2019年7月14日日曜日

選挙いきましょう。

映画「新聞記者」が話題となる。参議院選挙で山本太郎さんが活躍するのと合わせ、大人たちがこのままではまずいだろうと言い始めた。おかしいよねをフィクションとして扱いながらよりリアルに切り込んでいく。報道、メディアのチェック機能が働かなくなって久しい。年々タブーや忖度が増えていく中、私たちは何を信じるのだろうか。
情報があまりにも増えすぎて、そのまま忘れ去られてしまっていく現実。自衛隊の日報改ざんも、もりかけ問題も、詩織さんの問題も、年金問題だって全く解決していない。おそらくこれまでの政権であればそれぞれが即退陣になって良いレベルの問題だが、氷山の一角のようにしか見えない。そして皆、なんとなく諦めている。
この国の大多数の人は既に諦めているのかもしれない。
そう思っていたら、学生さんと話をしていると、どうも何も知らないだけかもしれないという気がしてきた。慰安婦ってなんですか?そこからか。某国立大ですらこの様子なので’(某国立大だからこそかもしれない。本当は結構優秀かつ素直で良い子たちが揃っている。しかしこの素直で良い子たちという部分が「当たり前」を疑うことを知らないとも言える)もっと事態は深刻かもしれない。判断を下す前に何が起きているか知らない。知らされていない。それは現在の教育の問題点でもあると思う。
さらにいうと学生さんたちの多くが住民票を移していなくて選挙に行けないという。!そこからか!まずその目でちゃんと今起きていることを見て。そしてちゃんと自分で判断して投票はしなさい、今回できなかったとしても、ちゃんと手続き取った方がいいよ。そのように話す。


この映画が面白いと私が思うのは、それでも様々な守るべきもののために、行動できない人の存在も示唆しているところ。また、それゆえの心の悩みも起きていく。
名誉や地位だけではなく、自分の子供、家族(血が繋がっていなくてもね)の生命を思うと、どうにもできない、人間の弱さであり、強さでもあると思う。

守るべきものを持たないという生き方を選択した私としては(今まで何度か迷ったけれど、結局、いろんな意味で申し訳なくお断りをしまた逃走している)だからこそできることがあると思う。この手には何もない。失うものも何もない。半分死んだ身だからこそ見えるものもある。だから私が代わりに示すのでしょう。芸能者としての大切な役割だと私は捉えています。
答えなんてない世の中だから、一緒に考えるためのレクチャーパフォーマンス。


原作の「新聞記者」はこの言葉で締めくくられている。せめて自分の感覚に正直に生きることができますよう。また、それができているのは今だからこそ。表現の自由が生きている今だからこそできるのであって、その変わり目のところに私たちはいるのかもしれません。

あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。(マハトマ・ガンジー)



そんなわけで選挙いきましょう。
期日前投票もあるよ。

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