2019年7月5日金曜日

アシュフォードさん4

アシュフォードさんは「死者の書再読」をみて、タイトルが良くなかったのではないかと当たり前のことを言った。そりゃ、いいイメージはないよね。でも死を見つめない限りこの次の世界は見出せない。なぜこの時代に浮かれ踊れるのか私には理解できない。この真っ暗闇な世の中でせめて生きていく希望があるのだとすれば人を想うその気持ちだけだろうと。今回空間は超えるのだということはわかった。時間を超えるのかは今はまだわからない。でもそれを明らかにするための実験であり、観客を集める作品かどうかはまた別物である。
観客を集めることは確かに大切だが(応援している人がいなければ芸術活動は成り立たないとすれば)、私がするべきことは観客を集めることではない。
私の踊りが必要な人に、また、私の大切な人にメッセージを伝えるために、踊るだけのこと。
死者の書再読は、アシュフォードが指摘するまでもなく私の全てが含まれており、それゆえ心配してくれたらしい。その上で、たとえ全てをそこにつぎ込んだとしても、3年後見直したらきっと違う見方ができるはずだ。3年生きることで違う見方ができるようになる。それがアーティストというものだ。その時ごとに考え、感じ、発見していく。だから生きるんだ、という。

私はダンサーで、踊子に過ぎない。
でもそれでも生きてこれたのは、節々で生きろという声があったからだ。そして自分の周りにもその声がなく、生きてこれなかった人を知っている。
私はラッキーだったのか。

そういうことではなく、全ての人が生きろという声を聞けるようにありますように。

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