2014年3月27日木曜日

ヨーロッパトゥール編 

フランスにやってきて、なぜかトゥールへいくことに。

このトゥール、実は2度目で私が在研ではじめて訪れた土地(パリについてまず一番はじめにここのCCNのフェスを見に行きました。)です。当時のCCNはベルナルドモンテさんがおり、(ちなみにユーグは彼と仕事をしてめちゃくちゃ大変だった!とぼやいています)当時のディレクターは横浜ダンコレに審査員できていたこともあり訪れました。
当時の記憶ではヨンドゥ(フランス大使館賞できていた)とダンスって何だろう?とかなり落ち込み、語った場所。当時はコンセプトダンスにものすごく偏っていた時代だったのだとも今は思えます。
フランス中部のロワール川ほとり、ちょっと行くと古城エリアがある超美しい(フランス内でも有名な)土地です。
 ちょっといいでしょう?
ちなみにこの河は自然のままのこされているため、(夏と冬で水が増減する)遊歩道のようになっていてちょっとそれもすてき!

で、ここのチャペルサンアン(ときこえる)さんがよんでくださいました。

トゥール
2014.03.13

ホームページはこちら。http://chapellesainteanne.com


ユーグ曰く
ユーグは前からトゥールで教えをしていてその縁もありよくきていたそう。そういえば彼の母宅はオルレアン(トゥールのそば)だ。森重さん、蜂谷さんといった皆さんもきたことがあるらしい。

ここは元々教会だったものを改造して、心理学者と教師のカップルが運営しているギャラリーさん。もちろん無料公開。公演も投銭制(予想以上に集まり衝撃をうける)。
お家に泊まらせていただき、ごはんまでごちそうになる。
(余談ですが、オーナーのクリスチャンさんのつくるフォンダンショコラが絶品で、いつかくるときには習わねばならないと心に誓いました。他のお料理も絶品です。それまでにフランス語がんばろう)

空間もとても美しいです。
で、写真をクリスチャンさんがとってくれているようなので、それを楽しみにしています。
個人のギャラリーですが3階に(4層5部屋)に別れており、見応えのある舞台空間だったと思います。実際ユーグは一番はじめにここの場所を!ときめたくらいダンサー的にはいい空間です。





踊りの写真はまた後日。
そしてこの作家さんNathalie Bourdreuxという方でヨーロッパの名画をベースに描いている方。内容は超ヘビーです。

最後はトゥール名物のカテドラル。


と日差しにたたずむわらびーちゃん。なぜかエミューちゃんもいるちょっと立派な植物園がすぐそばに。。。





2014年3月26日水曜日

ヨーロッパベルリン編⑥やさしい午後

ベルリンのちょっとやさしい午後。

なぜかロンドンは雨にふられつづけていたのとは対照的にベルリンはよく晴れ、晴れすぎて半袖の人が出てしまうくらい暖かい日が続きました。思えば過去2回いったベルリンは必ず12月の超寒い時期で(なおベルリンの冬は−10度くらいは当たり前です)いいイメージがないのですが、今回は本当に恵まれました。
ちょうどマルセイユに移動していった上地くんがこの会に会わせてきてくれたので(本当はすごい忙しい時期だったらしい、ありがとう)、彼の知るベルリンを案内してもらいました。3年半暮らした土地なので慣れています。普段路上で演奏してるところ、ミリアンがたてちゃった(これすごいことだと思う)スタジオ、今も残るベルリンの壁、トルコ人マーケットなどなど(どうでもいいですが、トルコ人多いみたいです。そしてごはんはおいしい。ファラフェルケバブに限らずはずれがありません。個人的にはごまのプレッツェルにはまりました)。
りんさん、ピーターさん、マルクルさんなどみんなで集まって公園にてピクニックまで。本当におだやかな時間でした。
多分場所もいいのですが、人(周囲のアーティスト仲間)に恵まれていたのだと本人もいうくらい。すてきなことです。

なお、SaRaを見に来てくれた足立智美さん(なんと彼は10年以上前のSTspotで踊った2作両方みているという。過去2回しか踊っていないのの両方ってすごい確率。面白かったらしい。そしてあまり変わっていないかもだって。どういうところ?ときいたら腰が、との答え。そうでしょうか、、、)曰く
「ベルリンは最後の楽園」だとか。
お金はないけれど、場所はある。あちこちで何か面白いことをやろうとしている、そんな勢いがベルリンにはあるのだそうです。
お金のなさ具合は結構深刻で、チケット代はおよそ5ユーロ。3ユーロやチケットなし(投げ銭)も多いのだそう。SaRaのお客少なかったの料金設定もあるねと話しています。。。(ちなみにパリでは10ユーロくらいはインプロなどでも相場だとおもいます)
で、皆外へ出て稼ぎベルリンに帰るようです。
ビザがとりやすいというのも大きいようです。
(足立さん曰く、しかしドイツで仕事することを求められたりしてちょっと大変なこともあるようです)
ベルリンビザ事情にもすっかり詳しくなりました。(でも私は移住しないと思いますが)




ちょっといいベルリンのひだまり(直射日光で日焼けしたという声もあり)。
でも油断したことには写真がないらしい。。。すみません。



ヨーロッパベルリン編⑤SaRa

ACUD2、3日目
SaRa

即興でありながらストラクチャーを持つものという試みを昨年1月より(正しくはもっと前から私は作品内で取り入れていたけれど)はじめてきて私の中では4回目(
2種の札幌、ユーグとの茶会記)。今回はれいさんの体調不良(私は日曜日に薬を買いに走り、ドイツは店がすべて閉まるという事実に愕然としました。結局2駅分くらい走ったらしい。)などのアクシデント、お客さん少ないという事実はありましたが、内容的には照明もつけれたこともあり、かなり上手くまとまったと思っています。そう、お客さんは少なかった。こういうのって再現性あまりないからこの今のタイミングでなければみられないんだよね。。。と思いつつ、写真を載せます。
4couners
back to back
1vs3
Duo1( Ueji/Sai)
Desk pulling
Desk duo(Ray/Sai)
Duo2(Hugues/Ray)
Sounds moving
Line
4couners










ヨーロッパベルリン編④orbital link +sixtet

ACUD初日
オービタルリンクと6人即興。
参加者
Ray Nakazawa , Ayaka Azechi, Yoriko Maenoh,  Tomohito Saito, Michiyasu Furutani, Saiko Kino(Dance)
Yuko Matsuyama( sing), Hugues Vincent(cello), Masahiko Ueji( bass clarinet), Rieko Okuda(violin),Miriam Siebenstadt(sax),Antti Virtaranta(bass), Adam Goodwin(bass),Dario Fariello(sax)

あとふるさんというダンサーさんが(とてもおもしろい)いたのですが、ひそかにフルネームがわからず。。。現在きいています。

Mark-r Mark-r(photo)









オービタルリンクは超楽しいお祭り騒ぎ的なかんじで、とてもよいとおもいます。
これがきっかけでベルリンでもオービタルの輪とかできたりして。

2014年3月23日日曜日

ヨーロッパベルリン編③ちょこっと踊りwith Lin

上地くんとリンさんのライブをみに。
みため普通のビール屋さんですが、

中にライブスペースがあります。(Cafe Ustadといいます)オーナーのトルコ人の方が音楽が大好きで、昔はもっとジャズよりだったようですが、インプロの人も増えつつある様子。酒屋さんということもあり、そこで買ったビールを飲みながらみることができます。ピアノもあるよ!

上地くんとリンさんは昨年CD(グループ名をFat cat and drunk mouseという)をだし、息のあったライブでした。で、そのタイバンのアダムたちも交え最後のセッションのときにちょこっとお邪魔して踊ることに。その写真はFacebook上に上地くんがあげてくれています。なんだかそういう勢いでちょっと踊りありなのはベルリンらしいかもしれません。(でも超狭いのでほとんど椅子に座ったまま)ありがとうー上地くん。

ヨーロッパベルリン編②滞在場所

今回の滞在はこんなところでした。
オービタルに参加してくれたゆうこさんのパートナーさんが管理しているアーティスト用のお部屋。有料ですが激安です。しかもACUDまで徒歩圏内。わーい。
奥の方にクラブがあったりして騒がしいですが(ちなみに家のすぐ横には映画館、kino
の文字が)これもまたベルリンらしいです。
上地くん、斎藤くん、れいさん、きのとみんなでシェアしました。

おまけですがこのお家の1階部分はユダヤの歴史に関する展示室。かつて家の一部を改装して隠れて暮らしていた当時を再現した部屋などもあり、ちょっと怖い雰囲気もあります。

ヨーロッパベルリン編①ACUD

今回ベルリンにてパフォーマンスを行ったのはACUD
このkinoというのは映画の意味で、音楽などのライブの他映画館もあるってことです。
でもkinoのまえで木野というのはあまりにベタで写真は撮りませんでした。
ちなみに手前のところにカフェバーがあり、終ったと飲むことができます。あと、ここの近くにファラフェルやさんがあり、地元音楽人(私達は上地くんから教わりましたが、ミリアン他からもきいたので有名な様子。確かにおいしかったです)がよくいく名店です。


正式なチラシの方は上地くんがつくってくれました。

SaRaというのはさいこさんとれいさんからきているそうで。

 日本の小劇場くらいのスペースはあります。そして照明機材もあるので、かなりちゃんとしてます。このユーグと話している青年がダニエルさん(上地くんの話しによると昔は英語が話せなかったらしいが、今は上手くなったとのこと。勉強中のようです)、とてもいい子です。劇場の人で照明担当してくれました。センスがよいです。
はじの方にれいさんもいます。
奥に写っているのが噂の机。
まさしく!
Place のFouder’s studio(10)にある机と同じサイズではないですか!Angel's bone、Three cornered world、(日本ではからたちからの礼拝台のシーン、ただし礼拝台は10cmくらい高いです)と使ってきたあの大きさ!
机に関しては思い入れが強く、更にこのベルリンで(いろいろ因縁があるのです)というのもあって即使うことにしました。






ヨーロッパロンドンベルリン編 ライアンエア

ロンドンからベルリンへ移動するときに使用したのがRyan Air。
格安航空券の老舗。ロンドンからヨーロッパ各地を結んでおり、ちゃんと前もって予約すれば安い。同様にEasy jetも有り難い存在。
今回、早朝にスタンステッドまでいかねばならず、なかなか大変なたびになりました。

と、いうのも始発のスタンステッドエクスプレス(日本の成田エクスプレス的な特急)にのらないと間に合わないのに、なんとエンジニアリングワークで30分遅れるという。リファウンド(返金)して(同様に困っている人がいたのでみんなでタクシーにのりましょうかという話しをしていた)ときいたら、できないとのこと。
30分、どうしよう、間に合わないと思っていたら、なんとその電車すべての途中停車駅をすっとばして運行してくれるという異常事態に。
(こういうのって日本だとありえないことなようなきがします。その通過駅の乗客、どうするのでしょう、、、)
更にライアンエア受付にいったら、並ぶ間もなく「もうぎりぎりね!とにかくゲートに走りなさい!』とgoサインをだしてくださり、ダッシュ。預け荷物もそのままもっていけといわれそのままのってしまいました。
過去のライアンエアなら、「絶対、もう時間だからゲートクローズでだめよ、次の便買ってね」といわれていたところ。どうもあまりに不評だったため最近サービスが良くなっているらしい。この変化はイギリス滞在中の最も大きな変化ではないかというくらいの驚き。さらに預け荷物のエクストラチャージはいいのだろうか???という疑問はありつつも、とりあえず無事ベルリンに到着することができました。
当日チケットを買うと安くても120ポンド〜(2万円くらい)という感じなのでちゃんとのれたのは大きい。よかったです。


でもね、
実はこの預け荷物の中に、焼酎(ユーグ用)という特大リキッドが入っていたのですが、良かったのでしょうか。そして小さなナイフも。それ、通過させてしまったスタンステッド空港、ちょっと心配です。


ついでにいうと戻り(ベルリン→パリ)も手荷物鞄にリキッドが入っていて、しかし薬に見えたらしくそのまま通してくれました。一緒にいたれいさん曰く液体通す運とかあるのかもーと。
以後気をつけます。

2014年3月22日土曜日

ヨーロッパロンドン編⑤コミュニティダンスと静岡のコミュニティダンス

英国のコミュニティダンスはもちろん作家(アーティスト)の興味から生まれたものである一方、助成金申請段階で「社会への影響」を求められることが影響している。
クリスとの対話の中で「ローズマリーリーのように丹念にリサーチを行い、その土地に根付いた作品をつくる作家もいるが、そういう事例ばかりではない」「作家の方針を拡大していった結果たまたまコミュニティとの作品制作になった場合は上手くいくことが多いが、そうとは限らない。助成金故に計画されたものもある」という話しがでてきたし、
グエンとの対話でも「(前出のようなスポーツなどと結びついたイベントなどであったとしても)いいものをみせなければ続いていかない」という言葉がでてきた。
つまり、コミュニティダンスとはいえクオリティは問われる。
つまり地元のバレエ(ダンス)教室の発表会ではないもの。
さらにその人その場所でなければできないというもの。

今日静岡ダンス王国建国イベントをみにいった帰り、友人と話したもののうち
「コミュニティダンスと地元のダンスのお稽古場の発表会はどこが違うのだろうか。」

「例えばジェロームベルやマギーマランなどのように一般人を使ったダンス作品は確かにある。が、あれはコミュニティダンスとはいわない。だとするとコミュニティダンスとはなんなのか??」
という素朴な疑問がきにかかった。

更にある一定のコミュニティダンスは将来的に継続性が問われるようになっていくだろうと考えられるが(静岡の事例でも既に活動開始から5年以上が経過している)、継続すればするほどダンサーはダンサー化し、プロフェッショナルのいない日本では「コミュニティダンス」と区別することができなくなっていくだろう。
では、逆にプロフェッショナルとはなんなのだろうか。

その昔アシュフォードにこんなことをいわれたことがある。
「しかしそのダンスを成り立たせるためにsaikoの視点が必要だ、それが振付家の視点であり、だからプロフェッショナルとして成り立つ」
私踊っていていいのだろうかと思ったときには戻ってくる結構大事にしている言葉の一つだ。

今回のシンポジウムで稲田さんがコミュニティダンスは既成の「よいわるい」を飛び越えた新しい何かを生みだす可能性があると話していた。
確かに。しかし新しければいいということではなく「人の心を動かす」ものであるべきだと思う。それが笑いであれ、感動であれ。素人だろうが何だろうがすごいものをつくったものがち。すごいって何だろうか。
楽しいから踊っているだけではそういうところは見えてこないと個人的には思っている。

更に5年目を迎えるタカセの夢はいったいどこへ行くのがいいのだろう、と話す。
今年は何を目指していこうか。
タカセの夢はコミュニティダンスか?という疑問は大きいが、私はヨーロッパ的な感覚では確実にそうだと考えている。この活動が私たちを家族のように結びつけるようになった点でも。



コミュニティダンス、まだまだ学ぶことは多いです。




2014年3月21日金曜日

ヨーロッパロンドン編④ダレンとルカと

今回のロンドン滞在中これだけ動き回っていたがゆえに見に行けたものは3つ。
Yael Frexer(ローハンプトンuniv)、
http://flexerandsandiland.com/archives/yael-flexer/
Darren Johnston(barbicanただし本公演はいけなかったのでインスタレーションのみ)、
http://vimeo.com/user2417561
Luca(Protein dance The Place)
http://www.proteindance.co.uk

ヤエルは前出あやちゃんの所属するカンパニーでありながらなかなか見に行けず。今回の作品が20周年を記念する作品ということもあり、過去作品を取り込みながら踊るコラージュになっていてそこがとても興味深かった。(ちなみに同じ手法は札幌ダンスで私も使用している)また、昔からよく知るダンサーさんが妊婦のおなかで踊っていてそれもまた微笑ましかったり。

ダレンは2008年のプレイスプライズの同期であるだけではなく、その昔麻子さんに振付けていた頃(ちなみに2005年にロンドンに移住する前からの知り合いだ)からよく知る振付家。昨年高知美術館→アーキタンツへときた作品が今年バービカンで公演となり大勝負!(ちなみに三東さんがダンサーで参加していて、彼女の動きだけで個人的には満足だと思う)でもその公演のときにはいられないので、インスタレーションの公開を見に行く。
去年アーキタンツの発表をみても思ったけれど、この人あまり変わっていない。
やりたいことがすごく明確(笑)つまり自分の目に見えない何者かを映像で表現しようとして試みつづけてきた結果。もはやダンスでもない。そこに身体を放り込む。
ほぼ同年代ということもありとても気にかかる。

ルカはプレイスが育てた振付家の一人。
木野がいた当時から若手振付家として注目はされていて、着実にステップアップを積んでいた人。たまたまこの時期、なんと3週間のロングランをプレイスにて行っていた。しかもそのタイミングでエディ(プレイスディレクター)に出会ってしまい、みにおいでと誘われてしまったからにはいかねばならない。
作品は人種について問う内容で、カンパニーも台湾、アフリカなど様々な国の人が集まっている。シアター的なアプローチもあり、ロンドンならではの作品だと思う。(ただし2時間近い内容でちょっと長過ぎると私は思う)
で、この照明をつくったのが、なんとIchIの時の照明家、Jackie Schemesh!
今回会いたいねーといいながら会えず残念だったものの、作品はみれて、パリから帰る最終日、なんとスカイプでつながった。5年どころかもっと久しぶり。懐かしい!
ダンサー間の話し合いなどが含まれている作品なだけに、このテーマでこの3週間の間に作品がどのように変わっていくのか興味深いと思ったとはなしたら、なんとルカは変えないのだとのこと。なんと!!英国らしい完全振付。そして変えない。
私の逆です。もちろん作品のクオリティとして下げられないとか変えたくないという気持ちはわからなくはないけれど、踊っていてみえてきちゃうものってないのだろうか。
ジャッキーには私の作品には流動的なところがあって、それはとても面白かったし、いつかまたたとえインプロでもなにかやりましょうという話しをされました。
ジャッキーが日本へ来るのが早いか、私がベルリンへ行くのが早いか。約束よ!
(ちなみにジャッキーの奥様は千里さんという超すてきなダンサーさん、元バットシェバです。現在は2人の子を育てつつ、GAGA指導者としても大活躍しています)

あっという間のロンドン滞在。
この隙間にアシュフォードさんにあったり、元のフラットメイトにあったり(brick laneでアンティーク屋さんをやっています。5年たくましく続いててすごくうれしかった!!)しているのだから、そりゃ怒濤です。

今回会いたいねーといいながらあえなかったラッセル、Jorgeなどもふくめ、私ここで暮らしていたんだと改めて実感しました。そしてまた来なきゃとも。銀行口座は閉めましたが、まだポンドは持っているので(笑)またきます!

昔住んでいたKensalエリアにいったらなんだかおしゃれカフェとかたくさんできてる!そんなのもちょっとうれしかったり。




ヨーロッパロンドン編③ソールズベリーとChris Thomsonとたかこさん

ヨーロッパロンドン編③ソールズベリーとChris Thomson

今回ロンドンへ行ったのは一応元々拠点だったこともあり、純粋に銀行口座閉めなきゃいかんなどの事情もありましたが、元々コミュニティダンスについての下調べが目的でした。昔からお世話になっているアシュフォードさんに誰に話しを聞いたらいいかなあと相談したら、まずChrisにあえと言われたので、慌てて連絡をとり伺いました。
クリスさんは現在プレイスのコミュニティダンス部門担当者。確かに見覚えあります。
昔プレイスをうろうろしていたころ、カムデン地区の小学校の合同発表会などやっているのを見に行ったことがあり、そういえば、、、と思い出しました。

そこであいにいってみたところ、ちょうど日本からコミュニティダンスの調査できている人がいるよとのこと。誰だろうと思ってきいてみると、なんと岩見沢教育大の岩澤先生ではないですか!びっくり!!。しかもすぐそこに泊まっているということで即会いにいきました。
岩見沢は北海道教育大5校のうちの1つで芸術スポーツに特化した学科があります。岩澤先生は元々タイ舞踊が専門だったのですが、教文コミュニティダンス部をみるようになり、コミュニティダンスに興味をもち、今に至るという方です。木野もJCDNで教文ダンス部チームと作品作りをした他、岩見沢に教えにいったりと大変お世話になっています。
今回日本で開催されたコミュニティダンスフォーラムもいくつもりで計画をしていたものの、祖母のこともありキャンセルしてしまったのですが、その資料なども持っていて、みせていただきました。すごいタイミング。
で、その勢いでソールズベリーにパーキンソン病の方へのダンスワークを行っている事例を見に行くのに同行することになり、ソールズベリーにいってきました。

ソールズベリー、少し遠いです。
でも電車の中でクリスさん、たかこさん、そしてリバプールでダンスセラピーを勉強中のあやかちゃんの話しを聞きながらいけたのでとてもよかったです。
現在ファウンディングカットの影響もあり、パーキンソンに限らず様々な病気や痴呆症などへのダンスの応用を試みている事例が多く出ているそうで、そのうちの一つをみせていただきました。
昨年秋、今年1月、そしてこのクールと週1日ずつ5回ずつのセッションを続けているそうです。指導者のレベッカさんは元々sasha waltsのダンサー。コンテンポラリーダンスをベースにクラスを展開しています。11人の参加者のうち6人がパーキンソン。奥さんと一緒に参加するなどしています。
この指導法についてはenglish national balletが講習を展開しており、それをベースにしているそう。詳しくはENBのhealth and well beingについてを参照。
方向替えが難しかったり、両手が別々に動くと片方を意識しきれなくなったり、意外に2人組で踊ると踊れちゃうなどの特性があり、それを生かしてバレエのポールドブラを用いたり、社交ダンス(サルサ的な)ものを混ぜてみたり、ちょっと難しくとも言葉を使うワークを取り入れたりということを行いながら凡そ1時間15分。http://www.ballet.org.uk/learning/health-and-wellbeing/

このクラスをつくったのはなんとパーキンソン病保持者であるデビッドさん。自分で必要と感じたからとはいえ、その行動力をとてもすばらしいと思いました。
同じスポーツセンターでは同様の太極拳のクラスもあるのだそう。私が組になった女性(パーキンソン病をお持ちでした)は今日はこれから下で泳いでいくのよ!といっていました。なんとアクティブ!
レベッカさんとたかこさん。今回のクラスで使うようにつくった教材を吟味中。



前半は椅子に座って行うワークがほとんどです。というのもやっぱり疲れてしまうので。。。


あまりに突然いくことになったこともあり、このあと伺う病院へはさすがにいけず(事前申し込みが必要)どうしようかなと思いきや、なんとソールズブリーにきたんだったら、ストーンヘンジにいけばといわれ、突如いくことになりました。
ロンドン在住時にもいったことがないような超観光モード(笑)。

 ソールズブリーの大聖堂。なんとマグナカルタが所蔵されています。しかも4つしかないのの一番保存状態のいいやつ(笑)でも大英図書館でみたので今回は見に行かず。




ヨーロッパロンドン編②Anjali dance company

ヨーロッパロンドン編②Anjali dance company
http://www.anjali.co.uk

前出のあやちゃんは、私が帰国したあともロンドンでダンサーとして活躍するかたわら、オクスフォードシャーにあるAnjali dance companyにフルタイムワーカーとして入りました。

このグループ、コミュニティダンスについて詳しい人なら知っている「ダウン症の人で構成されたプロフェッショナルのダンスカンパニー」です。
ただ、現在はファウンディングがカットされてしまい、完全にプロフェッショナルと言い兼ねるところはありますが、現在でも海外公演を行ったりもするし、BDE(British dance edition 英国ダンスのショーケースで2年に1度開催される)にも参加していたりします。
あやちゃんはここで指導者(兼振付家)として働いていたこともあり、現在も月に1、2度通ってきているそうです。
バンブリーのMill Art Center(https://www.themillartscentre.co.uk/wps/wcm/connect/micro/MillArts/)を拠点に英国(ダンサーのうち2人はロンドンから通ってきています)中から集結したダンサー6人ががんばっています。
ダウン症の特性として関節が極度に柔らかかったり、逆に筋肉が弱かったり、運動を覚えるのに時間がかかったり(しかし一方で長期的な記憶力はすばらしく高い)などがあげられ、それらの長所短所を利用しながら作品作りをしてきたあやちゃんのワークを見学させていただきました。
私は作品を見ることはできなかったのですが、それぞれが支え合い、とても良いバランスを保っている点、そしてダウン症というハンディを負ってはいても、それを乗り越える表現性を目指している点、とてもすてきな時間をみました。

ファウンディングカットについてはラッセルのところほどではないですが、かなり英国ダンス業界にダメージを与えています。一時はこのカンパニーも危ういところだったそうです。それを救ったのが、なんと元ラッセルカンパニーマネージャーのグエン。
グエンはちょっと田舎に引っ込んでダンスから離れようかと思ってといって2007−8年にラッセルカンパニー(及びロンドンダンス業界)から離れたのですが、その引っ越し先がバンブリーだったそうで、様々な縁つながりで助っ人になったそうです。
今回日程の行き違いであえないかと思っていたら、なんとロンドンではなくバンブリーであうことになり、久しぶりに話しをしました。
現在は週1くらいでロンドンに通いながらダンスマネージメントも少しずつ行っているとのこと。昨年は50人のプロフェッショナルダンサーと450人のコミュニティダンサーによる作品をラグビー試合にあわせて開催というなんだかミラクルな企画を行ったのだとか。(まさしく私の大学院の研究範囲にぴったりな話題)


ちなみにグエンのアシスタントをしていたクレアがつくった会社モルトンベイツカンパニーはグエンが担当していた多くの仕事を引き受けることになったこともあり、かなりの数のカンパニーを受け持つ企業になったそう。あやちゃんの所属するヤエルのカンパニーもクレアのところでそれまた驚き。







ヨーロッパロンドン編①Gill Clark とインディペンデントダンス

祖母の葬儀の直後、本当に直後から私はヨーロッパにいました。
さすがに延期(あるいは時期をずらそうか)と思っていたのですが、前々からチケットを買っていたことと母のすすめがあり、いってみることにしました。

今回の旅程はロンドン→ベルリン→パリ(その間にちょこっとトゥール)となっており、長いようであっという間の時間でした。
様々な意味で運命的ななにかがたくさんある旅だったので、いくつか書いておこうと思います。

ロンドン編①Gill Clark とインディペンデントダンス
ロンドンでの滞在は小林あやちゃんの住むGillさんのおうちにしました。
あやちゃんはロンドン時代からよく知るダンサー・指導者。現在もばりばり活動しています。地元を知る人ということで心強い。
Gillさんはインディペンデントダンスの創設者。既に本人は他界しており、その家が現在もお兄さんの管理のもとアーティストに貸し出されているのだそうです。インディペンデントダンスはロンドンのダンサーがつくったオーガニゼーションの草分け的存在です。
http://www.independentdance.co.uk
カニングハムテクニックがはびこるロンドンダンスの中でsomaticなクラスを展開するインディペンデントダンスのプロフェッショナルクラス。その土台はGill さんがつくったのでしょう。
その家には大量の資料、本、やりかけの書類が山積みになっていて、最後まで仕事をしつづけていた彼女の生き方が見えてきます。
将来的に資料館か図書館かにしていくという話しもあるらしく、とてもすてきなことだと思いました。
あやちゃんはそんなお家にすみつつ、ロンドンを拠点に活動するインディペンデントなダンサーさん。ヤエルフレクサーの作品を踊りつつ(タイミングよくみることができた!)、教育者としてもがんばっています。それについては次の項目で。


かめりあ

ここしばらく日本を離れておりました。そして帰ってきました。
5年ぶりにヨーロッパにかえってみて、いろいろ感じたこともたくさん。離れたからこそ見えたものもたくさん。あいたかった人にもたくさん出会えて、一気に広がる感じを味わいました。衝撃的な。
これから少しずつ旅について書いていかねばなりません。というのも私は忘れてしまうからです。それこそあまりにたくさんのことが起きました。少しずつ整理していきましょう。

まず「静」終了直後より「かめりあ」の祖母が入院、そのままなくなりました。
日本へ帰ってきたのは祖母の家に住むためであり、帰ってきてからの対話をまとめたのが「かめりあ」(2010 赤レンガ倉庫1号館)という作品でした。その昔米屋をやっていた時代のこと、更に祖母の兄弟姉妹について。当時記憶が曖昧になり、同じことを何度も言うようになりはじめた祖母の声を元に年を取っていくことや家族について考えながらつくった舞台でした。
舞台終了後も祖母との対話はつづき、ゆっくりとしかし徐々に身体の機能が落ちていくのを見つめてきてかれこれ3年。肺炎と心不全の併発(祖母は元々心臓が弱かったこともあり)ですーっと亡くなっていきました。
最後は母とともに看取ることができ、またその直前には孫一同祖母と対面することができ(妹はなんと東京への出張時期でした)、とてもよい最後を過ごすことができたと感謝しています。

亡くなる前日酸素マスクを外そうとする祖母と戦いました。
そのとき私は一人で母も家に帰っていました。
お願いだからまってと引き止めながら、死とは何かと考えました。
ずっとそのときを待っていた祖母の想いを感じるがゆえに、とまどい、そしてそれでも引き止めようとする自分がいました。

よく死んでいくことは実はかなり難しい。
祖母は身体を通してみせてくれたのだと思いました。


祖母の死後、俗にいうお葬式などの一連の行事があり、ほとんどそういうものに縁がなかった私はそれに追われていました。お通夜やお葬式で久しぶりに家族がそろい、いろんな話しをしました。それもまた祖母がのこしてくれたものではないかと思っています。


帰ってきてまずはじめに祖母の洋服を分けたり家具を移動する作業をしました。まだ終ってはいません。少し時間がかかりそうです。






2014年3月12日水曜日

20140311

3年がたちました。
いろいろ迷ったのですが、この機会を逃すとちょっと遠出ができなくなると思って思い切ってヨーロッパに来ています。およそ5年ぶりのヨーロッパです。
久しぶりにあう方、場所、懐かしいのと変わっていなくてうれしいのとたくさんあります。この報告はまた後日です。

こちらにきて様々な国の人に地震のこと、特に原発のことについてきかれます。そしてその度に現在の日本の、特に東京の夜を話します。過剰なネオンや照明、暖房など震災前とほぼ同じように戻っています。それをしなければ景気が回復しないというのならば、景気というのは何なのだろうか?そこまでして発展する必要性があるのだろうか。成熟社会にとって必要なことは何だろうか?と私は思います。
ベルリンでは電力を選ぶことができるという話しがでてきて、「みんながちゃんと選んでそういうの買わなきゃいいのよ」という子がいたときに、日本では電力会社を選ぶことはできないし実質国が管理しているんだよと説明をして驚かれました。そうしたら台湾も選べないのだとも。私たちの常識は必ずしも世界中の常識ではない。そしてこれからの時代を生きる人のためにいかに遺していけるかを考え、必要なことを選択していかなければいけない。常識を覆す、そういう勇気をもちたいと思います。

大きな災害は防ぐことができない。
(被害を最小限にすることはできるとおもうので、それはそれで大事だけれど)
そしていつおこるかわからない。
一日一日を大切に生きること。
そして共にいた記憶をしみこませていくこと。

また1年がはじまります。