2019年8月16日金曜日

あいちトリエンナーレ2019(追記20190818)

○あいちトリエンナーレを見に行く
その間を縫って噂のあいちトリエンナーレを見に行く。先日の「表現の不自由展」以降一気に注目を集めてしまったこの展覧会、全体を通しても政治、ジェンダー、移民問題など現代社会の世相を表している展示が多く並んでいる。しかしながら表現の不自由展の展示終了を受けて韓国の2作家が出展を取りやめ、その後7作家も同様に取りやめを決めた。彼らは今回の展示の中でも大きな部分を占める作家であり、この問題が世界的に見ても「表現の自由を問う」大きな問題と捉えられていることを示している。
ただ、今回のメインはそこではない。
その取りやめを決めた7作家のうちの一人モニカメイヤー作品を見にいっておこうと思ったのだった。(ラッキーなことに取りやめ前に見ることができた。でも取りやめしそうな予感はしていたのでちょっとよかった)
今回展示作家の半分を女性にしており、女性作家の比率が高く感じられるのだが(逆に言うと今回の展示によって美術業界の男性比重の高さが露呈した。女性学芸員の数が多いわりに、女性館長の数が少ないことなども注目を集めた。)それは美術のみならず、ダンスや演劇でも同じように言えるだろう。今でもやはりダンサーの女性比率は高く、しかし振付家は男性が圧倒的に多い。そんなことを考えていたら今年やってきた木野ゼミ生(ダンスではない)がジェンダー・フェミニズムについて扱いたいと言い始め、それならあいちを見に行くといいとオススメしたのだった。
展示はこれまでの会の経緯、それぞれの写真などの展示と、現在このあいち(あるいは日本、あるいは自分の住んでいる土地で)女性として困ったこと、不利益を被ったこと、もしくはその逆を匿名で紙に書いてもらい展示すると言うもの。ただそれだけのことだけれども、その土地、その時代によって少しずつ変化していることがわかる。そしてこのような内容をこの公の場で書くこと自体がすごく勇気の要ることだと言うことに気がついたと言うコメントが多数ある。また、異性装などにより受けた誤解や、女性上司に性的に誘われるなどの逆セクハラのような訴えなど男性側が書いたものも含まれている。
会期中に随時追加されるので、これまでの都市での開催同様あいち(あるいは日本)ならではの証言集が出来上がる予定であったけれども中止となり、残念だと思う。
彼らはすでに現代美術の世界では大御所で、そして何らかの迫害を受けている経験から、検閲や様々な公的な圧力に非常に敏感だし、ある種のアクティビストでもある。愛知美術館のいくつかの部屋が閉鎖されているのだが(「表現の不自由展」もここで展示していた)。空白の部屋の意味をちゃんと考えると言う意味でも実際にその場所に行くことは大事だと思った。

別件で藤井光作品で台湾での訓練の様子に海行かばが流れていたりして、ちょうど扱っていた矢先だったので興味深かった。今でも台湾の人々には日本の教育を受けれてよかったと言う人もいる。親日派の方のインタビューの中には蛍の光を歌っていたりする。(別の方の作品。卒業式の定番ソングになっているが3、4番になると日本の侵略戦争を認める内容となっており、その内容も領土拡大とともに徐々に広がっていった。なお、彼らはその内容を知らないし、おそらくインタビュアーもそこまで重視していないらしい)
藤井作品では現代の若者にこの訓練を体験してもらうと言うもので、3面マルチスクリーンでの映像とこのオリジナル訓練映像がセットになって上映される。あの時代の体とは何だったのか。
そしてビルの耐震構造を思い出す。硬く強いものほど根元からポキリと折れやすい。柔軟さとしなやかさを有していると揺れを逃し耐えることができる。力で固める時代ではない。ダンスハ体育ナリ?4回目の上演ではストリートダンスなどに合わせて早稲田大応援団を紹介した。建国体操のあの直線的な動きはここにつながるのか!と妙に納得してしまう。
時代とともに身体も変わる。行進とともに変化してきた身体に着目し、そこに私は表現の自由を見る。叩き合いではなく、それぞれの意思を尊重すること、その意味をもう一度考えてみる必要があるだろう。


追記(20190818)
https://aichitriennale.jp/news/2019/004056.html
表現の不自由展の慰安婦像のことに報道はじめ多くの声が向かってしまいがちだけれども、アーティストたちの意識としては表現の自由に対する疑問の投げかけであり、問題提起のために出展の一時中止を決めたものと考える。
ダン体の終わりにつけたコメントを思い出す。
加担するくらいなら死んだ方がマシ。表現をしない(表現者としては死)ということによる意思表示。

日本の作家たちがそこまで言及していないことに驚く。
また、ダンサーたちのネットワーク作りで集まって(16日)このことには触れられないのだろうかと思うと少し残念。経済的にいかに生き延びていくかも大事だけれど、思想、表現に携わる人間としては本当に気をつけて見ていかないといけないところに今私たちはいると思う。
彼らの展示は今日まで。

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