2014年3月21日金曜日

かめりあ

ここしばらく日本を離れておりました。そして帰ってきました。
5年ぶりにヨーロッパにかえってみて、いろいろ感じたこともたくさん。離れたからこそ見えたものもたくさん。あいたかった人にもたくさん出会えて、一気に広がる感じを味わいました。衝撃的な。
これから少しずつ旅について書いていかねばなりません。というのも私は忘れてしまうからです。それこそあまりにたくさんのことが起きました。少しずつ整理していきましょう。

まず「静」終了直後より「かめりあ」の祖母が入院、そのままなくなりました。
日本へ帰ってきたのは祖母の家に住むためであり、帰ってきてからの対話をまとめたのが「かめりあ」(2010 赤レンガ倉庫1号館)という作品でした。その昔米屋をやっていた時代のこと、更に祖母の兄弟姉妹について。当時記憶が曖昧になり、同じことを何度も言うようになりはじめた祖母の声を元に年を取っていくことや家族について考えながらつくった舞台でした。
舞台終了後も祖母との対話はつづき、ゆっくりとしかし徐々に身体の機能が落ちていくのを見つめてきてかれこれ3年。肺炎と心不全の併発(祖母は元々心臓が弱かったこともあり)ですーっと亡くなっていきました。
最後は母とともに看取ることができ、またその直前には孫一同祖母と対面することができ(妹はなんと東京への出張時期でした)、とてもよい最後を過ごすことができたと感謝しています。

亡くなる前日酸素マスクを外そうとする祖母と戦いました。
そのとき私は一人で母も家に帰っていました。
お願いだからまってと引き止めながら、死とは何かと考えました。
ずっとそのときを待っていた祖母の想いを感じるがゆえに、とまどい、そしてそれでも引き止めようとする自分がいました。

よく死んでいくことは実はかなり難しい。
祖母は身体を通してみせてくれたのだと思いました。


祖母の死後、俗にいうお葬式などの一連の行事があり、ほとんどそういうものに縁がなかった私はそれに追われていました。お通夜やお葬式で久しぶりに家族がそろい、いろんな話しをしました。それもまた祖母がのこしてくれたものではないかと思っています。


帰ってきてまずはじめに祖母の洋服を分けたり家具を移動する作業をしました。まだ終ってはいません。少し時間がかかりそうです。






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