2018年12月17日月曜日

死者の書プログラム作成中

死者の書再読は現在プログラムを作成中。
正直間に合っていない。昨日も寝れていない。でもとりあえずやっぱり書けるだけ書いてみようと頑張る。言語には向いていないとつくづく思う。
今回やっぱり書いたほうがと思ったのは、折口さんをなぜ今捉えなければいけないと思ったかということを明らかにしなければと思ったため。
現実に郎女ダッシュとか起きているから(それも2年も)私自身が扱わねばならない題材だったのだろうとは思うけれども、沖縄、そして天皇制を扱っていた知の巨人、その片鱗だけでも触れられないかと思ったりする。

この世の中の異様な動き方、すごく不安になる。
私自身が芸能者の端くれとして、少し先を見る能力があるのだとしたら、あの真っ暗闇、これかと思う。滋賀津彦の闇を覗き込み、(そして今回はなんと段を踏み降りなければいけない)あの瞬間の闇を思い出す。
さて、間に合うだろうか。


ふと見たら今年の8月15日やっぱりこんなことを書いていた。建国体操の時からずっと繋がっているんだと改めて思う。

戦後、彼の愛する養子春洋を失ったのち、『神やぶれたまふ』をよみ、またこのような手紙を春洋の兄に残している。

ただ思えば思えば、今が今まで、陛下の貔貅をあだ死にさせるような人々でないと信頼していた者どもが、今になって皆、空虚な嘘つきだったと痛切に知った悔しさ。例えようもありません。何よりも国をこうした危い状態まで導いておきながら、今なお、はづる(りっしんに鬼)ことなく、報導に技巧を凝らして、戦記を発表していることです。(『折口信夫』植村和秀の指摘による)

 天皇の言葉を重んじる折口としては天皇の代理者として職を軽んじ、国民の信頼を裏切った指導者たちに憤りを感じている。1935年頃より既に下克上の危険性を指摘し(『日本の古代国民思想』)ており、その後226事件(1936年)などの天皇の言葉と関係なく暴走する軍を見てきた折口だからこその思いがある。
問題は天皇制ではなく、天皇制を利用して自らの権力をつよめようとするところにある。そしてここしばらくの公文書の書き換え問題やメディアによる報道内容の偏りをみると「報導に技巧を凝らして」あたりがまさしくリアルに感じられる。
 私自身は天皇制に賛成も反対もない。特別な感情を抱く人もいるのはわかるので、静かに見守ってきた。20168月退位の意向を表明した際(http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12)、祈る人としての天皇の役割を述べ、健康上の理由から維持できないとした。祈り、そして各地を回り、直接国民と会って話すことは天皇を神格化させる流れと逆行している。人間のみこともちとしてできることとは何かを考えた挙句であろうと私は捉えていた。しかし今日戦没者式典を見ながら、ふと思ったのは、自らが動けなくなったり、意識がなくなったりすると、やばいという危機感からだったのではないだろうか。単純に大喪の礼などの行事や手続きが大変ということだけではないだろう。自らの意思に反して物事が動いてしまうことを防ぎたかった、そして憲法を、またこの国のこれまで歩んできた形を守るべく、あるいは国民全体にかんがえなおすきっかけとして退位を持ち出したのではないか。
 実際退位が決まった直後から憲法改正への動きが活発化している。それまでもずっとあり続けていた議論だが、今上天皇がいなくなるならというような勢いがあって、心が痛い。そうやって式の映像をみてみると、安倍さんを睨んでいるようにも見える。
 実際その心の中を知ることはできないけれども。
 ダンスハ体育ナリ?其の2で扱っている時期1936年から40年くらいと折口は重なるところも多くある。例えば今日の報道で江橋慎四郎さん(元鹿屋体育大初代学長、ダン体2では学徒出陣の答辞を読んだ人として紹介)も今年春97歳で亡くなったことを知る。時代が過ぎ、かつてを知る人はいなくなってしまう。過ぎ去った歴史を振り返るのは文字の力しかない。私たちは彼らの遺した言葉を読み解きながら、どのように戦いが始まり、そしてどうして止めることができなかったのかを考えてみる必要があるだろう。

 折口自身はその救いの先は宗教と文学だと見出し、そして古代の生活を見直そうと試みていた。直感を信じて。彼自身がある種の巫女のような存在であり、膨大な文章を書き残しているが、しかし最後には論文ではなく詩と小説として広く一般に広めようとした。文学に残されたある種の自由度を信じていたのではないだろうか。事実を述べるのではなく、受け取った人がもう一つ前に進むための自由度。私は自分が踊る人だったからダンスにする。受け取る人がその先を考える余韻を作ることが大切ではないかと思うので。(2018815日)

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