2015年2月20日金曜日

おまけ イギリスの文化行政の変遷について

旅日記がパフォーマンスモードになって忘れるといけないので、追加。今回及びここしばらくでなぜイギリスでここまでコミュニティダンスという活動が盛んになったのかを調べていたら、その昔引き受けることができなかった(企画自体がつぶれてしまった)公演がなぜなくなってしまったのかを知ることになった。
イギリスのコミュニティダンスはここ30年くらいの歴史があるが、広まったのは10年くらいのことだと思う。私がロンドンにいる頃既にカンドゥーコ、ストップギャップ、ダンスユナイテッドなど多くのコミュニティダンスカンパニーが存在していたし、活動はあった。が、私は大きく広まったのは2008年の金融恐慌、2010年の政権交代が大きく影響していると考えている。アーツカウンシルの助成金カット、規模の縮小だけではなく、寄付金などの減少、各劇場が自立せざるを得なくなったこととオリンピックがらみのBig danceのキャンペーンがほぼ同時期にきたことがとても大きい。
ラッセルカンパニーの作品がだめだった(規模が大きく他へまわしづらかったのと今ひとつ評判が良くなかった)というだけではなくこの助成カットのあおりをうけて海外公演がばっさり消えたのと、日本の振付家のサポート仕事と両方はほぼ同時期におきて、永住権をとるかどうするか迷う時期だっただけにかなり迷ったが、結局なくなってしまった。
それまでも劇場ディレクターがかわり方針変換があったなど様々な話しを聞いてはいたが、その背景には本当に大きな時代の変化があったのだということを今更知った。
当時は自分の移住?のことだけで目一杯だったのと、ロンドン以外の地方都市のイメージが今ひとつ湧いていなかったので、情けない話しだが仕方ない。
小劇場が淘汰されるというだけではない。各地に配備されたダンスセンターがいきなり予算0とか半額という目にあっていた事実。
結果として事業を大幅に縮小することになったものの、よく精査した結果、コミュニティダンスを行うことで純粋なクラスフィー、サポーターの増加、寄付金の増加など収益を高めることにつながると判断、コミュニティダンスはかかすことができないと考えているそうです。

日本に帰ってきたら、ニヤカムさん仕事にかかわることになったわけでイギリスにいても日本にいてもするお仕事は変わらなかったのかも?という気はするが、今ふりかえってみてわかってよかった。
助成金に頼らなければ成り立たない状態ってなんだろうと改めて思ったり、逆に助成金に踊らされてしまう自分たちも見えてきたり。イギリスの事例はかなり日本に近く考えさせられます。


おまけ
もしその仕事をうけていたとしたら永住権がとれていた可能性が高いのですが、年2万ポンドともいわれる収入証明(収入を得ている、もしくは見込みがあることを維持しないときえてしまう。また年間の何ヶ月かは英国にいる必要がある)に苦しめられていただろうことを思うと帰って正解と思ったりもします。もちろんお金のことだけではないんですよ。

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