。
しかも5月にはカメルーンダンサー引き連れて野外フェスで踊るのだそうだ。(ちなみに子どもたちも一緒に踊ります。なので3月、5月はかなり大忙しと思われます。)

タカセの夢のベースを生かしつつ(おそらくあのバオバブなどは永遠にのこすくらいのつもりです)、前回眠ったところから目覚め、活動し、また眠る(→夢の世界へ??)をえがくのだという。「そしてまた違う子どもたちが目覚め、また異なるお話がスタートする」おもわず同時に声に出す。

そうか、まさかそんなリンクをしようとは思っていなかった。

そして、また日はのぼる。


SPAC enfant プロジェクト http://spac.or.jp/news/?p=10327

ベルリン Frestil

2月1日 ベルリン Tanz Fabrik "Freistil"
http://www.tanzfabrik-berlin.de/de/events/184/2015-02-01-18-00
なぜか舞踏の日と名付けられてしまったけれど日本人ダンサーさん3名とご一緒しました。
アレンジしてくれたのはHeideさんという前回Saraをみてくれた方。あんずさんを思い出すのよ!とかいっていて舞踏だと思われたらしいです。
Makiko Tominaga, Macoto Inawaga , Michiyasu Furutani

Berlin:30.01.2015-02.02.2015
Performance :01.02.2015 Tanz Fabrik "Freistil"
Freistilprogramm 1. Februar 18h Tanzfabrik Möckernstr.68  5 Euro
die Kunst der Improvisation - Butoh

Michiyasu Furutani Tanz

Maco Inagawa Tanz mit Kana Sato Violine

Saiko Kino Tanz

Makiko Tominaga Tanz mit Marcel Schmid Saxofon

先に書いた通り、今から無音1人1時間を考えるのかとかなり思い悩んでおりました。元々ベルリンでは昨年お世話になった上地くんの音源AMANOGAWAの音とろうそくを使って踊ることにしようと思っていたのですが(これは来月の札幌に向けてのトライアルでもある)、空間が円だったので、もうこれは円を回るしかないと円を回り続けて15分という構成にしました。
ぐるぐる回りながら考えていたのはゴドーを待ちながら。
ゴドー、こないことを知っている、でも待つことにする2人。
なぜこないことを知っているのか、といえば、それは私が殺したからだ。
微妙にサスペンスタッチに仕上がりました。
椅子とろうそくそれだけのシンプルな舞台。

特別出演でHeideさんも参加。ちょっと不思議なことが起きています。

これはちゃんとつくらないと。札幌に向けて考察中です。


フランス パリ Mobius

Mobius

メビウスとは

Mobiusとはドイツ語でのメビウス。あのメビウスの輪をさします。
Huguesと蜂谷さんのCD「メビウスの鳥」からいただきました。(ちなみにきのの野望としては蜂谷さんのとり作品アイデアもあります)元々はユーグが中毒的にずっと続いてしまう感じがよいとの言葉からついたものですが、まさか本当にあんなにぐるぐる回る作品になろうとは思いもよりませんでした。

このシリーズは札幌市資料館、滝川市自然美術館、ベルリンACUDにおける「SaRa」など上地正彦、中沢レイも含めた作品制作のあげく、さらにシンプル化したらどうなるかということからはじまりました。それまでも4人のカルテットではありましたが、なにぶん皆が離れているため、2人でのリハーサルを重ねて来ており、その頃から考えるとかなり長い時間がかかっています。
茶会記で2回、パリベルタンポワレで2回(うち1回は15分程度)行いましたが、様々なリハーサルを重ねた結果として何も決めないで即興という形がとられています。(今回は真ん中に裸電球とその周りを私が歩くところからはじめることだけが決まっていました)

この作品制作過程はたまたま静の作品制作の時期にかぶっていたことを付け加えておきます。

静では冒頭に円周を歩くシーンがあり、たまたま茶会記2回目のときに見つけてつけたライトの周りを歩くシーンから後半激しくなっていくくだりは非常に近い構造を持っています。元々黒静は2つの柱を回って歩いており、まさしくメビウスの輪を歩いていました。白静と茶会記2回目はかなり近い時期に行ったこともあり水のシーンなども近い印象を与えたと思います。さりげなくリンクしてはいますがメビウスはあくまで即興であり、ユーグは静の流れをしらない(と思う)のでたまたまです。
たまたまですが、構成上ここしばらく考えていた永劫回帰を示す形となり、ユーグは「はじめてメビウスがわかった!」と感動していました。というかこれまでメビウスわかっていなかったってそれはひどい話しです。

今回直前のリハーサル@パリで大げんかをし、「僕はもうクリエーションできないからこのピアニスト紹介するからなんとかして」とまでメールが来て、おおいにぶち切れ、(ちなみにベルタンポワレにピアノはないがどうすれというのだろう)だったらこなくていい、私一人でやるから!と言い返し、ベルリンでは一人無音で「dance and music」の企画をいかにのりきるかずっと考え続け、プランをたてました。その後かえってきたらにこにこしているし、しかしこれは不吉な予感がすると思ったら、案の定本番でけんか売ってくる。さらに放置プレイ的「でてこない」攻撃。売られたけんかは買ってやるといわんばかりに椅子を振り回し、私にしては珍しくテンション高い会になりました。
椅子をまわしながらサシャワルツになった気がしました。

結果としてこの大げんか3日間がおもいっきり露呈するようなハラハラドキドキ感満載の会になり、よかったという人もいますが、とりあえずまたしばらく封印です。
今回照明でマルゴさんについてもらい光によりかなり助けられた側面もあり、もしもこの作品が舞台作品になるのであればこういうことだろうと思われ、よくも悪くもまとまったというか、もういいんじゃないかという気がしました。今回は記録映像あり。このシリーズで初めてちゃんと記録がとれました。冗談みたいですが本当です。

ユーグのわかったというメビウスが「いろんなことがおきつつ回り続ける」という意味の部分か、私が一番はじめに提示した「平行線上を歩くがゆえに決して交わることがない、そしてそれゆえに続く」ということなのかは疑問ですが、いずれにしてもしばらくユーグはこないので(きても)お休みにします。



余談ですがおかげでというかベルリンのパフォーマンスはかなり構造がしっかりし、さらにプランだけはたててしまった1時間分があるので、いつかこれはこれで作れるのではないかと考えています。





映像はSayori Izawaさんによるもの。パリに長く住む映像さんです。今少しずつ送ってもらっていて、とりあえず短いもののみ。


2月3日 パリ Espace du culturel Bertin Poiree
http://www.tenri-paris.com/j/art/index.html

 03.02.2015
@Espace du culturel Bertin Poiree(Paris)
with Hugues Vincent( Cello)