2019年7月5日金曜日

Mobius

Möbiusは永遠に続く輪を考え出した。帯状の長方形の片方の輪を180度ひねり、反対側に張り合わせる。表と裏は交わることはなく、同じ地点に戻るのだ。ずっとずっと平行線。裏側へ行けるんじゃないかと歩いてみたり、走ってみたり、転がってみたりするけれど、行くことはできない。仕方がないから足の裏のさらにしたのあなたの世界を思い立ち尽くして穴の真ん中を見る。何もない。何もないけどもしかしたら私の足の下のそのまま下に立っているから見えないだけなのかもしれない。そういうことにしておこう。かれこれかれこれ20年。ずっとずっと待ちながら、歩いて走って転がって。でもやっぱりあなたはこない。私は行けない。でももしかしたら明日は。サミュエルベケットの「ゴドーを待ちながらを一人で踊ろうとした(“En attendante,,,,,”)らとても変なことになってしまった。ずっとずっと待ちながら、歩いて走って転がっているお話。思えば大学時代初めて作った作品から私はずっと一人で待ち続けるお話を作っていることに気がついた。”時間は流れるものなのか、それとも静止のかたまりなのか“”月に立つクローン“”Edge””箱女“”The three cornered world””IchI””かめりあ“”からたち“”からたちから“”静(黒白)“常に私は私の後ろにある気配を感じ、すでに存在しえないかも知れない何者かと歩いて走って転がってきた。あの頃からそんなに変わっていない。事の本質はそんなに変わるものではない。歩いて走って転がって、ずっとずっと待ちながら歩いて走って転がって、ずっとずっと待ちながら歩いて走って転がって、私が待っているのは自分にしか見えない何者かで、こんなに待ち続けている人は他にいないと思っていたが、軌道はちょっと違うけれど、泳いだり這いずったり回ったりしている人がいるらしいことを最近発見した。怪しまれるからあんまり大きな声で言わないけれど、何者かと共に生きている人は実はすでに半分あっちの世界に意識があって、1mmくらい影が薄くなっている。そういう人はゆっくり物事を見つめ続けている。待っていてももう来ないと諦めているから待っているとも言えないかもしれない。でもそれでもそこから離れないんだから、やっぱり待っているんだろう。大きな大きな流れの中でお互い何者かを待ちながらしかし私たちは永遠に交わることはない。だからこそ続く。それがMöbiusの輪。
 永遠回帰とは生まれ続けること。常に私は発見し、キリキリしたりハラハラしたりドキドキしたりする。でも残念ながらそれらの多くを覚えていない。歩きながら考えるそして穴の真ん中を見る。何もない。キリキリやハラハラやドキドキも穴のどこかに吸い込まれてなくなってしまうんどあろうか。いつかその穴に落ちれる時を夢みてみるけれど、実は何度も落ちたんだけれど、やっぱり私は同じ道を歩いているらしい。何も変わらない。
ずっとずっと、ずっとずっとただ時が流れ、いつか死を迎える時まで。いや死を迎えてもそのまま何も変わらない。常に歩き走り転がるだけだ。たまに立ち止まって考えて。そしてまた歩き始める。踊るとはそういうことだ。
あなたは誰ですか。いや名前なんてどうでもいい。あなたはいるのですか。いや存在なんてどうでもいい。ただそこにいるかもしれない。いるだろうと私は信じている。


ねえ、気づいてる?Mobiusの点々がないのは誤植なんじゃない。

だってこの輪は永遠じゃないんだもの。

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