2018年3月31日土曜日

旅に出た2018⑥

驚くべきことにこのタイミングで天皇沖縄訪問でした。
ちょうどその時私はガンガラーの谷からバスで那覇に行こうとしていたところ、同じ時間に南へ回る便があって平和記念公園とひめゆりの塔にいけるかもと思い脱線。ニアミスです。
ひめゆりの塔の資料館は非常に立派で、多くの人が訪れていました。説明のできる経験者ガイドがいなくなっていくことも踏まえ、読めばわかるように展示もリニュアールしているとのこと。また、英語などの表記もされています。
米軍が怖いと思って出られなかったこと、自害する人、怪我をした友人を洞窟内に置いて逃げたことなどそれぞれの人が当時のことを語っている映像もあり、70年が経過した今も彼女たちの中で非常に強く残っている、なくなることはないということがわかります。
ただこのひめゆり関連ではなんとなく無垢な女学生たちが戦争に巻き込まれて大変な目にあったことや米軍の沖縄攻撃の凄まじさにフォーカスが向かってしまうのですが、戦況を彼女たちもまた教員も知らなかったこと(おそらく軍のかなり上の方まで)、既に敗北として投降すべきところそれを認めさせないような教育が行われてきたこと、そしておそらくもっと早い段階で終結することができたものをしなかったことの3点を忘れてはいけないと思っています。教育は思想を誘導してしまうので(当時の教科書の展示などもある)本当に気をつけねばならず、私たちは(一応大学ではありますが)教育の現場に立つものとして気を配らねばならないと思っています。その情報は本当に正しいのだろうか、正しく見極めるために批判的にみる力を持つこと。
ちょうどその翌日の新聞には教科書検定の話が出ていました。
また、天皇がきているということで、新聞では提灯パレードがあったとか、高齢にもかかわらずきてくれて嬉しいと話す遺族会の方の話がありました。与那国では与那国馬を見せるのに受け答えの練習をしていたり、カジキマグロを一本見せるために専用ケースを作り、万全を期しております!と話す漁師さんの声がテレビで放映されていました(いわゆるローカルニュースです)。
でも沖縄の問題、やっぱりいろんな意味で後回しにされていませんか。皆諦めてしまっているくらい別の国の話になっていませんか。歓迎って言えない人まだまだたくさんいて、そういう部分実は新聞の社説とかにぽろっと出てくるんです。
時間が経てば忘れてしまう、そういうことではないのではないか。


旅に出た2018⑤

斎場御嶽
沖縄の御嶽の中でも特に見にいくべきだろう斎場御嶽。御嶽の神様香台は四角いブロックのような石で、知らない観光客の人は写真をとる踏み台にしたり、荷物置いちゃったりしてよく倒されていて、ガイド役のおばさんは非常に怒っていた。本土の人神社の神殿の中入ったりしないでしょ!!とすごく怒っていました。(でもガイドを聞いているような人はそんなことはしないので完全に筋違い)
外国人観光客も増えているせいもあるが、おそらく、神というものの存在を気がつけない人が増えている現れだと思う。たとえキリスト教や他宗教だったとしても少なくともその土地の人が大切にしているというのがわかれば当然リスペクトされるはずのもの。私はあまり信心深い方ではないし、無宗教だけれども、それはできる。でもその部分本当はグローバルとか色々いう時に一番大事な部分ではないか?英語ができるとかそういうことじゃない。様々な文化や生き方を目にした時に理解しようとする心。

行かれる方、ぜひガイドさんの説明を聞きながら廻られることをお勧めします。1時間くらい。小さな蜘蛛や植物のことまで幅広くいろんな話を聞くことができました。

旅に出た2018④

海上の道ではないが、人類の祖先はアフリカで生まれ(チャドらしい)東南アジアを経て日本へと入って来ているという。沖縄では港川人と名付けられた人骨が発見されており、アジア圏ではほぼ完全に1体分の人骨が残っている最も古い例ということもあり、興味深い。遺跡発掘現場でありながらガイドツアーを行なっているガンがラーの谷という施設によって(まるでジャングルクルーズのようによくできた案内だったりする)お話を聞く。港川人ではないが、埋葬されていたお墓跡までみる。そしてその脇には巨大なガジュマルや鍾乳洞や、神(鍾乳石をシンボライズしていた聖域)があったりする。整備される前の森はどんなだっただろうと思う。そして沖縄全土がもしくは日本全体がこのような自然に満ち溢れていたのだろうと思う。
折口の愛する古代は万葉集くらいのことだと思うけれど、まあちょっとついでに思考を伸ばしてみよう。
全ての人類は一人の母に行き着く、国籍も人種も元々は関係がなかったはずだなんてことを思う。(なお、折口は日本大好きなので、そんなこと言ったら怒ると思う)


沖縄博物館と大阪弥生博物館の展示プログラムというのを入手したので読んでみようと思う。鳥取も弥生文化の頃は栄えていたわけで繋がっている何かが見えてくるのかもしれない。

旅に出た2018③

今回の旅ではとにかく時間概念を切り替えるということがあった。
折口さん実は4回も沖縄地域に来ており、それぞれかなりの長期間滞在。なぜなら当時は今のように飛行機でぴょんということができなくて、船での移動。時間がかかる分、来たらそこに没頭する。さすがに当時のように長期滞在をしているわけには行かないので、春休みの隙間で来たわけだけれども、その当時の感覚に合わせてみる。
思えば現代の日本の生活は慌ただしい。鳥取は比較的ゆっくり時間で、東京などから来た人たちは皆驚く。しかしそれでも学校のカリキュラムや仕事の関係は結構シビアで毎日フル回転になっている。でも本当に生きる上で必要な活動とはなんだったのかと考えると結構余計なことをしているのではないかということに気がつく。豊かな生活のための経済活動な訳だが、本当に必要なのだろうか。身体のためにゆっくりのばす、ご飯を作る、野菜を作るそういうことをすっ飛ばしてパソコンと向かい合う時間を増やして行くことは本当に豊かなのだろうか。(と言いながら私はパソコンをたたいている)短い時間ではあるけれど、一回考え直してみる。
日が昇るところと夕日が沈むところを1時間ずつかけて見つめる。空がだんだんと淡くなりほんのりい色づいていくその感じ。Mobiusのチラシのようにほのピンク。(でも日本の朝日夕日はちょっとオレンジっぽい感じが強く、特に久高は赤い火の玉のように見える日もあった。ヨーロッパだと本当に空がピンクでびっくりしちゃう時がある)日差しが強くて日に焼けちゃう、でもみとれてしまう。

久高の2日目本当に山が見えて(雲が少し出ていて、山の形をしていた)面影のように太陽と太陽の周りにもう一つ光の輪ができているように見えて驚いた。映像も写真も撮っているけれどやっぱり映らない。本当に大切なものは映像や写真には映らない。そういうものをいかに作り出せるだろうかというのがパフォーマンスの力だと思いたい。

旅に出た2018②

内間のおじいちゃん
なんだか久高はお年寄りが多い。
農作業に従事している人もいるがそこまで体が動かず、押しぐるまで移動しながら日差しを浴びてゆんたく(おしゃべり)している。
子供や青年が少ないのは島には仕事がないため進学、就職で家族は皆外へ出てしまうからだ。たまたま道端に座っていたおじいちゃんは孫もひ孫も合わせたら30人以上だけれどみんな島の外だという。半分は本島。半分は関東や関西。島の主な産業は観光(民宿の経営など)か農業かで、島の土地も全て共有財産となっているため、移住者は基本的に受け入れていない。島のほとんどが親戚か同級生かで皆繋がっている。農業と言っても土地がそんなに広くないため、手作業で育てる小規模なもので、自分のところで食べる野菜を作るのが基本。最近は海ぶどうの養殖をする人もいる。
生きていくことはできる、が子供達の教育や様々な支出を考えると外へ出て行かざるを得ないのが現実で、帰って来たいのは山々だけれどできない様子。
おじいちゃんは奥さんがなくなってもうすぐ100日、でも寂しくって寂しくって、外に座っていると島のみんなが声をかけてくれるという。家族も入れ替わりで様子を見に来ているのだという。
いつも一緒でねえ、朝起きても船だしてもいつも一緒だったからねえとお話をただただきく。
時間が過ぎたら忘れられるのかといえばそんなことはないだろう。おそらくあっちの世界のおばあちゃんに毎日毎日今日はこんなでね、こうでねと話し続けていくんだろう。そのお話をおばあちゃんの代わりに聞かせていただいているような感じがする。

娘さん(3女)は島内の男性と結婚したものの、仕事は本島(もうすぐ転勤で関西に行くそう)。イザイホーの権利を有していたけれども、ノロがいなくてできなかった世代だという。(そもそも島内で結婚した女性でなければならないため、その権利を有しているという人自体が少ない)ノロがいなくては神事として成り立たないという。一方で観光のためにやろうとする某市の人などもいるけれどもそれでは全く異なることになってしまうという。彼女の祖母(つまりおじいちゃんの母)は非常に素晴らしい舞手だったのだという。もうどうにもできないことだけれどね。と話す。

ちょうどもずくの漁が始まったのよ!ともずくの三杯酢和えともずくの天ぷらまで作ってくれる。もずくの天ぷら作り方まで教わる。揚げたては美味しかった。


旅に出た2018①

久高島

久高島は不思議なところだという。

柳田、折口と当時の民俗学者たちは一斉に沖縄を目指した。
その後八重山へと意識を向ける。
それらの南への思いはどこから来るのか。

昨年たまたま上映会を知って見てしまった久高オデッセイと、なぜか飛行場で浮き上がってみえた本、そして折口本でも柳田本でも繰り返し扱われるイザイホー、一度おとづれてみたいと思っていた久高に足を運ぶ。

仕事間に合ってないけれど、とりあえず行くしかないから行く。

降り立って泊まるところどうしようかなとウロウロしていたら、なぜか先輩女優Mさんに出会う。彼女はすでに4日久高にいるという。今日泊まる予定のところに聞いてみようと言ってくれて、そのままご一緒することに。不思議な縁です。知り合いだけれど、すごく親しいわけでもなく、1年に1度くらい話すかどうかなだけに、今回は本当に色々お話できて楽しかった。

舞台に立つ時にエネルギーを使い果たしてしまう分、また常に闇の世界のぶん、太陽の光や、土の匂いを嗅ぐことが必要なのではないかという彼女の説は結構あたりで、私も白州の時からそんな予感は感じている。自然の力をきちんと感じ、受け入れる身体を作る上ではそういう当たり前のことが大事なのではないかと最近思う。

私自身は今は基本が学校の先生として昼の仕事に従事しているので、陽の光が浴びられないということはないけれども、一回スッキリオフにしてしまおう。

演劇とダンスでこれが違うかもと思うことの一つに演劇の場合は私ではないものを演じる(模倣の遊びに由来)し、ストーリー性が多かれ少なかれ存在するのに対し、ダンスは抽象度が高く、また私は私のままであるということがある。私は私の感情が溢れ出てしまうし、何かがくる可能性を高めていくことはできるけれども、それはカウントや何かで決めていくようなものではない。システマティックにカウント化していくことで正確性が増し、全ての人ができるものにもなりうるが、一方で「この人でなければできない」ということを見失ってしまう。
民俗芸能の教育現場への落とし込みでもカウント化に疑問を投げかける人もいる。呼吸や間合いと言った部分をもう一回見直してみる必要があるのではないか。
また、私が私であることを捨てることができるとき、その時はダンスでもないものになるのだろうとも思う。個人的な引っかかりを普遍的なものへと昇華していく作業がダンスであって、それは社会とつながっている時もあるけれど、あくまで個人の内的な話なのではないか。そこが演劇との最も大きな違いであると感じている。演劇にも様々あり、一人芝居などもあるので、個人か集団かという違いではない。それ以上になんのためにの部分とその立ち方に違いがあるのではないかと感じた。

多くの現代アートがリサーチをベースとしたプロジェクトへと移行している。それはソーシャルエンゲージドとも言われ、社会貢献を促す助成システムともつながっている。様々な展示や絵画、映像などにまとめられ、見た目もとても面白い。でも本当に大事な部分はそのプロジェクトが作者のどこにリンクしているかではないかと私は思う。個人的な引っかかり、コンプレックスかもしれないし、幼い頃の記憶かもしれない、そういうものとつながっている作品は強度を持つと私は思う。長い人生において、様々な出会い、別れがある。その一つ一つが作品になりうる。だから滞在したその場所それぞれに何かは生まれるけれども、一方でその人のコアに触れるような作品でなければ、「私たちのこと調べてくれてありがとう」「お手伝いできて楽しかった」の領域で止まってしまう。生きていく上でどうにもならないことをいかに腑に落とし込んでいくか。それには本当はすごく時間がかかるし、たとえAmanogawaプロジェクトでもできていないなと思う。私がわさわさしすぎているからかもしれない。
ある種の見せるものにする技術というのはあるけれども、ちゃんとその人の思いや生き方があるということの方がもっと大切で、それさえあれば極端にいうと全ての人が作品を作ることができるはずだと思っている。たくさん作ることができないかもしれない。全てはその一つの作品を作り上げるためのプロセスに過ぎない気がする。
ゆっくり構えて落ち着いて、1個ちゃんと作るというのが本当はいいなと最近感じる。(でも現状は常に嵐)


ゆっくり過ぎていく時間。
wifi繋がるって書いてあったけれど、繋がらないし、でもこれはオフにしなさいというお言葉だろうとしみじみ感じとる。

島の人口は現在約150人。もっと減っているかもしれない。土日は多くの観光客で賑わうが、フェリーが帰ると一気にひっそりする。島中の人が話しかけてくれる。どこ泊まってんの?どこから来たの?それは都会から来た人にとっては驚くほど。でも島の中のほとんどが親戚や同級生知らない人がいない島の中では、当たり前のこと。ああ、この前来てたあの子ねとか、あの時なんだかさんと話してたねとかいろんなことを忘れず覚えている。

たくさん来る観光客のうちの一人ではありますが、久高の人の温かさに触れ、ゆっくりした時間を過ごしています。



とりあえず、初日その運命の再会を果たしたのち、海にザッパーンと落ちて、携帯を水没させてしまう。でも久高の夕日に当てて乾かしたらなんとか復活。本当に大丈夫か怪しいけれども、今の所大丈夫そうだ。ゆっくり過ぎるはずだが私はどうもそそっかしい。。


2018年3月23日金曜日

旅に出ます。でも今回は小旅

旅に出ています。
これから沖縄。久高島。

鳥取は実は結構陸の孤島で、もしかしたら石垣島とかよりも街中に出るのが難しい。関西空港から出るLCCに感謝しつつも、そこから飛ぶ料金よりもそこへたどり着く料金の方が高いという矛盾。

でもそれでも今私はここに行かねばならないのです。今、このタイミングで。

西に沈む日を見ねばなりません。

たまにそういうことが起きる。

今週なんて山下残さん来るのに。(3月25日HOSPITALE知るの作り方)仕事終わってなくてやばいのに(本当は京都で行われるシンポジウムに行くはずだったけれどそれは諦めた)。

沖縄は折口作品をやる上で重要なポジションを占めていて、やはり本島と神の島は押さえておかねばと思った次第。折口作品をやろうと思ったのは結構単純な理由なのだけれど、読み返してやはり面白い。そして超ラブリーモードな折口さんが垣間見える。神道学者の部分とかも知りながら、でも人を乞う気持ちだけでできちゃったあたりがまた良い。病める舞姫と並ぶ口述謎作品だと思う。沖縄研究会時代からの謎を解きに、私はその場所に立ち、その場所で考えてみるのだと思います。

2018年3月19日月曜日

一期一会@茶会記

2018.3.17、19時
茶会記の会はほとんど告知がないまま小さく開催。
1年に一回くらいだからもう今回はこの人用スペシャルにしてあげようと思ってみました。友人が退院してきたということで、この2年間分のやったことを少しずつ織り交ぜながら2つのセットを。
みみをすますからのMobius(音源は1年半前の鳥取公演)と
あやしい小部屋の机ダンス、超至近距離(なぜか曲は浜千鳥)

店主さんが写真を撮ってくれました。
http://gekkasha.modalbeats.com/?cid=42168

これが見納めみたくならないようにまずはお大事に。


お客さんの中には建国体操を見た方も。思っていた以上に評判が良く、ちょっと嬉しい。



2018年3月18日日曜日

卒業発表会

卒業公演というシステムがあり、毎年3月に4年生が作品を発表する。私は入って2年目で4年生は担当していないのだが、3年生がダンス部の友人と作品を作るといっていて、様子をうかがう。

そのときに思ったのは
空は広いけれど、窓枠を作っちゃうのは自分自身ではないかということ。
芸術というもののできること、できる範囲はものすごく広いけれども、こういうものがダンス、音楽、ミュージカルと区切ってしまうのは結局その人自身であるということ。正しくはそれまでにそのひとがうけた教育によるものが強く影響している。
正しいがあるとおもっている。え、そうなの??

誤って木野ゼミにはいってしまった3年生には、こんな(私)になってはいかんと飛び越えていかなきゃいけないんだよととにかくたくさんのものを紹介し考え方を伝えてみて、どんなにおかしなことでも、とりあえずやってみる、それから考えるようにしてみた。やってみたら結構何とかなることもあるらしいということはさいきんわかってきた。夏至祭見たら何とかなる気もしたのだろうと正直思う。

プロを目指すかどうかはともかくとして作家の卵を育成中。放任主義。

なんたって先生は宮沢賢治に恋をしてる状態なので当分身動きできません。(思えば大学時代の先生が宮沢賢治が降りてきたといって授業を休講にしたのが今でもネタとなっている。でも私も似たようなものかもと最近思う)


 

障がい者アートって?

ここしばらく障がい者アートという言葉について考えていた。
また適応障害などの様々な病名について考えていた。
狂気とはなんだろう。
精神病とはなんだろう。
実はけっこう前から気にかかっていた言葉だったのだけれど、ここのところ障がい者アートと呼ばれる領域の展示をみたり話をよくきいたせいかもしれない。

たまたま昨日「マイノリティマジョリテ」が作った映像(今から10年前の「ななつの大罪」という演劇(?)作品を作っていく過程とその後の10年の振り返るようなドキュメンタリーをみる。10年の間に亡くなったり生活の変化もあり再演はできなくなった作品を映画にしさまざまなところで上映会とトーク(話し合う場)を持ち、リサーチをつづけているという。記録にいかに残していくべきか、またいかに伝えることができるのかという点でも興味深いプロジェクト。(感覚的に非常にはAMANOGAWAプロジェクトの感じに近い)とても面白いし、こういうものが10年前に試みられていたことにもうれしく思う。そしてこれをエイブルアートオンステージの枠組みでおこなっているところもまたすごい。また、私が感じていた疑問は私だけが感じているものではないのだとわかりうれしくなった。

私が感じていたのは障がい者というがわたしもまた障がい者でありすべての人が多かれ少なかれそういうものをもちうる。なぜ障がいを持つ人だけが区別されるのだろう。障がいの有無にかかわらず素晴らしいものは素晴らしい。障がいを持つ人がアートを必要とするのであれば同じようにアートを必要すると人がいるはずだ。長津さん(九州大)はマイノリティ・マジョリティという区分けは線引きではなくグラデーションではないかという。そうやって言葉化して法令化していくことでどんどん線引きは強まり別のものというふうになっていったのではないか。この10年で助成やサポートは増えたかもしれないが、健常と呼ばれる人と障がいを持つ人との距離はひろがったのではないだろうか。

オリンピックに対するパラリンピックの選手たちの活躍が連日報道される。障がいがある人でも活躍できるんですよというアピールのようにも見える。それはきっと多くの人を励ますのだろう。でも本当は障がいがあったとしても同じ土壌で戦うようなものではなく、異なる良さが評価されることがあるはずだ。目が見えない人が聴覚に素晴らしい能力を有することがあったり、色彩感覚に優れていたり、一定のことにものすごい集中力を発揮したりする。様々な形でその個性が現れるし、一部の人はそれによってアーティストとして評価されるが、そういうとくべつな能力がある人ばかりではない。
それは障がいの有無とは関係ない。
障がいの有無を飛び越えるものだ。

前任の佐分利先生は様々な障害を持つ子供たちも含む「インクルーシブダンス」をすすめてきた。障がいを持つ人も持たない人も一緒におどる。こどももおとなも、おじいちゃんも。夏至祭ワークショップもそうだが、みなただこの世の中を生きているということ。スポーツは身体技能だからとしてこだわるのであればダンスは、芸術活動はそれをのりこえることができるのではないか。

大学院時代の先輩がスペシャルオリンピクスについて取り上げていた。四肢障がい以外の目に見えない障がいをなぜメディアはつたえないのか。
本当に大切なことは私たち自身が線を引いているということではないか。
これは私とは違う、一般的ではない、倫理が、道徳が、様々な形で線を引いてしまう自分がいるのではないかと。私自身もまたきづかされ、そして考えさせられている。



おまけ
孤独な心に入り込む悪魔は悪魔とはかぎらない。悪魔も天使も皆等しく、そしてそれらは誰か別のものではなく、実はその人自身の中に内在している。狂気もまたすべての人に内在している。その現れ出る度合いが違うだけで、誰もにおこりうる。それもまたグラデーションではないか。私は確かにふつうの人より地雷を踏みやすいかもしれない、でも踏まずにはいられないということもある。そういう運命なのかそういう節目なのか。