2018年11月3日土曜日

SPAC enfant 2018@東京芸術祭

明日よりSPAC enfant の東京公演が始まります。(もしかしたらアップするときには今日かも)今回はアダルト版ユメミルチカラも。(旧題タカセの夢。今回は高瀬役をニヤカムさんが行うことからタイトルが変わりました)そして子供たちの作品もANGELSから空は翼によって測られるへと進化。
また一つ新しい物語へ。
2つのお話はもともと陰陽の考え方から作られました。昨年よりこの連続上演を視野に入れつつ、動いて来たこともあり、両方をはしごしてご覧になることをお勧めします。
子供たちから大人たちへ、そして大人たちから子供たちへ。
2つのお話は本来同じバオバブの木の下で起こるもの。(大人の事情により別の劇場で開催されていますが)生まれ、死に、そしてまた新しく生まれ変わる、循環のお話です。2つの円が繋がりメビウスの輪になるような、そんなお話。(木野個人の感覚では2層構造のような感じがしていますが)アダルト版はまだ全然見ていないので、どうなっているかわかりませんが、きっと大丈夫。作品としての構造がはっきりしているので。

私はこの2つの作品7年アシスタントとして関わり、ニヤカムさんもう言葉いらないレベルになってきていますが、おとなしく見守ることにします。我慢我慢。

SPAC enfantについては心配していません。夏に見たときも、親はなくとも子は育つだなあとつくづく思い(片親的には複雑な心境)、幸せにきっと飛び越える。
大人たちはまだ見ていませんが、
歳をとることで奇跡が起こせるようになるという私の友人の言葉をのせましょう。
小さな子どもは神童だ、すごいともてはやされるかもしれない
でも大人になるとできて当たり前になってしまう。
歳をとるにつれて、皆の見る目が変わるとき、そして自身が考えている自分イメージを超えるとき、奇跡は起こる。できるはずがない、不可能と言われること、あるいは自分でそのように思っていることをのりこえる勇気は同世代、或いは今後続く人々の視野を広げる可能性がある。大野一雄が伝説となったように。歳を取ることをポジティブに私達が受け入れられるようになること、それがこの作品の裏テーマではないかと私は思っています。

今、私が思っているのはもう一つずれててできないことをできるようにするのはたしかにすごいことだけれど、できない身体を受け入れていくことなのですが。私自身がずっとできないままだったせいだとおもう。年齢の問題ではなく、そしてできるできないではなく、最も大切な事はその人が生きる上での問題を表していく事で、ただそこにあり、そこで話し、語り、踊り、自身の存在を見せていくことではないかと思うのです。

いずれにしても、すごいスターではない、普通のおばちゃんと子どもたちがいかに変容していったのかということをみてみて下さい。


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