2019年1月24日木曜日

思い入れと思い込みと思いを込める

思い入れと思い込みは似てそうだけれど、ちょっと違う。
思い入れは何かに思いを入れるので、自身は外にいる。
思い込みは自分の中で思いをこめてしまうので、自分のお話。
思いを込めるは思い入れに似ているとは思う。

死者の書は
思い込みではなくあくまで思いを込める作品ではあると思う。


才能とは思い込みという言葉を聞き、確かになあと思う。その人の思い込みがどこまで深いか。どこまで信じ、それを続けていけるか。
でもその言葉は確かにその通りだけれど、私は才能とは”人を動かす”思い込みだと思った。お金の問題ではなく、どうしても気になってしまってとか助けたくてとかかもしれないし、応援したいとかそういうことかもしれない。文句言いたいかもしれない。そうして動かされる人がいると、物事は続いていく。
たとえ周りに誰もいなくてもいつか出会う誰かのために表現する人。
あるいはどうにもならない衝動を抱えて表現せざるをえない人のために。
その言葉を伝えてあげたい。

どんなに小さなアイデアでも、どんなに自分よがりなものだとしても、それでもこの世の誰かが(最近あの世の誰かとか自然がとかもありだと思うけれど)動かされてしまうのだとすれば、それはすごいことではないか。

小さいなりに作品を作ると必ず誰かサポートをする人が現れる。何らかの依頼になるときもあるし、仲間になるときもあるし。そうして私は作り続けてきた。うまくはないけれど、でも何かわからないけれどとりあえず続けろと言われながら、うーんうーんと唸ってる。私にでもできるのだからどんな人にもできるけれど、特別な才能がないといけないと思い込んでいる人は多くいる。小さいころバレエやピアノや様々なお稽古事をしていたけれどいつの間にかやめてしまう。なぜなのだろう。

様々な評価や基準やそれに合わないと思って諦めてしまうけれど、それってもったいないよねと思う最近。学生さんたちが右往左往している様子を見ながら、でも本当にやらなきゃなものが出てきたらやるしかないだけで、お金がとか言っている暇はないよねと。そうやって道は開けていくから。すでにある型に自分を合わせていく方向性と自分用の枠組みを作ってしまう方向性。
できないなりに、それでもやってみること。
それで誰かが動かされるかもしれない。そのためには自分はせめて必死であるということ。私が見せてあげられるのはそういうところだけかもしれないと最近思う。





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