前回野村誠さんが来た時に「そもそも何をするはずだったのだろうか」と問いかけられてここしばらく考えているけれども、
鳥取夏至祭と鳥取銀河鉄道祭は全く異なるもので目標なども異なっている。本当は延長上の思想として作っていたのだけれども、はっきりと別のものである。
そして私自身が個人的に舞踊を作ったり考えたりする上で最も気になっていることとも別物であるということが見えてきた。
鳥取夏至祭は
理念として
わたしたちは踊りたいから踊り、奏でたいから奏でる。音楽もダンスも美術も。今、ここで作り出されるその瞬間を楽しむために、プロもアマチュアも垣根を越えて、ただ遊ぶところから、全ては生まれるのだと思います。
と書いており、ただ遊ぶのだということに特化している。
なので、公園や空き地、空きビルなどを転々としながら展開しているし、どちらかというと参加者と観客の交流と参加者同士のネットワーク形成のための会になっている。 実際にここで遊んだ経験をもとに関東圏、関西圏ともに公演やライブが開催されるようになったりする。
私自身としては最後に開催されるわらべ館ワークショップを作るための会であり、そこにすべてが集約されると考えている。こどもも大人も人として等しく一緒に遊ぶことができる。
鳥取銀河鉄道祭は
とりアートという県の芸術祭を評価する側であった時に、もっと多くの人にそもそも芸術を体験してもらう必要があるのではないかと感じたこと。また、それは特別な訓練をした特別な人のものを見るということではなく、誰もが主体として参加することができるような形が好ましいと感じたこと。そしておそらくその特別な芸術感は、「自分はできないから」「恥ずかしい」などの負の感情を生み出していて、私自身もそれはすごく残念だと感じたためでもある。大学時代を通じて私は自分が下手だからいけないんだとずっと感じてきたし、それはプロとして踊る経験を経た今でもそう思う。(ただし見せ方というか目指すものが違うのだということで大分理解できるようになった)
それぞれの身体、能力、得意なことを持ち寄って合わせてみたらできるものは必ずある。
完成形がはじめから決まっているとできないという言い方になるが、どういう形であれ、何かはできる。未完成こそ完成と宮沢賢治はいう。鳥取ならではの鳥取の銀河鉄道を作る試みである。
私自身が東部に現在いることもあり、西部や中部のことは知らないままになっている。鳥取全域に星座のような地図を描くこと。私自身がこの鳥取を知るために始めた試みでもある。
これら2点はいずれも多くの人がダンスあるいは表現活動に関われるようにはどうしたらよいだろうかということを考えて作ったものであり、会場も街中や屋外でできるだけ無関心層に触れる機会を作るべく工夫している。また、ある程度みせるダンスではあり、枠組みはかなりきちんとしている。
今、私が興味を持っている領域はおそらく身体感覚の共有の問題だと感じている。これはわかる人にはわかるし、わからない人にはわからないとなるのだけれど、ある程度身体について敏感になってくると場を共有していて大体考えていることがわかるようになる。さらにいうと場を共有していなくてもわかるようになる。波動のようなものでタイミングが合うとか気配がするとかそういうことに始まって、テンションの上がり下がり、体調くらいまではわかる。しかもそれが一人ではなく、何人かと連動しているので、(でも強く影響を受ける人と少しの人とがいる)うっかり油断できない。バランスを崩すとみんな自滅しかねないので、ある程度気を張って生きておかないといけない。あえて合わせないようにするということもできるけれど、多分ここまで離れていても共通項を持ち続けられるとすればそれはなんらかの真に近いところに触れているのだろう。だからそのままにしておいて、しばらく観察することにしている。(Mobiusの時にその何人かと連動している感じはすでに見えていたし、少なくとも5人になることはわかっていた。でも多分もっと多い)
先日は民俗舞踊の先生に1年ぶりにお会いしたらあなたのこと考えてたのよと話され、その弟子の知人にも偶然あっただけなのになんだか夢に出てきたのよと言われる。扉の90cmをすれ違う瞬間に気がついたり、振り返ったらいたりする。
一度共有感覚を持った人は大体わかる。
そして今の所空間は越えうる。時間についてはまだわからない。でも死者の書を読むとありえそうだ。
これは身体の感覚というよりは身体の中をどこまで見るかの問題ではないかと最近は感じている。内観にしても禅にしても、身体はミクロコスモス。その先を見ていくと、いろんな物事が芋づる式につながっていくのかもしれないと思っている。でもむやみにつなげるとまた大混乱なので、今で十分。今でもすでにパンクしそう。思えばここしばらく起こしているいろいろな活動はこの連動のバランスをとるために始めたものに過ぎなかったはず。
身体を探索する作業は終わりがなく、私はこの謎現象を証明するために昨年は2つの作品を作っていた。全く異なる仕事だし、実際の見え方はそんな内容には見えないけれど、私が何をみているのかと何がみえてしまったのかを探求するために作られたと言えると思う。
夏至祭も銀河鉄道祭もある意味自分の作品だけれど、鳥取の人々のために作ったものであり、鳥取の人と生きるために作っているものである。
昨年の2つの作品はそういう意味で人のためではなく、物事の証明実験のようなものであると私は思っている。おそらくある種の巫女性のようなもの、しかしそれは私が特殊だったからではなく、多くの人が本来有していた能力なはずだが、身体を使わなくなったせいか薄れてしまっているのではないかと私は捉える。それを持てるようにすることは現代ではあまり必要とされていないし、むしろ気持ちわるがられる可能性が高い(というか、いろんな支障が起こるし起こったし、私も混乱した)が、すでに起きてしまっているこの現象をもう少しきちんと理解したい。理解というよりは自分で自分を納得させたい。受け入れられるようになることがおそらくここしばらくの課題であると思う。
かつて振付家に「いるだけでいいんだ、手を広げるだけで」と言われてでもそれはとてもとても悔しかったし、できないからだと思ってきた。それは身体の線がとか手の長さがということではないらしいことがだんだんわかってきたが、それは何かを誰も説明ができないままいる。私が私ではない、ここではない生を同時に扱っているとしたらそれは異なる存在感に見えるだろう。
秘密を模索し続ける密教のようなものにひかれてしまうのはこの模索の感じは似ているからかもしれない。言語化できないこの身体の感覚をどう捉えるか。それをしている。