2018年10月31日水曜日

森田さん

森田雄三さんという演出家がいる。
イッセー尾形さんの演出として知られているが、私が初めて会ったのは身体文学という小説を書くワークショップである。
実は文章をよく書く木野妹に連れられて行ったので、彼のところでは木野姉と呼ばれ、姉妹揃ってお世話になった。妹は特にイッセーさんの札幌公演なども手伝っていたし、奥様含め家族のように関わっていたと思う。

身体文学は即興的に言葉を繰り出しながら、全然関係なさそうな言葉を結びつけたり、連想ゲームのように遊びながら想像を膨らましていこうとする文章創作法で、私はダンスの人間なだけに言葉の語彙力がないのでなかなか苦労する。そして普通思いつかないような言葉のつながりを作ったりという部分は非常に苦手で、よく泣かされていた。私が即興が苦手というのは本当なのだ。

いろいろ書いているうちに木野姉妹の共通点が浮かび上がり、ああ、これはうちの家族全体に言えることで、そしてそれはそうそう変えられることでも治せるようなものでもないということを私たちは知った。そもそも妹ともそんなに話すことがなかっただけに貴重な経験となり、そこから少しずつ話ができるようになっていった。生き方はまるで違うし、木野妹は私のようなずぼらさや突拍子のなさはない。普通に会社員をしている。(姉はこんなにへんてこりんな人生を送っているが、まっとう)しかし根本的に持っている質感みたいなものは共通している。
それがわかったので、たくさん泣いたし、悲しかったけれど、大分生きやすくはなった。私も妹にもそれは確実に言えると思う。世間一般的な幸せの形とはどうもずれているけれども(2人とも未だ独身だし)、それはそれで納得できるようにはなった。
演出家というお仕事はおそらくたくさんの生き方を見ながら、その人の役割を見出していくものなのかもしれないと思う。(そういう意味で私は演出家ではない、私はただそのままにあり、見えてしまったものをあらわしているだけ。だから踊子)

長らくお会いしていない。そもそも私が今鳥取に暮らしている事もお知らせしていない。(基本的に今のことで精一杯でそれ以上手が回っていない状態だ)そんなままお会いできなくなってしまった。普通に今もいるような気がする。年のせいかそういうことが増えてきた。今日会ったひとが来年はもう会えないかもしれない。今日という日をだいじに、そう思う。


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