2019年7月28日日曜日

芸術で争うということ。

Facebook上に挙げた記事の転載です。追記しています。

東京芸術祭の記者会見記事を見た。
https://natalie.mu/stage/news/341407

今年のメインイベントはワールドコンペティションになっている。いや、もちろん公演もある。そしてマハーバーラタはじめとして面白い作品が並ぶことだろう。でも、それでも私はやっぱり気にかかってしまう。
私は宮城さんも横山さんも大好きだし、東京芸術祭関係者のつながりもあるけれど、それでもやはりコンペにしなきゃいけなかったのかな?ということはおもう。
芸術文化に順位なんてつけれない。
ましてやジャンル横断で。
彼らのジタバタ(宮城さんコメント)すごいわかる。だってまずいから。ガチで。でもその理由が海外で日本人の若手を見かけない、といってはだめだと思う。
お金がないから?
機会がないから?
ちがうのでは?
新しいものは枠組みを打ち破る力をもつ。
今の若者はそのような生き方を選ばない。
枠組みを作ってそれに乗る人を作るのは教育かもしれないが、逆に自分たちのレベルに抑えつけかねない。
今回公募ではなく、セレクトしたことで、質の保証ができる一方、偏りが生まれたり、各選出者がそのエリアで権力をもつことになる。
Aero waveはまだ集団で短編に編集したビデオとはいえ全員でシェアし、話し合うプロセスと各団体がフェスティバルでひっぱるなどできる可能性を有していた。
また昨今それこそ昨年の三文オペラや新国など全キャストオーディションなど門戸をひらくこころみが始まりつつあるのに。
これは何を目指したいのだろう。

私にはわからない。
私は1ダンサーだからだろうか。気が付けないだけだろうか。
世の中の大きな流れがある。
私もそれはわかる。それを知りつつ、それでも私は私のあり方を提示していくしかないのではないかと思う。選ばれる選ばれないに関わらず。それは私が個人活動で動いているから可能なのだというのもわかる。集団を抱えていては守るために冒険はできない。
個人でいることの意味、それぞれが言葉を持つ意味、そのこと自体が今問われることではないか。
どんな形であれ選挙に行くことや、自分の意見を話すこと。それと一緒。

私の腕には何もない。守るべきものは何もない。その選択肢を選んだ時に、私は現代の巫女になるべくこの世の中を学びそして伝えることができるようになったらいいなと思うようになった。
それ以降見た世界はとにかく真暗闇で希望も何もなかった。残念だけれどそれが現実。それでももしかしたら変わるかもしれないから選挙に行くといいよとか学生に話す。またこれまでの歴史の経緯を話す。
でもそういう次元ではない石炭袋を見て私は動いている。
私がかつて受けたように大丈夫だからとにかく生きろと私にはいえない。それくらいこの年齢の私でもできるだけ早く死ねる方法を考えて生きるようになって5年近い。
一緒に生き、走りながら。でもそれ以上私は何もできない。

ごめんなさい。
この世にいなければよかったと正直に思う。
死なないで済んだ人がたくさんいる。

銀河鉄道を作りながら、それはずっと思っている。

芸術は本来それぞれの人の違いを認め合うものだ。それにいい悪いの価値基準を加えることはできない。1ダンサー1振付家に過ぎないが、それぞれの人の人生に順位などつけることはできない。真摯な訴えはすべての人の心を打つだろう。

私はうまいダンサーではないけれど、それでも必死で何かを伝えようとする人でありたいし、そういう時にしか踊らないだろう。私はエモーションを信じている。しかし争うものではない。
争うようになるとスポーツと変わらない。実際多くのダンスがコンペで争われる現状だ。でもそういうことを言っているわけではないでしょう?

すごく残念。
そして私はこの世にいる意味が見えなくなるくらい、悲しいと思った。これまでは一体何だったんだろう。



建国体操リハ20190728

建国体操リハーサルで1日だけ東京滞在。油断して帰りそびれ明日朝イチ便に変更。空港近くの健康ランド的施設に流れ込んでみたら衝撃の多国籍状態。そして大混雑。ホテル不足が今日も話題になっていたけれど、マジですごい。ここに1日いたらそれだけで世界中の人に会うんじゃないかという。(ちなみに日本人比率多分10%くらい)そんな中明日の授業準備(しかも東アジアプログラムといって韓国、中国、台湾の子達が受講するもの)を考案する。ダンスができることってなんだろう。
建国体操リハは贅沢なことに今回関わるメンバーが勢ぞろい(演じるのは一人だけれど支えている人は結構いる。
今回招聘してくれた早稲田大水谷先生(実は死者の書も鳥取まで見に来てくれた)とどらま館宮崎さんと今の学生さん感覚について色々話す。教育の問題はかなり深刻だと正直思う。でもそれを正攻法で話してもわからない。なぜなら彼らはそもそものところから知らない。私にとっての常識はすでにないことになっているから。
早稲田、そして戸山を歩き回り蚊に刺されまくる。
実はこの地は明治神宮の前に構想を立てている頃からうろうろ探っていたところ。学生時代は週1で実験のために通っていたくらい。でも大きく変化していて、今日訪れた文学部戸山キャンパスは大がわりしていました。
8月10日
建国体操オドッテミタ再演します。(再再再演?かな)

2019年7月17日水曜日

自分が決断するということ

私は学校教員として、授業の中では必ず二つの意見を並列させることにしている。
正しいはない世の中だから。私が思う以上に、それぞれの個人が自分の意志を持ち決めることが大切だと思います。
自分の選んだ方向に進めばよいし、進まなくても自分はこう思っていたのに、とはなすことができる。何もしてない人は何も言えなくなる。
社会を一票で変えることはできないかもしれないが、自身は保つことができる。

小さくても、自分のそして自分の大切な人のために、選挙はいきましょう。

誰を支持したとしても、表現の自由です。
誘導する気はさらさらない。ただ、若い人達が自分の考えを述べ、議論する場であってほしい。多様性は時間がかかる。でも、その模索が全てを物語っており、一歩前に進めます。

2019年7月15日月曜日

豊年祭

竹富島の豊年祭を見に行くはずが、体調を崩して行きそびれる。
(ここから行くと関空行ってそこから飛ぶので結構長旅になるのだ。)
でもおかげでピル・ガリアさん(赤井さんオススメのイギリスの美術作家。万博をテーマに作品作りをするらしく、ちょっと建国体操的)にも会えたし、商栄じかんも観に行けたし(うちの近所でやっているお店やさんたちが集まってやってる小さい夏祭り。銀河鉄道祭の参考のため)、古川さんの樗谿グランドアパートでのパフォーマンスも観れたし(写真の展示がベースなのですが、その方の進駐軍接収住宅への愛情(?)がとても深く、面白く聞きました、家の形ってその時代の家族、生活様式をもろに表していて、面白いものなんです)、部活見てあげれたし。(定員いっぱいで西郷に行けなかったのは残念だけれど、これはいつか改めていく!)
そして改めて資料整理したりとかできるし。
動き回っているとなかなか間に合わないので、こうして少しゆっくりすることも大事だと思うこの週末。

こうしてだんだん外に出歩けなくなってしまうのかなあと思うと残念。いえ、もうすぐ夏休み。密かに色々計画中。(で、行こうと思った先が大洪水で流石にびっくりした)

この豊年祭、個人的には種取り祭とアンガマーと合わせて是非押さえて行きたい沖縄祭の一つ。地域差があり、できれば石垣のものに行きたくて毎年狙っているけれど、平日だったりしていけない。(今年は25日、26日)友人の民俗学者と話していたアカマタクロマタとかめちゃくちゃきになる。でも学校の先生になってしまった以上この前期の終わりの時期に1週間休みを取るのはかなり困難なのです。
そんなわけでいつかの野望。



大償の神楽とか見に行きたいものが多すぎる。でもまずは自分をしっかり立てよう。そう思って読んだ本(チベット仏教に関する本でした)に呼吸について書かれていて、最近学生さんに合わせているからちゃんとつないでいないなと改めて思い反省。自分は自分でちゃんと作り続けなきゃ。
そんな1日。

2019年7月14日日曜日

選挙いきましょう。

映画「新聞記者」が話題となる。参議院選挙で山本太郎さんが活躍するのと合わせ、大人たちがこのままではまずいだろうと言い始めた。おかしいよねをフィクションとして扱いながらよりリアルに切り込んでいく。報道、メディアのチェック機能が働かなくなって久しい。年々タブーや忖度が増えていく中、私たちは何を信じるのだろうか。
情報があまりにも増えすぎて、そのまま忘れ去られてしまっていく現実。自衛隊の日報改ざんも、もりかけ問題も、詩織さんの問題も、年金問題だって全く解決していない。おそらくこれまでの政権であればそれぞれが即退陣になって良いレベルの問題だが、氷山の一角のようにしか見えない。そして皆、なんとなく諦めている。
この国の大多数の人は既に諦めているのかもしれない。
そう思っていたら、学生さんと話をしていると、どうも何も知らないだけかもしれないという気がしてきた。慰安婦ってなんですか?そこからか。某国立大ですらこの様子なので’(某国立大だからこそかもしれない。本当は結構優秀かつ素直で良い子たちが揃っている。しかしこの素直で良い子たちという部分が「当たり前」を疑うことを知らないとも言える)もっと事態は深刻かもしれない。判断を下す前に何が起きているか知らない。知らされていない。それは現在の教育の問題点でもあると思う。
さらにいうと学生さんたちの多くが住民票を移していなくて選挙に行けないという。!そこからか!まずその目でちゃんと今起きていることを見て。そしてちゃんと自分で判断して投票はしなさい、今回できなかったとしても、ちゃんと手続き取った方がいいよ。そのように話す。


この映画が面白いと私が思うのは、それでも様々な守るべきもののために、行動できない人の存在も示唆しているところ。また、それゆえの心の悩みも起きていく。
名誉や地位だけではなく、自分の子供、家族(血が繋がっていなくてもね)の生命を思うと、どうにもできない、人間の弱さであり、強さでもあると思う。

守るべきものを持たないという生き方を選択した私としては(今まで何度か迷ったけれど、結局、いろんな意味で申し訳なくお断りをしまた逃走している)だからこそできることがあると思う。この手には何もない。失うものも何もない。半分死んだ身だからこそ見えるものもある。だから私が代わりに示すのでしょう。芸能者としての大切な役割だと私は捉えています。
答えなんてない世の中だから、一緒に考えるためのレクチャーパフォーマンス。


原作の「新聞記者」はこの言葉で締めくくられている。せめて自分の感覚に正直に生きることができますよう。また、それができているのは今だからこそ。表現の自由が生きている今だからこそできるのであって、その変わり目のところに私たちはいるのかもしれません。

あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。(マハトマ・ガンジー)



そんなわけで選挙いきましょう。
期日前投票もあるよ。

2019年7月13日土曜日

グローバル時代の国家と社会2019


昨年は「建国体操を踊ってみた」の公開リハーサルだったものの、今年の授業は再び講義に戻してみました。
内容としては各先生から表現の自由についてと言われていたこともあり、昨年の建国体操を踏まえつつ、少し広げた感じになります。

そもそも鳥取夏至祭のようにお外で自由に踊るイベントを開催しているダンスの先生
→鳥取ではそれが可能だが、年々取り締まりや規制が厳しくなってきている現状。首都圏であればヘブンアーティスト制度のように選ばれた人のみが決まっている場所、時間で行うパフォーマンスとなっている。いつから道路や公園で踊ってはいけなくなったのだろう。
(ちなみにこのように思うきっかけは横浜ダンスコレクション期間中に行なっていたおそとダンスができなくなったことです。何をするかわからないものは認められない、参加者もダンコレ関係者に限定する、といわれた時に、そうかーと思って受け入れてしまったけれども、そこで踏みとどまる必要があったのではないかと思うのでした。)

建国体操を踊ってみたという作品の紹介とその背景
1940年ごろの体操の大流行と現在のストリートダンス、バブリーダンス、ヨサコイソーランなどの集団制のあるダンスの流行は似ている。
オリンピック会場となっていた明治神宮外苑の歴史を追ってみると、オリンピックがここで開催されなければいけない理由が見えてくる。
建国記念の日はもともと紀元節。当然戦後なくなったが嘆願により復活している。明治天皇の誕生日(天長節)は文化の日。そして日本国憲法の公布日。明治150年の一斉キャンペーンやテレビドラマでの取り上げなど、なぜここまで明治推しなのだろう?ということ。

表現の自由とは言論の自由や知る権利にも関係する、重要な権利である。アートの世界ではわいせつ問題や政治問題の取り扱いで話題になる。(例表現の不自由展、会田誠、ろくでなし子など)
しかし実は結構みなさんにとっても身近なところにも起こりうる
慰安婦問題における報道の制限、政治的圧力の存在。
(NHKの番組改編問題、朝日新聞によるスクープ、一方で朝日新聞の取り下げ、ジャパンタイムズにおける慰安婦問題の英語表記の変更、安世鴻氏の展示取りやめ事件など)
同様に教科書の変遷。2012年慰安婦の表記が消え、現在も学び舎の1教科書のみが扱っている。つまり現在の教科書を使用している現役学生は慰安婦という言葉をそもそも知らない。(実際に木野ゼミ生は意味がわからなくて調べたそう)なぜ消えたかは検定制度で不許可になることを恐れてと言えるだろう。

歴史は常に変わっていく、
東日本大震災前後における放射能副読本の変化はどうだろうか。正しいと思っていたことがそうではなくなることも起こりうる。
ネットとテレビ、書物それぞれのスタンスにより情報がかなり異なるという現状、では私たちは誰を、何を信じたらいいのだろうか。

もう一つ身近な例として日の丸君が代問題に言及した。
安倍首相の発言を受けて、下村文科相の国立大学学長会議での依頼を受けて、国歌斉唱が始まった鳥取大学(2016年より)。大学の自治という観点からは疑問が残るし、留学生、信仰などへの配慮がないのではないか、トップダウン式に導入されることはどうなのかと地域学部教員が疑問を持ち、署名運動を始めたことがきっかけでこの授業は始まった。それまでは学歌を歌っていたのだという。

東京都の小中高での国旗、国歌斉唱問題についての裁判も含め、このような時に歌わないという選択もまた表現の自由であると説明をした。
何らかの表現活動を表現の自由と捉えてしまいがちだが、自分の意思に反することをしないということも立派な権利である。しかしそのような背景、権利を知らなければ、幼少期から当たり前のように行っている斉唱に疑問も持たないだろう。持たないように教師は歌わなければいけない、のだろうか。

大野一雄が戦時中、敵を見つけしかし逃げろ!と逃したように、自身の考えを保つこと、自分の信条を貫くこと、それは思想・良心の自由とも繋がっており、この日本国憲法の核になるところでもある。
個人の権利を重視する。そのためにあるのが国。国の暴走をせき止め縛るために憲法は存在している。


あまり知られていないが大日本帝国憲法も実は表現の自由条項を有していた。第29条。
日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス


法律の範囲内においてというここがポイントで、これを踏まえて自由民主党の改正案を見てみよう。

集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
3検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。

1.3はほぼ日本国憲法と変わらないが、2が重要である。
つまりここを見れば大日本帝国憲法と自由民主党の案の類似に気がつくだろう。
公益とは、公の秩序とは何を指すのか。
これが現在の政権の方針を指すのであれば、デモ行進や社会運動は全て禁止となっていくのではないだろうか。辺野古の反対運動と警察のぶつかり合いを思い出す。
第9条の自衛隊の明記の方に皆の意識が向かっているけれども、実はこの変化はとても大きくて、国のために人があるという考え方に基づいている。個人ではなく人。
明治は、そして昭和初期はそれほど素晴らしい時代だったのか、私はそうは思わない。

建国体操シリーズは明治期からの女子体育の歴史をたどってきたこともあり、秋田テレビで井口あくりの番組で紹介されたりもした。女子の社会進出、活躍という点で注目されるのもよくわかる。しかし一方で、それはあくまで一部のエリートの話でしかない。
研究として協力できることはするけれども、基本方針として、私はダンスはより自由であるべきと感じているし、今の時代にあう生き方の形を作らなければいけないだろう。
芸術は本来公の秩序のためにあるものではなかった。
個人のせざるを得ない想いから生まれるもの。
それを許容できることがどれだけ豊かなことか。
私はこのわらべ館のワークショップや鳥取夏至祭という小さな試みが最後の桃源郷みたいなことにならないように続けていきたいと思っている。

2019年7月7日日曜日

再燃に気をつけましょう。

ここしばらく体調があまり良くないとおもっていたら、潰瘍性大腸炎再燃っぽい。
もう何年も寛解が続いていて、特定難病疾患だったのだけれど、解除(制度が変わって軽度の患者は含まれないことになった)になっているくらい、のんびりしたものだったけれど、完全に治るものではないので、起こり得なくはない。

ヨーロッパに行く前に発症したものの、行っていた時代は治っていて、帰ってきてから一回食中毒でダウンしたのをきっかけに再燃してと何回か繰り返している。流石に10年以上の付き合いなので、ゆるゆるごまかしごまかしやっていけば多分大丈夫。激やせさせないようにだけ気をつける。そしてもぐもぐ食べる。


こういうところはシンクロしないことを祈る。


2019年7月6日土曜日

わらべ館ワークショップ20190706

わらべ館ワークショップ20190706

講師 池田千夏
サポートスタッフ 荻野ちよ、田中悦子、木野彩子
鳥取大学スタッフ 蔵多由美(マネジメント講座コーディネーター)、東さん、宮野くん(照明サポート)
高橋智美さん(わらべ館)は館内の他のイベント担当もあり入れず。

12時半ごろより顔合わせと打ち合わせ。照明仕込み、準備の間にワークショップの打ち合わせ。七夕をテーマにしましょうということで、前半をダンスベースで言葉を元に動き出しをしていく作業。後半を音楽に乗せていく感じにしましょうという主な流れだけを決める。
七夕に関する言葉出し:川、天の川、星、白鳥、牛、機織り、願い事、、、

13時半、簡単な説明の後スタート。
田中さんのリードで簡単な準備運動。
照明スタッフたちも皆参加してもらう。
親の中に「いえ、私は」と断る人、また外で待っているという人が出て、少しやりづらさを感じる。(注1)

たまたま円になっていたので円で見合いながら動く動き。途中から池田さんのピアノが入ってきて、体の動きに合わせて音を出してくれる。(注2)

小学生2人が遅れて入ってくる( 注3)

七夕の言葉(打ち合わせで出てきたもの)をもとに動きを広げていく。
比較的静かな動きになったところでレインスティック(インドネシアの楽器で雨の音がする)などを使い川へと移行。
その後白鳥や牛などキーワードを元に動きを広げてみる。
参加者のKくんが走り足りないらしく、再び走り始める。
そのKくんの走りを真似する(一緒に走る)のと、それに流される笹の葉と両方の動きをしてみる。大人たちが自分と一緒に動いてくれるの嬉しかったようで、なかなか治らない。Kくんもだんだんと反応を見てフェイントを入れてくるなど工夫をし始める。
疲れ切ったところで、荻野さんが落ちていたビニール袋を膨らまして出してくる。ふわふわしたビニール袋に子供たちも興味津々。みんなで羽根つきのようにビニール袋をパスし合う。
「この中にはね、わたしの願い事が入っているんだよ」と荻野さん。
だから大事に扱ってねというものの、子供たちは羽根つきに没頭。

14時10分ごろ小学生男子の集団が突然入ってきて鬼ごっこを始める。あまりにきゅうで、かつ中の活動を一切無視してのことだったので、動転するが、田中さんが呼びあつめ、説明する。小学生女子もいたものの全く受け付けずすぐに退出してしまう。(注4)
小学生の子たちは願い事を飛ばす風になってくれて走り回る。

14時20分ごろ小学生男子たち突然いなくなる。何も言わずに。

なんだったのかわからぬまま進行する。
だんだん袋の取り合いになってきたので
「ねえ、みんなの願い事って何かなあ。」と話しかけ、木野が願い事袋の代わりに靴服を持ってくる。それぞれがmy願い事袋を膨らませ、一緒に飛ばし始める。手のひらに、手首に、頭に乗せて願い事と一緒に動いてみる。(注5)

最後のまとめとして願い事枕にして寝てみようと荻野さんの提案。ゆっくり寝っ転がりクールダウン。(注6)
終わった後に袋を開いて願い事を空へ届かせようとはなし靴袋を回収。終了する。

その後コンサートで七夕の曲も演奏してもらう。


終了後のミーティングにて
注1
傍観者の存在はなくすのがまず重要と感じられた。(これはバフチンのカーニバル論でも言われる重要ポイントです)
これまでのワークショップ内でもなかったことで、常に親も子供も一緒に動くべき。そしてその目線の合うところが大事であると考えます。
荻野さん、田中さん他みなさんからもコメントを受けており、出来るだけ親を入れる工夫を考えたいと思いました。
ウォームアップの時になんらかのプラクティカル(実践的)な関わりを持つことやコンタクトワークを導入すること(歩きながらのハイタッチなど)、またまず子供と一緒にするウォームアップなどを取り入れるのが効果的ではという案が出されました。(→次回トライしましょう)
夏至祭ワークショップを体感してもらうとわかるのですが、見ている人がいると萎縮します。子供たちも親に戻ってしまいます。親に褒められる行動をしてしまいます。なので、できるだけ子供も大人も垣根がない状況を作る必要があると考えています。

注2
田中さんの子供達の動きを拾おうとしている様子がとても良かったと思います。
池田さんより、どこまで引っ張っていいかわからなかったというコメントがあり、音も、ダンスも対等にあるためにどうするかということが話題になりました。もっと出していい。正しくはそれぞれが引っ張りあっていかないと、お互いに得られないということ。
ここはジャズなどのセッションと等しく、音が引く部分、ダンスが引っ張る部分、それぞれあって良いのではないか。夏至祭のプログラムはある程度共有感覚を持ってできるけれども、今回のように単発のワークショップの場合どういう方法があるかは考える必要があると思いました。
ピアノという楽器の特性上、向きを工夫する(置き方)が必要だという池田さんの提案がありました。見えない、見れない。また、移動する可能性(例えば他の楽器や鍵盤ハーモニカなど)も考えられないかという提案がありました。
今回音が1人でしたが2人以上になるとサポートしあえるのかもしれません。たとえそれは木野ほかダンサーが演奏するレベルだったとしても。

注3
この小学生たちがいつの間にか消えてしまったのですが、悔やまれます。もう少しいじってあげれれば良かった。

注4
小学生高学年女子の反応を受けて、このワークショップの対象年齢はどこにあるかという話が出ました。ワークショップとして構築したり、なんらかの成果物を作ろうとすると小学校中学年以上のこの参加が必要になります。が、とにかく自由になんでもしていい場所を作るという点では年齢制限はなくて良い。また、この内容に入りやすいのは幼稚園、小学校低学年だけれども、中学年高学年の子たちがやっていいんだと思える場所になっていくことも必要なのではないかという声が出ました。
学校の授業だったら絶対許されない(おそらく教育実習でこれをしたら単位が出ない)ですが、なんでもしていい場所を、何をしても受け止めてくれる場所をこのわらべ館で作っていくことができないか。コミュニケーション教育というが言葉だけではない身体を通じたコミュニケーションと相互理解をする場所をこういう場所で作れないかという話になりました。現在の鳥取の体育教育の現場も踏まえ、小学校へのチラシ配布、学校の先生方へのアプローチをしていけたらと考えています。(課題1も踏まえて蔵多さんより早速チラシ等送ってみましょうと提案が出ました)

注5
ちよさん願い事を叩くのに一生懸命になり、叩いて潰してしまう子供達を見て、急遽設定しました。願い事考えてなさそう。願い事は何?と聞いてみると秘密!秘密!秘密!の大合唱。そんなに声大にして秘密言われてもという大人のツッコミに子供たちは大盛り上がり。

注6
ここでクールダウン、いい提案でした。せっかくなので、ここでこそ七夕行くべきだったなあと思っています。

全体的に、ダンスが全て進行し、ピアノが後追いになってしまった傾向があり、ダンサー側からもっと出てくれると嬉しいというコメントがあった。逆にどこまで出ていいかわからなかったという池田さんからのコメントも。ダンスも音楽も本来は一体のものであって、その時に応じて皆がリードしてよいという関係性を作ることができるのが一番面白いのではないかと個人的には思っています。

また、学校の授業などでも決まった動きをしたり、求められる答えを出したりとなってしまいがちな中、このような自由な行動をしていいという指導は学校教員としてもどうしたらよいかわからず、できないと思ってしまいがち。評価も難しい。また子供達の言葉を聞いて臨機応変に対応しようとすればその分の対処を考えることになって難しいのだという。しかし重要なことはその子供たちの言葉をいかに拾い、一緒に考えてあげられるかであり、教師の側の思っていることをできる子供に育てることが教育ではない。教育は教え育てると書いているけれども、本来は子供達が持っている才能を私たちが教えられ育てられる場所なのではないか。
それだけのゆとりがない学校教育の現状。
それをアーティストがサポートできないか。それは東京などの大都市部のアーティストに限らず、地元にいる田中さんや荻野さんができるようになっていくのではないか。私はそこに未来を見出したいと思っています。

また、この場所がもしかしたら「何をしてもしなくても、なんでもOKな最後の場所」になるのかもしれないという予感がしています。ゆるい、あまりにもゆるい縛りですが、それで対応できるチームワークが荻野さん、田中さんにあり、大概のことに対応できつつある。子供達が何してもOK。それ拾うから。一緒に遊ぶから。


終了後なんと雨が。
いや鳥取雨降らなすぎてやばいよねと話していたのでそのせい?霖雨(池田さんのミニコンサートで木野が踊った曲)のせい?ともあれある意味雨乞いの踊りになったのでした。
神様も喜んでくれているのでしょう。


2019年7月5日金曜日

いきましょう。

全ての作品は誰かへのメッセージであり、また予言である。
何年か先を見据えなければ作品を作ることはできない。しかし、常に今を切り取り、今を表現するべきものだと私は捉えている。
ダンスハ体育ナリ?は好評を受け8月に再演する。再演ではなく今を受けてまた作り変えなければならない。来週のグローバル時代の国家と社会の授業に合わせて映画をみ、本を読み、準備する。まとまるのかわからないけど、それでも今の危うさを思うと作らざるを得ない。
それが私が受け取った真っ暗闇の返信である。
芸能者は本来巫女のような存在であるが、現代においては、様々な知の力を得て、導く人であると私は思っている。この世の中が少しでも良くなるように人を殺さず、血を流さない革命。

私は作品をつくる時にそういう意識を持って作り続けている。世の中のダンスはそうでないことを知っているけれども、私がこれまで受けてきたことを思うとそれを返していかねばならない。ポトラッチとはそういうこと。
一緒に走ってあげるから。

大切な人たちが幸せに生きていけますように。



1940年、皇国2600年を祝うべく企画された幻の東京・札幌オリンピック、万博。戦争の影響により中止となったものの明治神宮外苑競技場の建設は続きました。代わりに国のために体を鍛える様々な体操が大流行。体操大会が多数開かれるようになります。健康=美という価値観の中、建国体操は1937年紀元節(2月11日)に披露され、全国的に流行しました。一方ダンスは敵国のもの、娯楽と禁止されダンスホールは閉鎖されていきます。慰問公演などに協力する舞踊団を除いて。
女子体育と呼ばれた舞踊教育と体操を比較しながら、当時の世相を学んでみましょう。
2020年明治神宮外苑競技場跡に建設中の国立競技場で開催される東京オリンピックを私たちは目前にしています。今だからこそ、あえてスポーツではない、芸術としてのダンスを考えてみます。
80年前に起きたことを再び起こさないために。元体育教師であり、ダンサーであり、大学で教職に就く当事者である木野彩子が当時の写真、映像、新聞記事などを踏まえ行うレクチャーパフォーマンス。2018年初演。

アシュフォードさん4

アシュフォードさんは「死者の書再読」をみて、タイトルが良くなかったのではないかと当たり前のことを言った。そりゃ、いいイメージはないよね。でも死を見つめない限りこの次の世界は見出せない。なぜこの時代に浮かれ踊れるのか私には理解できない。この真っ暗闇な世の中でせめて生きていく希望があるのだとすれば人を想うその気持ちだけだろうと。今回空間は超えるのだということはわかった。時間を超えるのかは今はまだわからない。でもそれを明らかにするための実験であり、観客を集める作品かどうかはまた別物である。
観客を集めることは確かに大切だが(応援している人がいなければ芸術活動は成り立たないとすれば)、私がするべきことは観客を集めることではない。
私の踊りが必要な人に、また、私の大切な人にメッセージを伝えるために、踊るだけのこと。
死者の書再読は、アシュフォードが指摘するまでもなく私の全てが含まれており、それゆえ心配してくれたらしい。その上で、たとえ全てをそこにつぎ込んだとしても、3年後見直したらきっと違う見方ができるはずだ。3年生きることで違う見方ができるようになる。それがアーティストというものだ。その時ごとに考え、感じ、発見していく。だから生きるんだ、という。

私はダンサーで、踊子に過ぎない。
でもそれでも生きてこれたのは、節々で生きろという声があったからだ。そして自分の周りにもその声がなく、生きてこれなかった人を知っている。
私はラッキーだったのか。

そういうことではなく、全ての人が生きろという声を聞けるようにありますように。

Mobius

Möbiusは永遠に続く輪を考え出した。帯状の長方形の片方の輪を180度ひねり、反対側に張り合わせる。表と裏は交わることはなく、同じ地点に戻るのだ。ずっとずっと平行線。裏側へ行けるんじゃないかと歩いてみたり、走ってみたり、転がってみたりするけれど、行くことはできない。仕方がないから足の裏のさらにしたのあなたの世界を思い立ち尽くして穴の真ん中を見る。何もない。何もないけどもしかしたら私の足の下のそのまま下に立っているから見えないだけなのかもしれない。そういうことにしておこう。かれこれかれこれ20年。ずっとずっと待ちながら、歩いて走って転がって。でもやっぱりあなたはこない。私は行けない。でももしかしたら明日は。サミュエルベケットの「ゴドーを待ちながらを一人で踊ろうとした(“En attendante,,,,,”)らとても変なことになってしまった。ずっとずっと待ちながら、歩いて走って転がっているお話。思えば大学時代初めて作った作品から私はずっと一人で待ち続けるお話を作っていることに気がついた。”時間は流れるものなのか、それとも静止のかたまりなのか“”月に立つクローン“”Edge””箱女“”The three cornered world””IchI””かめりあ“”からたち“”からたちから“”静(黒白)“常に私は私の後ろにある気配を感じ、すでに存在しえないかも知れない何者かと歩いて走って転がってきた。あの頃からそんなに変わっていない。事の本質はそんなに変わるものではない。歩いて走って転がって、ずっとずっと待ちながら歩いて走って転がって、ずっとずっと待ちながら歩いて走って転がって、私が待っているのは自分にしか見えない何者かで、こんなに待ち続けている人は他にいないと思っていたが、軌道はちょっと違うけれど、泳いだり這いずったり回ったりしている人がいるらしいことを最近発見した。怪しまれるからあんまり大きな声で言わないけれど、何者かと共に生きている人は実はすでに半分あっちの世界に意識があって、1mmくらい影が薄くなっている。そういう人はゆっくり物事を見つめ続けている。待っていてももう来ないと諦めているから待っているとも言えないかもしれない。でもそれでもそこから離れないんだから、やっぱり待っているんだろう。大きな大きな流れの中でお互い何者かを待ちながらしかし私たちは永遠に交わることはない。だからこそ続く。それがMöbiusの輪。
 永遠回帰とは生まれ続けること。常に私は発見し、キリキリしたりハラハラしたりドキドキしたりする。でも残念ながらそれらの多くを覚えていない。歩きながら考えるそして穴の真ん中を見る。何もない。キリキリやハラハラやドキドキも穴のどこかに吸い込まれてなくなってしまうんどあろうか。いつかその穴に落ちれる時を夢みてみるけれど、実は何度も落ちたんだけれど、やっぱり私は同じ道を歩いているらしい。何も変わらない。
ずっとずっと、ずっとずっとただ時が流れ、いつか死を迎える時まで。いや死を迎えてもそのまま何も変わらない。常に歩き走り転がるだけだ。たまに立ち止まって考えて。そしてまた歩き始める。踊るとはそういうことだ。
あなたは誰ですか。いや名前なんてどうでもいい。あなたはいるのですか。いや存在なんてどうでもいい。ただそこにいるかもしれない。いるだろうと私は信じている。


ねえ、気づいてる?Mobiusの点々がないのは誤植なんじゃない。

だってこの輪は永遠じゃないんだもの。