2019年1月14日月曜日

年末年始

年末年始
実は死者の書の後ダメージが大きかったのか、なんなのか、なかなか回復できていなかった。今週になってやっと人に会うことができるようになり、回復してきたところ。
3年ぶりか4年ぶりで札幌に一回帰って、両親に会ったり、死者の書ゆかりの四天王寺や當麻寺にご挨拶(初詣)に行ったり、そうしたらまさかの橿原神宮が近かったので(こちらは建国体操の会場)それも行って宗教混合になった正月でした。

あの公演で起きたことはなんなのか、体で感じた感覚を大事にしたく今でもまだビデオを見ず、言葉を選んでいる状態ではあります。確実に何かは起きていて、でもこれをどのように捉えたらいいのか。

少しずつ言葉にしていこうと思っています。
多分こういうものを作ることができたのはとても幸せなことだと思います。そして作らなければいけなかった。皆さん本当にありがとうございました。

構造を作りそこに身体を放り入れる、それはEdgeも建国体操の時も同じです。ただし、今回ここまで舞台作品にしてしまったことで、また個人作品ではなくなったことでちゃんと言語化しきれておらず、迷惑をかけてしまいました。それでも言語化しきれない領域で、また、”見せる”という感覚を捨てなければできない領域だったんです。
一般に舞台公演はお客さんにどういう印象を残したいか、何を見せたいかを突き詰めていきます。それが演出です。
しかしわたしが出来ることはただそこにあり、そこに感じたものをそのままに感じ、受け止めること。演出不在のまま作品を作るということでもあります。2日間3回曼荼羅を描いていますが、毎回その時の感情は異なります。
舞台公演として本来は作品は固定化していくことを目指します。しかし、私はそれができる状態ではなく(かつてはもっと固定できていたはずです)、何かに呼び寄せられていました。プロとしては失格です。
落ち込み具合はただ事ではなく、これまでも作家として楽しかったと思って打ち上げを迎えられたことはないのですが、今回は本当に辛かったです。
集客でも見込みを超えて当日客が増えてしまいいろんな方にご迷惑をおかけしてしまい、そもそも踊る人が制作をやっていること自体も異常なのかもしれないけれど、舞台公演はもうできないなと正直思いました。

ただそれでも、一応舞台で踊る人であったんだということを鳥取の人々に知っていただく上で、また銀河鉄道祭は私は裏方なので、本当は踊る人だということをわかっていただくためにもやらねばならなかったんだと思います。


関わってくださった皆さんに感謝して。
ありがとうございました。

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