2019年8月15日木曜日

盆踊りについて

海外から帰ってきてから、日本の民俗芸能をよくみに行くようになった。
能、狂言、歌舞伎のほか俗にいうお祭りのことである。
友人の民俗芸能学者に連れられて、花祭、黒川能、壬生狂言、田遊び、若宮御祭など様々な回を見に行くようになり、そのエッセンスは自分の作品にも反映されるようになった。
例えば「静」には春日若宮おん祭の巫女舞が部分的に1人用に作り変えられて含まれているし、そもそもベースにしているお話からして道成寺だ。筒井筒なども能のお話。
その作品を作る過程で須藤武子さんに会う。綾子舞という新潟に伝わる舞が白拍子の舞に近いということで習い始めたのがきっかけで、様々な民俗芸能のお話を伺う。本田安二さんについて点々と日本各地を回ったのだそうだ。そのことがきっかけで竹富島など沖縄にも目を向けるようになった。

かなり多くの盆踊り、お祭りを見てきているが、江戸以前に成立した古い形のものが私は好きである。戦後に入ってお祭りはパレード化し、みんなで揃って練習して観客に見せるスタイルになった。そしてその中で出来栄えを競い合う。よさこいソーランのブームが非常にわかりやすいが、鳥取でもしゃんしゃん傘踊りという駅前道路を全て封鎖しての一大イベントがある(今年もあった)。そして全国各地でそのようなイベントが開催されている。
私はこの魅せる前のお祭り、なんだかよくわからないうちに観客も巻き込まれみんなで踊ってしまうお祭りに興味を持ち、ここ数年盆踊り調査を続けている。池袋ニュー盆踊りのような比較的新しいものも含め、いかに観客が巻き込まれていくか、その構造を見ている。
ある種のレイブ、音楽コンサートにおける熱狂に近い。その様子を見ていると、ダンスは本来全ての人が踊るもので、見る快楽よりも踊る快楽の方が勝るのではないかと思う。もちろん特殊技能などで見せつけるということがあって良いわけだが、それよりは身体が踊りを欲している以上、快楽としてその方が強い。これだけ身体を動かさなくなっていく現代生活において、身体が求めるということもあるだろう。

ともあれ、ダンスに関してはある種のカオス状態での熱狂が基本ベースにあり、花祭りしかり、多くの盆踊りしかりひたすら踊りまくる、動きまくるそういうものだったに違いないと思っている。
毎年結構ギリギリで行き先を決め弾丸的に向かうのだが、台風が直撃することもあって、ダンス部の公演があることもあって今年は近場(島にはいかない)ことにした。
郡上白鳥おどりと新野の盆踊り。比較的近そうなエリアだが、実は結構移動距離がある。車が運転できれば全てOKだったのだけれどね。そして、今なぜこれを書いているかといえば冗談のようだが台風のせいで足止めされて、帰れなくなってしまったのだ。
明日ダンス部劇場入りなのに。
ごめん、みんな。

石垣よりは近かったし、かなり巻いて早く帰ってきたんだけれど、見込み甘かったです。もっと調査しておいでってことかなあ。

とりあえずリアルお墓まいりをしたあと盆踊りツアースタートです。

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