2018年10月23日火曜日

秘密荘厳住心

ワタリウムに行った時に黄色い(俗に言うレモン色)本があって、手に取ったら万博の時に収集したコレクションの図録でした。短い期間で収集したこともあり、その方法論に問題があったのではないかという指摘もふくみつつ、一つの時代を表す展示だったのだと思います。(この時収集したものがのちに民博になります。)
万博の話をちょうどしたところだったので(ダンスハ体育ナリ2では1940オリンピックと一緒に万博も開催しようとしていて潰れてしまうという話をします。ちなみに2020オリンピックでいう文化プログラムみたいなものですね)、読んでみると、万博もまたえらいことになっているというのがわかります。オリンピックの時に参考文献にしていた吉見俊哉さんがやはり万博も追求していたりしてこの繰り返しをしていたのだなあとつくづく思ってしまいます。そしてそれをもう一度!みたいな感覚があるんだなあと。

で、岡本太郎さんに行きついて、そうか、この人今私が引っかかっているもの全部指摘している人だということを思い出し、ちょっと読んでみようと図書館で手にした本を開いたら曼荼羅について書いてあったのでした。(当麻ではなく、高野山だけれど)
授業の関係で読んでおかなきゃいけない美術系の本を読もうとふと開けたら秘密の話で、その次にふと開けたら今度は岡本太郎さんの話。芸術ってなんだっけ?となった時に呪術という言葉を思い出す。呪うとかくとちょっとおどろおどろしいが、単純に念のようなものを込める作業。

 「人間を突き上げ、おし出す、そうせずにはいられない何か」とした時に絶対としてあるもの、でありながら隠れ、隠されているもの、あらわれていながら、あらわれていない。それは「秘密」である。宗教も芸術も、まさしく秘密であることによってのみ、そのものでありえる。その強烈な充実がある。(『曼荼羅頌』)


どんな人にもそれぞれに抱えている何かはあり、それがある以上全ての人において芸術は可能であり、等しくある。みせるということは必ずしも必要ない。(つうも織っているとこみせないし。)
激しい呪術を込めて「これだ」と言わなければならない。絶対の虚無をみ、そこから有に転じる瞬間は、全てのひとに等しくあるとアマチュアの1踊子としては信じている。プロフェッショナルにはあまり向いていない。1公演ごとにオールアウトしてしまう情けなさ。でもちゃんとなすべき時になそうと思うのでした。


時々本が自分をよんでいるのかなと思う。本が少し光る(冗談みたいですが)。図書館の神様の思し召しかもしれない。


追記:今日(2018.10.23)ミルキーウェイでだしたおみくじクッキー、私は
「吉、人にあかすな」
をひきました。なにを?!
他のメンバーは大吉で、「思い立ったが吉日」とかなのに。山陰なだけにかくれてなさいってことなのかなあ。とりあえず、秘密、はしばらくのテーマのようです。

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