2019年8月30日金曜日

頼ることができるよりも一人に認めてもらうことは大事だったりする

田中信太郎さんの訃報を聞く。

越後妻有の赤とんぼの作家さんと言えばわかるだろうか。
私のイメージでは十字架の人で、この作品の中で踊りたいなあと思った記憶がある。
一度妻有でお会いして、そのせいかBankartでの公演を観にきてくださった。「静」だったはず。

なんだかすごい喜んでくれて、久しぶりにいいもの見たとニコニコしていた。
踊りを踊って喜んでもらえることはなかなかないのですごく嬉しい。(アンケートなどに色々書いてくださることは多くあるけれど、大概終演後会えないことが多いので)基本批判と否定の中では珍しいことでだからかすごく覚えている。
その時に言われたのはあなたの踊りは引き込む踊りだからという。
普通ダンスとか踊りっていうものは出すものなんだけれど、あなたは引き込む、引き寄せるんだという。土方もそうだったという。
私は土方さんの作品を見たことないので(映像はあるけれど)あんな自己主張型作品と思ってしまうが、衰弱体を選んでいったところあたりだろうか。だいぶんタイプは違うよなあと思いながらお話を聞く。


そう言えばしずかさん(IchIのセットデザイナー)にも
さいこちゃん、踊るべきだよ。大器晩成型だから時間かかるかもしれないけれど踊らなきゃダメだよと言われたことを思い出す。

時々そうやって励ます人がいる。だからなんとか続いてきた。


8月終わりは夏休みが終わるということで(大学的にはやっと夏休みに入るくらいだ)学校にかよえないプレッシャーから自殺する子供が増えるという。昨年同僚がテレビ番組用映像を作っていたが、そろそろ学校というものの形を根本的に考えなければいけない時期なのかもしれない。夏休みのように大きい休みがあるべきなのかとか、朝から晩まで授業は本当に必要なのだろうかとか、学校に通わない学びの形がもっと増えてもいいはずだ。
学校での学びも大事だけれど、大切な時にその一言を言ってくれる人が一人いればちゃんと生き延びれるのだけれどと思う。

最近読んだ本に人に頼ることができない子供たちという話が出てきた。子供に限らず、大人にも言える。自己肯定感が極端に低く、自分が全ていけないのだと感じ人に頼ることができない。また、頼ることができないので、優等生であらねばならない。大学の学生さんを見ていてもそう思うし、私自身もそういう傾向はある。基本的に信用しきれないし、全て自分で行わないといけないことになる。途中助けようとする人が出てこないわけではないが、それゆえに命を落としたり精神を病んだりする人も多くいて、申し訳なさすぎて自分で回していくようになった。銀河鉄道のようなものが特殊事例で、今非常に苦労しているし、やっぱり申し訳なくて、仕事を辞める方法しか考えられないくらい鬱化する。
でも逆にいうと、頼らないで全部自力でやって生きていくこともできる。


たとえどんなに大変であっても、他のところで認めてもらえていればなんとかなる。たとえそれが孤独との戦いだったとしてもそれでもそこに新しい価値が生み出される。自己肯定感が低い人にとってはただその一言をちゃんと言ってもらう(受け取る)ことで生きていけるようになる。


それぞれの方法論があっていい。それぞれがちゃんと生き延びれますように。


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