高谷さんの会に参加してきました。
なにぶん幅広く活動していた方だけに集まる人も幅広く、ユカリーシャからウィーン少年合唱団まで。本当に充実した会でした。
今回は日韓ダンスコンタクトの時に一緒だった関西勢と一緒に踊らせていただき、しかし当日集合なため打ち合わせもほとんどなく、インプロに近い状況になりました。しかし何年ぶりでしょう。普段関西ダンサーたちにはなかなかあえないのです。その後武元組、韓国のシムさんと一緒にご飯を食べたりと交流しました。
多くのコンテンポラリーダンサーが高谷さんにお世話になっていましたが、私は特にそうで、2003年から2004年、最もお世話になった方です。もし彼に出会っていなかったら、私は飢え死にしていたかもしれない(結構しゃれになりません)というくらい。
海外に行っている間もおそらく一番心配してくれていた人なように感じます。元々あまり自分の踊りに自信がないのですが、海外へでてより一層踊らない表現に目を向けるようになり、それを最も危惧していたのが高谷さんです。なぜ踊らないのか?
6月に韓国に行ったときにも高谷さんがね、よく心配していたのよ。ときかされたところです。彼に最後にみせることができた作品はIchIで、青山円形での公演でした。その作品では私はほとんど前に出ることはありません。
そしてその作品を見た宮城さんが「作品から、木野さんについての情報をいろいろと受け取り、木野さんという人をもっと知りたい、あるいは、木野さん にはこういう人と会ってほしい、といったことをいろいろと考えた」とメールをくれて、現在のアフリカンダンス生活へとつながっています。
おそらくそこで気にかかったなにかというのは生命力のようなものではないかと思っています。
ここ(静岡)で毎日踊りながら、なんで踊らないの?私たちは踊る彩子がみたいのにといわれていたことを思い出します。高谷さん、イジュウイさん、それからロンドンのしずかさん、アリス。だいじょぶだよ、元気だよ、楽しく踊っているよときちんとみせてあげることができなかったこと。長いことヨーロッパにいてあまりにも時間を無駄に(あるいはあいまいに)過ごしすぎていたのではないかということ等をおもいかえし、涙がとまらなくなりました。
再びEdgeと向かい合い、それはきっと高谷さんと話していたことを思い出す作業でもあります。
記念すべき誕生日になったねぇといわれ、本当にそう思いました。
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