2010年8月8日日曜日

カメルーンの歴史について



ニヤカムさんはフランスに暮らしているがカメルーン人。 土曜日はバスの時間が少し遅いので、アフリカの歴史について話してもらった。
カメルーンの歴史は植民地政策と一緒に考えなければいけない。
そもそもカメルーンという国の名前はポルトガル軍がはじめてきたときに到着した河にエビがたくさんいて、「エビがとれる河」というポルトガル語からなる。その後ドイツに占領され、さらにその後フランス領となり、カメルーンのほとんどはフランス語を母国語とするようになった。(でも一部に英国領の地域があり、そこでは英語が母国語になる)元々たくさんの部族ごとに言葉があるため300を越える言葉がある。なので、ニヤカムさんもフランス語、英語をはじめてとして、お母さんの地域の言葉、お父さんの地域の言葉等7つくらいの言葉を話すことができる。
最近では英語とフランス語の混じった「ピジン」なる言葉ができて、それが市場等ではつかわれるようになってきている。
言葉1つとってもこれだけ複雑だということに子供たちはびっくり。

日本ではアフリカの歴史を学ぶことは少ない。植民地政策については日本自身もアジア各国への侵略を行なってきた経緯からか、授業でもあまりふれないで終わってしまう。しかし、そういう事実を私たちは忘れてはいけないし、現在も例えばルーブルやケブランリー(パリにある民族系博物館、クナウカはここのこけら落とし公演を行った)、大英博物館には多くのアフリカの遺産がある。自分の国を知るのにヨーロッパにこなければみることができないという事実。ニヤカムさんから学ぶことはダンスだけではないようだ。


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