2018年12月31日月曜日

2018年「手の中には何もなく、腕の中にも何もない。それこそがわれらの仕事」

手の中には何もなく、腕の中にも何もない。それこそがわれらの仕事

2019年は銀河鉄道の年になります。
銀河鉄道の夜は高校時代に演劇作品(当時私は演劇部でした)に出演したことがあり、思い入れがある作品です。2011年に一度舞踊作品化する予定だったのですが、様々な諸事情が重なり断念しており、いつかできたらなと思っていました。私自身の体調の問題もあり、崩壊する瞬間を初めてみた時でどうにもできなかった。生き延びてしまった身としては、ある種のトラウマのように引っかかりを残してきました。
高校の時に演じた銀河鉄道ではわたしは車掌を演じていました。学ランを着ていたことから、宝塚に行くべきだとかファンクラブができる人気(?)が出たりしましたが、見た目はともかくその当時から生と死の境い目をいったりきたりする人としていき続けているような気がしています。
(見た目的にはまさかのダン体2で学ラン復活です。一部にすごく受けている)
当時使用していた台本は北村想のものと聞いていましたが、かなり潤色されていることがわかってきました。平田オリザバージョンなども読みましたが、私が体験したものとは別物。それら様々な銀河鉄道を織り交ぜつつ、新しい鳥取ならではの銀河鉄道を作れないかと考えました。

東日本大震災のあとたまたま乗った飛行機で窓側の席になり暗い沿岸線をみました。
暮らしの光はそのまま星のように輝いている。
夜空の星と同じように暮らしの光が星座のようになっている。
そして、水底に移るその光は死後の世界。
それを見てわたしは銀河鉄道を作りました。

できなかったけれど、せめて核になるはずだった一般の市民の皆さんと作る部分だけでもと思いAmanogawaプロジェクトは立ち上げられました。神奈川(新百合ヶ丘)、札幌と行い本当は来年鳥取で行う予定でしたが、昨年の地震の影響を受けて札幌で開催します。
私達は今ある暮らしをきちんと見直す必要があるのではないか。幸せはそこにある。メーテルリンクの青い鳥ではないですが、そんなことに気がつくためのワークショップです。それをしようとしたらダンスの領域ではないことに気がつきました。ダンスでも演劇でもなく、自分のことを自分で話すための導入としてダンスがあるそんな時間。そのためボディワークという言い方をしています。私は生きることについて考えたいのです。

その後わたしはソロ活動に専念し、銀河鉄道はできなかったけれども、それぞれのシーンを分割させながら作品を作り続けました。Never let me go,からたち、からたちから、Amanogawaプロジェクト、Mobiusなどそのあと作る作品は銀河鉄道の一シーンを切り出しています。ごめんなさいとありがとう、それは同じ数だけあって、ずっとずっともしかしたら死ぬまでここから離れられないのではないかと思います。
その時迷惑をかけた方たちには本当に申し訳なく、しかし、死者の書を見にきてくれた方には嬉しいと言ってもらい、いつかあの時の喪失を誰かのために昇華できる時が来るのではないかと願って今はなんとか頑張っています。

彼の農民芸術概論綱要を読むとその思想が見えてきます。
農民芸術概論綱要
宮沢賢治



序論

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である

農民芸術の興隆

……何故われらの芸術がいま起らねばならないか……

曾つてわれらの師父たちは乏しいながら可成楽しく生きてゐた
そこには芸術も宗教もあった
いまわれらにはただ労働が 生存があるばかりである
宗教は疲れて近代科学に置換され然も科学は冷く暗い
芸術はいまわれらを離れ然もわびしく堕落した
いま宗教家芸術家とは真善若くは美を独占し販るものである
われらに購ふべき力もなく 又さるものを必要とせぬ
いまやわれらは新たに正しき道を行き われらの美をば創らねばならぬ
芸術をもてあの灰色の労働を燃せ
ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある
都人よ 来ってわれらに交れ 世界よ 他意なきわれらを容れよ

農民芸術の本質

……何がわれらの芸術の心臓をなすものであるか……

もとより農民芸術も美を本質とするであらう
われらは新たな美を創る 美学は絶えず移動する
「美」の語さへ滅するまでに それは果なく拡がるであらう
岐路と邪路とをわれらは警めねばならぬ
農民芸術とは宇宙感情の 地 人 個性と通ずる具体的なる表現である
そは直観と情緒との内経験を素材としたる無意識或は有意の創造である
そは常に実生活を肯定しこれを一層深化し高くせんとする
そは人生と自然とを不断の芸術写真とし尽くることなき詩歌とし
巨大な演劇舞踊として観照享受することを教へる
そは人々の精神を交通せしめ その感情を社会化し遂に一切を究竟地にまで導かんとする
かくてわれらの芸術は新興文化の基礎である

農民芸術の分野

……どんな工合にそれが分類され得るか……

声に曲調節奏あれば声楽をなし 音が然れば器楽をなす
語まことの表現あれば散文をなし 節奏あれば詩歌となる
行動まことの表情あれば演劇をなし 節奏あれば舞踊となる
光象写機に表現すれば静と動との 芸術写真をつくる
光象手描を成ずれば絵画を作り 塑材によれば彫刻となる
複合により劇と歌劇と 有声活動写真をつくる
準志は多く香味と触を伴へり
声語準志に基けば 演説 論文 教説をなす
光象生活準志によりて 建築及衣服をなす
光象各異の準志によりて 諸多の工芸美術をつくる
光象生産準志に合し 園芸営林土地設計を産む
香味光触生活準志に表現あれば 料理と生産とを生ず
行動準志と結合すれば 労働競技体操となる

農民芸術の(諸)主義

……それらのなかにどんな主張が可能であるか……

芸術のための芸術は少年期に現はれ青年期後に潜在する
人生のための芸術は青年期にあり 成年以後に潜在する
芸術としての人生は老年期中に完成する
その遷移にはその深さと個性が関係する
リアリズムとロマンティシズムは個性に関して併存する
形式主義は正態により標題主義は続感度による
四次感覚は静芸術に流動を容る
神秘主義は絶えず新たに起るであらう
表現法のいかなる主張も個性の限り可能である

農民芸術の製作

……いかに着手しいかに進んで行ったらいいか……

世界に対する大なる希願をまづ起せ
強く正しく生活せよ 苦難を避けず直進せよ
感受の後に模倣理想化冷く鋭き解析と熱あり力ある綜合と
諸作無意識中に潜入するほど美的の深と創造力はかはる
機により興会し胚胎すれば製作心象中にあり
練意了って表現し 定案成れば完成せらる
無意識即から溢れるものでなければ多く無力か詐偽である
髪を長くしコーヒーを呑み空虚に待てる顔つきを見よ
なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ
風とゆききし 雲からエネルギーをとれ

農民芸術の産者

……われらのなかで芸術家とはどういふことを意味するか……

職業芸術家は一度亡びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
創作自ら湧き起り止むなきときは行為は自づと集中される
そのとき恐らく人々はその生活を保証するだらう
創作止めば彼はふたたび土に起つ
ここには多くの解放された天才がある
個性の異る幾億の天才も併び立つべく斯て地面も天となる

農民芸術の批評

……正しい評価や鑑賞はまづいかにしてなされるか……

批評は当然社会意識以上に於てなさねばならぬ
誤まれる批評は自らの内芸術で他の外芸術を律するに因る
産者は不断に内的批評を有たねばならぬ
批評の立場に破壊的創造的及観照的の三がある
破壊的批評は産者を奮ひ起たしめる
創造的批評は産者を暗示し指導する
創造的批評家には産者に均しい資格が要る
観照的批評は完成された芸術に対して行はれる
批評に対する産者は同じく社会意識以上を以て応へねばならぬ
斯ても生ずる争論ならばそは新なる建設に至る

農民芸術の綜合

……おお朋だちよ いっしょに正しい力を併せ われらのすべての田園とわれらのすべての生活を一つの巨きな第四次元の芸術に創りあげようでないか……

まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる
ここは銀河の空間の太陽日本 陸中国の野原である
青い松並 萱の花 古いみちのくの断片を保て
『つめくさ灯ともす宵のひろば たがひのラルゴをうたひかはし
雲をもどよもし夜風にわすれて とりいれまぢかに歳よ熟れぬ』
詞は詩であり 動作は舞踊 音は天楽 四方はかがやく風景画
われらに理解ある観衆があり われらにひとりの恋人がある
巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす
おお朋だちよ 君は行くべく やがてはすべて行くであらう


……われらに要るものは銀河を包む透明な意志 巨きな力と熱である……

われらの前途は輝きながら嶮峻である
嶮峻のその度ごとに四次芸術は巨大と深さとを加へる
詩人は苦痛をも享楽する
永久の未完成これ完成である

理解を了へばわれらは斯る論をも棄つる
畢竟ここには宮沢賢治一九二六年のその考があるのみである

底本:「【新】校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇」筑摩書房 
   1997(平成9)年7月30日初版第1刷発行
底本の親本:「宮沢賢治全集 第十二巻」筑摩書房  1967(昭和42)年




全ての人の人生はそのまま一つの芸術に等しい。
プロフェッションとして成り立つ芸術家とはなんだろうか。
鳥取の人々が自身の生活に誇りを持ち、芸術に関わるようにして行くにはどうすべきだろうか。
本当は芸術なんて触らないほうが幸せにいきられるかもしれない。経済で価値が決まるメディアや政府は少なくともそう捉えている。
でも、お金だけの問題ではないよねということに鳥取の人は薄々気づいている。
都心以上に、貨幣価値以外でつながる方法がまだ残っているこの土地だからこそ。
私は、おそらくこの人口最小県の鳥取からこそ言えることがあるはずだと思っています。その声を聞き取り、また新しい形のとりアートを構築するための提案をし、1市民として1年走るのです。

ぶっちゃけ言うと今月に入っていきなり予算削減(4分の1以上)とか一般市民に対しありえない状態で、この県の文化政策を疑いたくなるような事態が連発している状態です。でもそれでも、銀河鉄道はやります。なんとかまとめます。


表題は先輩よりいただいた言葉。
でも私は言いたい。私は宮沢賢治が好きだけれども、ほんたうの幸いとはわたしも、あなた自身も等しく幸いでなければならない。物を作る人は(文章を書く人も、絵や音楽のひとも、舞踊家も)ある種の孤独を抱えているもので、それゆえ作品は美しく成り立つ。賢治は自己犠牲を強いるところがあったけれども、そしてそれゆえファンも多いけれども、「全ての人が幸せにある」の全ての人に自分を含んでいなかった。それで良いのだろうか。

幸せにありましょう。
生きるよ。だから生きましょう。



2018年

2018年
走れ、走ってとお告げを受けてただただ走るつづける2018年でした。ダン体,DNAといったコンテンポラリーダンスの新しい領域への挑戦から、木野のこれまでの作品の集大成まで。お立会いくださった皆さん、ありがとうございました。全ての舞台は一期一会。その瞬間共に時を過ごすことができたことを私は幸せに思います。皆様に感謝と愛を込めて。

各項目についての詳細はおどりこさいこで検索してください。


◎作品
ダンスハ體育ナリ その2 建国体操ヲ踊ッテミタ@明治神宮外苑聖徳記念絵画館(2018.2.11)
ダンスハ體育ナリ その2 建国体操ヲ踊ッテミタ 再演@明治神宮外苑聖徳記念絵画館(2018.5.12)
 昨年末(2017年末)たまたま訪れた絵画館、その場で思いつき、翌週(つまり2018年第1週)決定して、パワポを作り、チラシを作り、冊子を作りして出来た超短期間で作成。テーマになっている1936年ー40年は前から調査をしていて(別のテーマでした)、それがあの場所とオリンピックが結びついたとたんに全てが繋がってしまったのでした。今作らねばならないものだったのです、きっと。
 再演時のレビューは北海道新聞、Real Tokyo さん、ダンスアーカイブ構想の広報紙に乗せていただきました。このようにメディアに取り上げられることはこれまで滅多になく、タイムリーな内容、かつレクチャーパフォーマンスという手法がある種コンテンポラリーダンスの最先端(ダンスを拡張するという意味で)なのだろうと思っています。













ダンスハ體育ナリ その1体育教師トシテノ大野一雄ヲ通シテ・その2 建国体操ヲ踊ッテミタ連続上演 ゲーテインスティチュート版(2018.10.6/7)
http://dancenewair.tokyo/2018/
 Dance new airは青山トリエンナーレ・ビエンナーレ時代からお世話になってきたフェスティバル。本当に久しぶりのことで、とても嬉しかったです。本来は大野一雄編の予定でしたが建国体操と合わせて上演。ドイツモードなので、ベルリン五輪やリーフェンシュタールなどの話も掘り下げました。さりげなく、会場が赤坂御所の目の前だったり。この会場だからこその作品になりました。

鳥取夏至祭2018
https://tottori-geshisai.jimdo.com/鳥取夏至祭2018ホーム/report2018/
あえて、これを作品とあげるかは迷うところなのですが、私はこの試みと意識は作品というにふさわしいと思っています。今年はとりぎん文化会館、わらべ館、県立博物館などを開拓。しかし鳥取市中心市街地とはいえ、北部は通りすがりの人に会う確率が低く、夏至祭の醍醐味である巻き込み巻き込まれ感が作り出せないのでした。
1年1年実験は続く。

チェロとダンスのためのUZUME@中国四国地区作曲家協会(岡山ルネスホール2018.9.26)
 大学の名誉教授新倉健さんからの委託を受け天宇受売尊の舞を踊って欲しいとのこと。チェロには岡山で活動する須々木竜紀さん。2Mほどの白木の棒をつきながら足踏みならして踊ったわけなのですが、そこで調べててわかったのはアメノウズメが踊っていたかどうかはわからないということです。わざおぎすとあっても踊りとは書いていないという。これはこれで気になります。



死者の書再読 試演会@城崎国際アートセンター
http://kiac.jp/jp/events/5117
死者の書再読 鳥取公演@とりぎん文化会館
http://www.tottori-artcenter.com/artmanagement2018/practice_d/practice_d.html
 終わったばかりでまだ意識が戻ってきていません。でも今このタイミングでできてよかった。このタイミングで鳥取で。年々身体は変化していて、記憶力も低下して行くけれども、すこしでも良いときに今まで自身が動いてきた事を、作ってきた事を鳥取の人にお見せできたらと思いました。
 おそらく来年は銀河鉄道でいっぱいいっぱいになってしまうと思うので、そうすると2年後になってしまう。2年後、私は同じ様には踊ることができない。きっと違うものになっていく。思っていた以上に大掛かりなことになってしまい、なかなか再演はできなさそうです。舞台、の醍醐味味わう美しい作品だったと思います。




 この死者の書とわらべ館のワークショップは文化庁のアートマネジメント人材育成事業の一環として開催しています。わたしが学び中です。





◎音楽とのセッション
池田千夏とのセッション@鳥取大学芸術文化センターアートプラザ
sound and herbでおなじみのピアノの池田さんがツアーのついでに鳥取まで遊びに来てくれました。関西系ツアーのついでに小さなパフォーマンスでよければアートプラザで企画します。皆様ぜひどうぞ。


鳥取JAZZとのセッション@パレット鳥取
鳥取のジャズの大御所菊池ひみこさん松本正嗣さんに誘われて、昨年に引き続き踊りに行きました。この日は土曜夜市といって歩行者天国の日なのです。菊地さんとはとりアートのことも含め色々相談させていただいていて、この街でできる事を模索しています。



◎授業
 ゼミ、芸術入門、グローバル時代の国家と社会、地域学入門、地域調査実習、パフォーミングアーツ入門、ダンスと多文化コミュニティ、健康スポーツ科目「ダンス」など一応学校の先生もしています。それぞれダンスに絡んでいますが、民俗芸能から60年代前衛芸術やオリンピックがらみまでかなり幅広く扱っています。勉強します、、、。
 あまり知られていませんが、免許更新講習も行っています。実は岡山、兵庫など結構遠くから受講しにきてくださっていて、嬉しく思います。


◎ワークショップ
鳥取夏至祭 即興音楽とダンスのワークショップ@わらべ館
即興音楽とダンスのワークショップ@わらべ館
 夏至祭のわらべ館ワークショップを拡大して2ヶ月に1回くらいのペースで行う様にしました。これは文化庁の大学から発信する文化芸術事業の一環としてで、2019年は1ヶ月に1度くらいのペースにしていけないかと考えています。わらべ館は日本で唯一の童謡と唱歌にフォーカスを当てた博物館であり、子供から大人まで参加できるダンスと音楽のワークショップを開催するにはうってつけの場所でした。実際に親子、祖父母も含め幅広い年代の方がご参加くださっています。

 

◎鳥取銀河鉄道祭関連
鳥取銀河鉄道祭は2019年とりアートメイン事業です。2018年より様々なワークショップ、リサーチ事業を開催してきました。これらで出会った皆さん、また素材を元に来年鳥取ならではの銀河鉄道のお話を作っていきます。門限ズの名前が出ていますが、木野はプロデュースとして名前を乗せることができない(大学で兼務できる仕事の範囲を超えるため)ためチラシに名前が出ていないだけで、事務局の野口さんと一緒にずっと鳥取県内を走り続けています。西部、中部にもだいぶん詳しくなってきました。私自身が鳥取をこの銀河鉄道を通じて知る、そんなリサーチでもあります。
 豊かさとはなんだったのだろう。
 鳥取の暮らしはとても豊かだった、昔も、いまも。




毎週カフェミルキーウェイやっています。次回は22日の予定。少しずつひとつながりを広げていきます。
 [発掘!! 家庭に眠っていた8ミリフィルム公開鑑賞会 in大山&米子]
 [8ミリフィルム映像蔵出し展@鳥取県立図書館]
[8ミリフィルム映像公開鑑賞会@鳥取県立図書館] 

9月23日[門限ズ・エンちゃん からだを動かすワークショップ]
9月24日[門限ズ・エンちゃん トットリキリトリ街歩キ]
11月11日[銀河への旅立ち ~演劇からダンス?ダンスから演劇?~ 門限ズ・エンちゃん&じょほんこワークショップ]
12月8日[音とリズムで遊ぼう!]
12月8日[つなげる、つくる、アートマネジメント講座]
12月9日[野村誠・吉野さつき トークセッション「“みんな”が関わるアートの現場」]
  12月10日[野村誠 月曜の夜の音楽会]


◎研究・論文
中国四国地区大学教育研究会 
 大学教育(俗にいう教養)の中でスポーツ健康と呼ばれるジャンルがどのように可能性を広げられるかという視点で表現教育の視点から実践例を発表しました。神奈川大学で展開していた身体表現法、現在行っているグローバル時代の国家と社会など身体からみた社会、文化について考える講義は今後大事になっていくだろうと考えます。スポーツクラブのように身体を動かすだけではなく、身体知を学ぶための授業へ。同僚の瀬戸さん(なんと応援団研究をしているスポーツ人類学の先生)の話しもとても興味深かったです。こちらも年度末には冊子として報告書が出ます。


作品「ダンスハ體育ナリ?ー体育教師としての大野一雄を通して」(2016)クリエーションの経緯と芸術としてのダンス教育の可能性について
教育大学協会研究会舞踊部門研究発表報告
 昨年発表したものが文章になってまとめられます。でも建国体操の方については織り込まず。ちなみにダンス部さんはここで作品発表をしており、今年の作品は「つながりーリアルとSNS」。学生さんがつくっていますが、木野の研究発表でもあるそうです。複雑な心境。





   

2018年12月30日日曜日

死者の書再読写真


 死者の書再読の写真、映像は追って送られて来るのですが、田中良子さんより送っていただたぶんを取り急ぎ。



折口を知るキーワードより6,機織り、そしてこいねがうこと

機織り、そしてこいねがうこと
 古事記で天照大神が機織りを行うように古来から機織りは女性の仕事として扱われてきた。七夕や、羽衣、夕鶴など機織りが象徴的に現れる民話、伝説は少なくない。死者の書の本文中にも女鳥王と隼別皇子(速総別王として古事記などには記載される)の名が出てくるように一般的だった。死者の書の元となったのは當麻寺に伝わる中将姫の伝説であり、わずか1日で4M四方もの巨大な曼荼羅を織り上げたとされている。(なお、奈良国立博物館で開催された『糸のみほとけ』展(2018)によれば現在の技術で20cm四方程度の當麻寺曼荼羅の復元を制作するのに40日が費やされており、その奇跡ぶりがよく分かる。)
 織物あるいは刺繍などの細かな手仕事は女性たちの心を落ち着かせる作用も果たしていたのだろう。南北朝、室町時代になると髪を編み込みながら念を込める髪繍と呼ばれる技法が生まれるなど、呪術としての要素もあったのだろうと推測される。
 女性性と男性性を有していた折口は「こう」というオノマトペに着目する。「来う」「乞う」という希求する気持ちがそこに現れており、「こいねがうこと」が「恋」であると触れている。叶わぬことのない自身の思いを作品に込めようと数多くの唄や小説を書こうとした折口。残念なことにその小説のほとんどは未完に終わっている。死者の書も続編を書こうと試みていたが断念する結果となっている。「中将姫になって書いた」(『山越しの阿弥陀の画印』)という折口は常に自分を重ね合わせており、それゆえ完成が難しくなってしまったともいえよう。『初稿死者の書』(安藤礼二編)によれば冒頭より郎女のシーンとなっており、よりシンプルな構成になっている。原稿の改定を重ねるごとに複雑にそして自分の想いを隠そうとした。
 「こいねがう」を現代のパソコンで変換すると「希う」と出る。自らの希望を託していたが、それを表に出すことがためらわれたのであろう。その繊細さ。今回折口の世界を体現するにあたり、自身の折口化を試みた。作品は3つ(滋賀津彦、郎女、大伴家持)の全く異なる時空の世界を行き来しており、難解であるが、状況説明にようになっている家持シーンを除いて、全てを折口が作り出したと捉えるとわかりやすくなる。この作品に取り掛かりながら折口を追体験してみることにした。走り出さざるをえない郎女の心情を実際に体感していくことが度々起こり(私たちの中では郎女ダッシュと呼ばれる現象)、夜眠れない状態が続くようになり、突然のように文章があらわれでるようになった。薬物は使用していないが(折口はコカインを常習していたことでも知られる)お酒を飲むほど覚醒していく状態を体感し、また、折口のたどった足跡を追うという作業を行った。
 どんな人間にももう一人の自分という存在がある。そしてそれは『月に立つクローン』(1998)をはじめとして私自身が長く作り続けてきた作品テーマでもあったため、2つの役を一人で演じるという形で上演することを試みた。折口の思念を借りて2つの世界を最終的につなぎ、円環を閉じるという彼の希望を果たすことができれば良いと考え、結末へと向かうことにしている。

本作品はこれまで木野が制作してきた作品のエッセンスをまとめたものになっている。
 シーン1滋賀津彦の世界、シーン2郎女の世界
『しづ』『静(黒白)』(20102013)冒頭(もともと死者の書の言葉をもとに振り付けていた)

シーン3郎女の失踪 シーン4忍び寄る滋賀津彦の影
IchI(2008-2009)

シーン5白玉(魂)
ovo(2007) 
鳥(魂をはこぶ存在)
『みみをすます』(2017

シーン6機織り
UZUME(2018)

シーン7曼荼羅を描くということ
『筒井筒』(2012)『Edge(20032010)Mobius(2016)
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死者の書 再読 プログラムノーツ

死者の書再読プログラムノーツ
はじめに、シーン展開のことばは試演会(城崎公演2018.9.15)と同じです。ここに折口を知るためのキーワードを木野がまとめた資料が添付されています。


はじめに
『死者の書』は民俗学者であり国文学者、かつ詩人でもある折口信夫(おりぐちしのぶ)が遺した小説です。タイトルからおどろおどろしいイメージを想起してしまいますが、当麻寺に残る曼荼羅を織り上げたという中将姫の伝説が元になっているファンタジーなお話です。
 時空を超えて心惹かれる男女の恋物語とも受け取ることもできます。
 民俗学者としての知見を取り込んで、史実(及び伝説)を踏まえていますが、彼自身の恋心を込めつつえがかれており、最終的に小説という形で仕上げています。
 近代以降、私たちは目で見えることばかりが全てだと思うようになっています。でもはるか昔から私たちの祖先は、死してのちの世界や霊の存在を信じ、様々な宗教や哲学という形でその智慧を磨いて来ました。死を思うこと、それらは私たちの生活を豊かにし、まただからこそ今、生きている時を大切にしようと思えるようになります。
 芸能の歴史はこの見えない世界をいかに現出するかということに力を注いで来ました。たとえば世阿弥は複式夢幻能という手法を編み出し、あの世から訪れる霊を後シテという形で生み出しました。クラシックバレエでもジゼルやラ・シルフィードを思い浮かべればわかるように妖精や精霊が登場して来ます。民俗芸能でもその多くは求愛や祈りに起因するものですが、鬼などの形でこの世のものではない異形のものが現れます。
 楽しい、面白いということを超えて、今の時代だからこそ必要な“もうひとつの世界”を折口さんの言葉から読み解いてみようと考えました。小説は結構難解です。映画のコラージュのように何層にもレイヤーが張り巡らされており、しかも編集されている。でもその言葉の迷路を踊りと音楽の力で超えられないか。この張り巡らされた迷路は折口さん自身の心を隠そうとする防御とも見え、それを一枚ずつはがしてみます。
 このお話は2つの世界が重ね合わせられていますが、その理解のためには私自身がその両方の立場を演じてみる必要を感じました。男性性と女性性。全く異なる世界を持つ音楽家2人に協力をお願いし、この2つの時空を超えた世界が出会う瞬間を作り出そうしています。
 おそらく最後にあらわれる純粋な心が今の世の中に必要なものなのではないか、そんなことを私は思います。相手の幸せを願い、どうにもならず走り出してしまう郎女はきっと折口自身であったのだろうと。(本人も中将姫になって書いたとエッセイに書いています。)そしてそういう想いによってしかこの世の中は動いていかないのだろうとも。
 この作品を見て原作を読んでみたくなったら嬉しく思います。折口さんの言葉の持つ力をぜひ直に体験して見てください。

なお、本公演ではすでに死した人である滋賀津彦(大津皇子がモデルとされる)の世界を舞台の左手に、今生きている藤原南家郎女の世界を舞台の右手に設定しています。滋賀津彦の言葉を杵屋三七郎さんに、郎女の言葉をやぶくみこさんにうたっていただいています。


シーン1滋賀津彦の世界
うた:杵屋三七郎、おどり:きのさいこ
 ひさかたの 天二上に、我が登り 見れば、とぶとりの明日香 ふる里の 神無備山隠りかむなびごもり、家どころさはに見え、ゆたにし 屋庭やにはは見ゆ。弥彼方いやをちに見ゆる家群 藤原朝臣あそが宿。
 遠々に 我が見るものを、たかだかに我が待つものを、処女子をとめごは 出で通ぬものか。よき耳を聞かさぬものか。青馬の耳面刀自みみものとじ。刀自もがも。女弟もがも。その子のはらからの子の処女子の 一人 一人だに、我が配偶に来ね。
 ひさかたの 天二上 二上の陽面に、生ひををり 繁み咲く 馬酔木の にほへる子を 我が 捉り兼ねて、馬酔木の あしずりしつつ、吾はもよ偲ぶ。藤原処女
死者の書4節に出てくる詩。当麻の語り部の姥が神懸りして語る。

シーン2郎女の世界
うた:やぶくみこ、おどり:きのさいこ
春のことぶれ
歳深き山のかそけさ。人をりて、まれにもの言ふ 声きこえつつ
年暮れて 山あたたかし。をちこちに、山 さくらばな 白くゆれつつ
しみじみとぬくみを覚ゆ。山の窪。あけ近く さえしづまれる 月の空かさなりて 四方の枯山 眠りたり。
目の下にたたなはる山 みな低し 天つさ夜風 響きつつ 過ぐ
せど山へ けはひ 過ぎ行く 人のおと 湯屋も 外面も あかるき月夜
折口信夫が昭和5年に刊行した第二歌集『春のことぶれ』にあった表題詩から一部抜粋。(釈迢空全歌集より)

シーン3郎女の失踪
演奏:やぶくみこ、杵屋三七郎、おどり:きのさいこ

シーン4忍び寄る滋賀津彦の影
こえ:杵屋三七郎

シーン5白玉から郎女の2度目の失踪
演奏:やぶくみこ、杵屋三七郎、おどり:きのさいこ

シーン6機織り
演奏:やぶくみこ、おどり:きのさいこ、鳥:杵屋三七郎

シーン7曼荼羅を描くということ
演奏:杵屋三七郎、やぶくみこ、おどり:きのさいこ

出演者プロフィール
木野彩子
 札幌生まれ。幼少よりモダンダンスを始め、ソロを中心に自らの身体と向かい合い続ける。”Edge”でYokohama solo duo competition2003財団賞を受賞。2004年文化庁在外派遣研修員、2005年よりRussell Maliphant Companyのダンサーとして活動。 帰国後はセルフドキュメンタリーの手法を用いリサーチに基づくダンス作品を制作している。代表作に“静” 、“からたちから”、”Mobius”“ダンスハ體育ナリ”など。2016年より鳥取大学地域学部附属芸術文化センター講師。2017年即興音楽とダンスを鳥取のまちなかで展開する鳥取夏至祭を開始。https://saikokino.jimdo.com

やぶくみこ
 音楽家/作曲家。1982年岸和田生まれ。京都在住。英国ヨーク大学大学院修了(コミュニティーミュージック)。ジャワガムランや様々な楽器を用いて、楽器の本来持つ響きや音色、演奏する空間を生かした作品を提示するほか、舞台芸術の音楽も手がける。京都にて即興から音楽を作るガムラングループスカルグンディスを主宰。「待つ、ひらく、尊重する」をヒントに新たな共同作曲の可能性を模索する。淡路島にて野村誠と『瓦の音楽』を2014年より監修。2018年はマルセイユの国立演劇学校にて講師、城崎国際アートセンターにて即興と作曲のワークショップを定期開催。https://www.kumikoyabu.com/

杵屋三七郎
 日本伝統音楽 長唄 唄方
 三代目杵屋三左衛門に師事する。京都妙心寺大法院閑栖 松岡宗訓 調に入門し、茶道、花などを学ぶ。東京芸術大学音楽学部卒。国内外で様々なジャンルのアーティストとの作品参加も多く、その歌声は高く評価されている。日本の伝統芸術や音楽を尊重し、現代に生きる古典という三七郎独自の世界を生んでいる。

Special thanks
本公演は城崎国際アートセンター(KIAC)における滞在制作、試演会を行ったのち約3ヶ月の熟成期間をあけて鳥取で開催することになりました。11月には県立図書館で読書会を開催し、nashinokiさん(tottoのライター)のナビゲートでより深く折口について知ることができました。この時の資料の一部及びチラシの原画となった小川敦生さんのドローイングはロビーに展示をしています。書籍のほとんどは鳥取県立図書館で借りることができますので、これを機に折口の世界に触れていただければと思います。ご協力いただきました関係者の皆様方に感謝申し上げます。




死者の書再読 試演会
日時:201891519時・1615
場所:城崎国際アートセンター ホール
構成:木野彩子
出演:杵屋三七郎(江戸長唄、三味線)、
やぶくみこ(ガムラン、パーカッション、うた)、
きのさいこ(おどり)
舞台監督:北方こだち
照明デザイン、オペレーション:三浦あさ子
音響:小林勇陽(プラッツ)
照明・舞台アシスタント:友松美香(プラッツ)、田中哲哉
制作:橋本麻希(城崎国際アートセンター)
主催:城崎国際アートセンター(KIAC


死者の書再読 鳥取公演
日時:2018122719時半・2815
場所:とりぎん文化会館小ホール 
構成:木野彩子
出演:杵屋三七郎(江戸長唄、三味線)、
やぶくみこ(ガムラン、パーカッション、うた)、
きのさいこ(おどり)
舞台監督:北方こだち
照明デザイン、オペレーション:三浦あさ子
音響:小林勇陽(プラッツ)
照明・舞台サポート:田中哲哉、藤森このみ、オハラ企画
制作協力:鳥取大学アートマネジメント人材育成事業受講生(高橋智美、高橋礼奈)
鳥取大学地域学部国際地域文化センター学生有志・鳥取大学体育会系ダンス部
チラシドローイング:小川敦生
チラシデザイン:小木央理
写真:田中良子
映像:里田晴穂
主催:鳥取大学地域学部附属芸術文化センター、キノコノキカク
機材協力:城崎国際アートセンター
助成:文化庁(平成30年度 大学における文化芸術推進事業